明智光秀と柴田勝家の策略
茶々の中に、父長政の思い出は、はっきり言って無い。
茶々に無いのだから、初にも無いし、江に至っては面影の記憶すら無い。
それもその筈、織田に対する牽制として、母を逃さぬ手立てとして、身体の自由を奪う目的で妊娠させていただけなんだから。
だから、父はわざわざ茶々たちと触れ合いもせず、関わりもせずだったんだと、茶々は悲しみの中にあっても納得をした。
さて、では、義父柴田勝家が明智光秀に主君を裏切らせた黒幕だと言う話はどうしてなのか、茶々は早く次の話を聞かねば落ち着かないと気が急いた。
「では、かか様。叔父上を裏切った明智光秀と義父様とのことをお聞かせ下さい」
お市はうんうんと小さく頷いて話し出した。
明智光秀は元々、足利義昭に侍る武士であった。
朝倉義景に身を寄せていても上洛叶わず、かつて斎藤道三の下で働いていた頃の伝で、蜂須賀正勝から織田信長へと繋いで貰い、後見を得て、義昭は将軍となることが出来た。
その過程で、光秀も織田軍と一緒に合戦に参加し、働きに対して石を与えられ、次第に頭角を顕すようになっていった。
勿論、武士は二君に仕えずで、幕臣として義昭に従っていたが、義昭の人となりが目に余るほどで、論功行賞も正しくせず、臣下も大切にしない様に飽きれ、暇願いを出したほど。
しかしその願いは不受理とされたが、心は信長に傾き、十七条の意見書を出し決別する。
惟任日向守に任じられ、織田家臣団でも重臣として扱われた。
そんな光秀が、本能寺で主君である織田信長を討ったのは、なぜか。
お市は余り光秀と接点がなく伝聞でしか人となりは知らない故に、彼の者の本心はわからぬが、彼は常に二面性を持ち合わせていたと言われていた。
臣下として忠義の姿を見せながら、一方で密会や裏切りを厭わない、この二面性が光秀の真の姿だとお市は聞かされていた。
さて、柴田勝家はかつて信長の弟信勝の家臣であったが、自身の告げ口によって信勝が信長側に惨殺されるとその子七兵衛の養父に任じられた。
七兵衛は成人して、津田家へと養子に出て、津田信澄と名を改め、明智光秀の娘婿となったのである。
裏切りを厭わない光秀は、一方で小心者な面もあった。
二十年前の信長への裏切りの責任を取らされて断罪された林秀貞と、家督相続前から信長に仕えていた一の家臣と呼ばれていた佐久間信盛が石山本願寺を長きに渡り平定できなかったことなどを理由に追放されるのを目にして、その姿がいつかの自分の姿のように思えた。
娘婿の津田信澄は、本当ならば、信長の父信秀から信勝へと家督相続が行われ、次代の当主と担がれるべき人となりである、そう知謀で狡猾な彼が思うのは当然の帰結であった。
「敵は本能寺にあり」
光秀がそう言って、早朝の本能寺に一万三千の兵を率いて攻め要り、警備も手薄な信長を討ち取ったのであった。
「では、光秀は信澄を当主に立てて織田の中枢の家臣となるつもりだったと?」
茶々が疑い深い目をお市に向けて聞いた。
「信澄もそのつもりがあったようで、その間際には、津田姓では無く、織田信澄を標榜し始めていたからのう、父親の信勝によう似ている、根回しもなく迂闊に言葉を発するから、本能寺の変では、予てより忌々しいと目の敵にしていた兄上の子信孝によって処されてしまうのだ。迂闊な親の子は迂闊であるな。血は水よりも濃いのだな」
お市が如何にも忌々しいというように顔を歪ませて言い捨てた。
「で、有るから、此度の合戦は兄上の弔い合戦じゃ。前田利家が早々に離反したのも手の内じゃ、何せ利家は赤衆の筆頭であったしな。
もっと言ってしまえば、清洲会議で勝家を筆頭家老として我が奴に嫁いだのも策略のうちじゃ。
我ら赤母布衆による弔い合戦、最期は我が必ず奴を仕留める。寄って、茶々、後を頼んだぞ。秀吉に宛てた書状を認めてあるが、無くても奴とその番は必ずお前らを守ってくれる。奴らは信に足る人物じゃ。
茶々、必ず生きよ。生きて兄上の天下布武の本懐をお前たちで成し遂げよ、良いな頼むぞ」
そこで話は終わりと、部屋を出され、秀吉の手の者によって闇夜に紛れて、茶々たち三姉妹とそれに侍る者たちが北ノ庄城を抜け、無事逃げおおせたのであった。
その翌日、柴田勝家は城に帰還し、北ノ庄城の戦いを配下の者に宣言する。
そこに集まった兵はどう多く見積もっても三千、その中には使用人の女子供も含まれていた。
そして、近臣60名と、妾腹腹の嫡男と娘、それに供する侍女たちと最期の宴を開いたのだった。
その席で、勝家はまず、腹心たちから徹底交戦をすると言う宣言をさせ、その後皆の前でお市に城を出るように勧めた。
単なるパフォーマンス、この期に及んで断れない状況にして、周囲には情け深いふりを見せる、器の小さい男である。
お市は、自分は城に残ることを宣言したが、娘三人は城から出して助けたいと涙ながらに語って聞かせた。
勝家も近臣も、主君信長公の姪たちを犬死にさせるのは忍びないと言って願いを了承し、お市の方の情死するという覚悟に感動して、一同涙を溢しつつ盃を傾けるのだった。
日が明けると、羽柴秀吉の軍勢は、本丸に総攻撃をかけてきた。
勝家の精兵が応戦したが、じりじりと数を減らして行った。
昼過ぎに覚悟を決めた勝家は、天守閣に押し込めていた一族子女に刃を向けて
「あの世で会おう、死なば諸共」
そう言って、次々と刃を胸に刺して殺して回ったのだった。
天守閣の床に血だまりができ、皆がぐったりとして動かなくなった後、最後にお市と相対した。
「お市、こんな最期であいすまない。一緒にあの世へ行こう」
そう言って、お市の胸に刀を突き刺そうとした、瞬間、お市は懐に飛び込んで勝家の一刺しをひょいと避け、胸に隠した小刀で勝家の心臓を突き刺した。
「兄の敵、討ち取ったり」
勝家は胸の痛みとお市の言葉に驚いて、目を見張った。
「我は清洲の家臣が皆嫌いじゃった。林も佐々間もお前もじゃ。信秀に仕えた清洲の者など、早々に処してしまえば良かったのに。兄上は存外気が長い。そしてその懐の深さ故、馬鹿どもを赦してしまう、その結果が本能寺の変じゃ。お前と光秀の小心者どもが得難い為政者を殺してしまった」
そう言うと、お市は刺した小刀に力を込めて、ぐるぐると勝家の心臓を抉ったのだった。




