#11 あんたは正しいよ
翌朝、町の空気は、昨日の熱狂から一晩で冷めていた。
冷めた、というより、抜けていた。
祭りの翌日に似ている。何かが終わったあとの町は、どこも同じ匂いがする。片づけを誰がやるのかを、まだ誰も決めていない匂いだ。
*
薬草店の前を通ったのは、偶然だった。
宿へ戻る道が、そこしかなかった。
店は、町の東の外れにあった。看板はない。軒に、乾いた草の束が三十ほど吊るしてある。それが看板だった。この町で四十年、除霊師として食ってきた老婆の店だ。
昨日、俺が広場でやったことを、この人は、いちばん近くで受けた。
彼女は、軒先で、荷をまとめていた。
草の束を、一つずつ下ろして、麻布に包んでいる。手つきが速い。速いのは、慣れているからではなく、やり方を昨夜のうちに全部決めたからだ。決めてから動く人間は、迷わない。
俺は、そこで足を止めた。
止めなければよかった。
だが、止めた。
*
老婆が、顔を上げた。
俺を見て、驚かなかった。喋る人形を見て驚かない人間は、この半年で二人目だった。一人目は、シエラだ。
俺は、何か言おうとした。
言うつもりだったことは、いくつもあった。
あの少女は死にかけていた。壁の鉛は本物だった。儀式を続ければ、あと十日で死んだ。あんたが治せる病ではなかった。あんたが悪いのではない。あんたも、たぶん、あの子を助けようとしていた。ただ、方法が間違っていただけだ。
全部、事実だ。
俺は、その全部を、口の中に持っていた。
一つも出さないうちに、老婆が言った。
「あんたは、正しいよ」
*
俺は、口を閉じた。
彼女は、それ以上、何も足さなかった。
責めなかった。皮肉でもなかった。そういう調子で言われたのなら、まだ返しようがあった。
彼女は、ただ、事実を一つ、置いただけだった。
そして、荷を背負い、俺のほうへ向き直って、頭を下げた。
深く、下げた。
除霊師が客に頭を下げる下げ方ではなかった。もっと古い形の、仕事を辞める人間の下げ方だった。
そのまま、彼女は歩いていった。
東の門のほうへ。
俺は、その背中を見送った。
呼び止める言葉は、一つも浮かばなかった。
*
シエラが、少し離れたところから、俺の隣に来た。
彼女は何も言わなかった。
俺も、何も言わなかった。
老婆の姿が、通りの角で消えた。
それから、しばらくして、俺は言った。
「あの人が、この町で四十年やってきたことは、全部、間違いだった」
「うん」
「それは、本当だ」
「うん」
「言い直しても、本当だ。何回言い直しても、本当だ」
俺は、そこで、初めて、自分の声が変な出方をしているのに気づいた。蛇腹が、いつもより速く動いていた。
「なのに、なんで、こんなに気分が悪いんだ」
シエラは、答えなかった。
彼女は、俺を抱え上げて、宿のほうへ歩き出した。
*
歩きながら、俺は、満のことを思い出していた。
思い出したかったわけではない。勝手に出てきた。
満は、大きな拍手をもらった日は、必ず、機嫌が悪かった。
俺は、それを、あの人の癖だと思っていた。あるいは、若い頃に浴びた喝采と比べているのだろう、と。老いた芸人にはよくあることだ、と。
あの人は、楽屋の鏡の前で、化粧を落としながら、時々こう漏らした。
「これで正しかったと思ってしまう。それが、いちばん怖い」
俺は、当時、意味が分からなかった。
正しかったから、拍手が来たのだ。拍手が来たなら、正しかったのだ。二十五の俺には、それ以上の理屈が必要なかった。
*
いま、少し分かる。
昨日、俺は広場で鳥を痙攣させ、少女を救い、儀式を止めた。
正しかった。誰に聞いても正しい。
そして、正しかったから、俺は、昨日の自分を検算しなかった。
拍手が来ると、人は、そこで計算をやめる。やめた場所に、この老婆の四十年が落ちていた。落ちていたことに、俺は一晩気づかなかった。気づいたのは、たまたま宿へ戻る道が、この店の前しかなかったからだ。
道が二本あったら、俺は気づかなかった。
——それが、いちばん怖い。
あの人が言っていたのは、これか。
*
分かったのは、たぶん、半分だ。
残りの半分は、まだ分からない。
満は、拍手を浴びた夜、鏡の前で何を検算していたのか。何を数え直していたのか。あの人は、それを一度も言わなかった。俺も、一度も聞かなかった。
聞いておけばよかった、と思う。
思うが、あの頃の俺なら、聞いても、たぶん理解しなかった。
*
宿に着いて、シエラが俺を寝台に下ろした。
「レン」
「なんだ」
「あの人、どこ行くのかな」
「知らん」
「聞けばよかった」
「聞いて、どうする」
「分かんない」彼女は、荷の紐を解きながら言った。「でも、あの人、どこかで暮らすでしょ。暮らすなら、どこで暮らすのかくらい、知っといたほうがいい気がした」
俺は、その言葉を、しばらく考えていた。
考えて、何も思いつかなかった。
俺の頭には、知っておいたほうがいいことの一覧が入っている。仕掛けの構造、材料、手順、相手の癖、客の視線の流れ。三十年ぶんある。
「あの人がどこで暮らすか」は、その一覧に、一度も載ったことがなかった。




