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戦国の白椿 お市の一生 ー本能寺の後始末ー  作者: 有栖 多于佳


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信長とお市

お市は、信長と同腹の五女妹である。

と言うのも、父信秀は武士によく見られる好き者で、信長は二十三人兄弟であり、うち男は十一人居た。

母の土田御前は正室であるが、嫡男信長の前に妾腹の兄が二人と姉が二人。

正室の母は、嫡男信長、次男信勝と姉のお犬とお市を生んだが、可愛がったのは嫡男では無く、次男の信勝唯一人、末子のお市など大して気にも留めない、そんな冷たい母であった。


父も母の意を汲んで、那古野城の城主と言う口実で兄信長を家族の住まう本城の清洲城から追い出したのは六歳の時。

信長は、幼い時より頑固で奇抜、それに対して信勝は父母に対して従順で素直、早々に信勝に家督を譲りたいと父信秀は心中深くでは考えていたようだが、それは多分に信勝を偏愛している母土田御前の意見に依るものであろうと思われた。


姉のお犬もお市も、母からの特別な愛情を感じることも無く、使用人からは未来の外交要員として養育をされていたが、だからと言って大切にされていた覚えも無い。


母はいつも兄信勝の一挙手一投足を誉め可愛がり、それに気を良くした信勝は親や家臣の中では物分かりの言い良い振りをしながら、お市たちの姉妹のことは下に見てバカにして虐めた。


多くの物を与えられるのを当然な顔で受け取りながら、妹のお犬やお市の物をわざと取り上げて、

「お兄様、返して、返してくだされ」

「なに、次期当主の俺に譲ることも出来ぬのか!」

そう言って大騒ぎをしていると、家臣や側近、時には母の土田御前が出て来たりして、


「信勝(若君)に譲ることも出来ぬとは、それではどこにも嫁げませぬよ。男に譲れぬとは嘆かわしい」

その時々で人は変われど言うことは同じで、被害者の姉妹が批難と嫌味を言われる始末。


その度お市は、清洲城にはバカしかいない、いつか絶対にお前たちにやり返してやるからなと悔し涙を流しながらも誓う幼少期であった。


転機になったのは、父信秀が亡くなり、葬儀の場に見たことの無い、父に良く似た面影の男が、派手な格好でやって来て、その位牌に向けて抹香を投げつけたのを見た時であった。


場は騒然となり、母も信勝も大騒ぎし、清洲城の家臣たちは目を三角に吊り上げて『うつけ者』『大うつけ』と口々に叫んだが、お市はその姿に胸がスッとする思いであった。


(ついでに、母にも信勝にも灰を投げ付けてやればいいのに)

そう思ったお市は、どさくさに紛れて線香の立ててある香炉を取りに行くと、母と信勝の方へと走りだし勢いに任せて灰をぶちまけた。

儀場内は灰まみれになり、火のついた線香が、あろうことか信勝の着物に穴を開けた。


多くのその場に居る者は、その様も信長がしたことだと思ったようで更に怒号が飛び交った。


しかし、当の本人信長は、幼い姫が香炉を持って走り出し、母と信勝目掛けて転がる様を見ていたようで、してやったりと転びながらも笑っているその姫の帯を掴んで持ち上げると、さっさと外へと出ていったのだった。


葬儀場から、信長の悪行を責め立てる声が聞こえる中、馬に飛び乗ると自分の前にその幼い姫を乗せ、早駆けしながら自分の居城へと戻っていった。


「さて、お前は俺の妹か、名はなんと申す。いや、なぜ灰を態と撒いた?」

馬から下ろされながら肩に担がれ、奥へと連れていかれると聞かれた。


「兄じゃ?離れて住まう信長兄じゃ?名は秀だけど、好きじゃない。どうせ、おいとかお前とかしか呼ばれないし、誰にも呼ばれぬ寂しい名だと信勝兄じゃが嫌味を言うから。


灰を撒いたのは、信長兄じゃが抹香を撒いたのを見てて、嫌な奴には灰を撒いてやればいいと思ったから真似したの、父様も母様も信勝兄じゃも大嫌い。じいやもねえやも、清洲の者はみな大嫌いじゃ」

興奮で頬を赤く染めながら、そう言う姿を信長は顎に手をやって見ていた。


「ああ、城を追い出されたお前の兄とは俺のことだ、お前は親父殿の秀の字を貰ったのか、可哀想にな。その名が嫌なら俺が名を授けてやろうか、そしてここで俺と一緒に住まうか?」

徐にそう言うと信長は、自分の顎を撫でていた手を大きく広げて『来い』と言ったのである。


「ええと」

戸惑いながらその手を広げる、初めて会う破天荒な兄をちょっと見て、位牌に抹香を撒く兄の真似して灰を母と信勝に被せてやったあの時の高揚感を思い出し、勢いつけて信長のその腕の中へと飛び込んだのだった。


「はは、良く来たじゃじゃ馬め。お前は、今の俺の下に居る一番目の姫だから、壱。お前を壱と名付けよう。お前は今日からお壱だ、わかったな。俺と乱世を生き延びよう」

こうして、秀であった幼い姫は兄信長によって壱と名を変えたのだが、それを伝え聞いた家臣の某が字を間違えて市としたことで、世ではお市と呼ばれるようになったのである。


騒動の末、家督相続が暗礁に乗り上げるように見えたが、結局嫡男と予てより決められていた信長が継ぎ、お市を連れて清洲城へと帰還を果たし、弟信勝と母土田御前を末森城へと追いやったのである。


とは言え、清洲城に侍る家臣たちは、信勝を担いで家督を奪おうと、それから何度も何度も戦を仕掛けてきて、ある時には滔々信勝本人が弾正忠家を名乗り自身が当主のような振るまいをし始めた。


それに呼応するように、父信秀が亡くなってから4年後のある日、林秀貞や柴田勝家という信勝方の家臣が信勝を担ぎ武装蜂起して信長に戦いを挑んだが、結局敗戦したのであった。

一罰百戒として処してしまえと言うのが大方の意見であったし、お市もそうした方が良いと信長に随分言っていたのだが、お市にしては非常に悔しいことに、末森城を包囲した信長に対して、忌々しい母土田御前が『貴方の血を分けた弟でしょう、赦してあげて』と涙ながらに懇願したことで結局謹慎して反省せよという軽い沙汰が下され、敵対した家臣たちも併せて赦された。


「赦されたのに、赦されたにも関わらず、馬鹿は休まないからな、その後すぐにまたもや謀反を企てて」

遠くを見ていた目に、急に茶々の顔を映した。

「では、またも義父様も?」

「いやいや、それがそうじゃない」

お市は溜め息混じりにそう言うとまた続きを話し始めた。



柴田勝家は、信秀亡き後林秀貞と共に信勝に仕えていたのだが、信勝は津々木蔵人と言う衆道相手に心底惚れて、蔵人に強請られるままに、蔵人の実家である津々木家の面々を取り立てるようになった。


古くから仕えていた家臣に不満が募っていたある日、とある報告に上がった勝家は、信勝と蔵人のこそこそと囁く声を襖の向こう側で耳にした。


「信勝様、柴田殿が酷いのです。何某と言いがかりをつけてきたり、『若造がイイ気になるなよ』などと脅したり嫌味を言ったり、私に嫌がらせをしてくるので困っているのです」


「なんだと、アイツめ酷い奴だ、何様のつもりだ。勝家なんぞ融通が利かないつまらぬ家臣など、すぐに遠くへとやってしまおう。そして蔵人お前を最側近に取り立ててやるから、いいか、俺を裏切るなよ」


「勿論です、我が君。私の全てを貴方へ捧げます」


「ふふ、愛やつめ」


勝家は気配を消して、物音一つ立てずにその場をそっと辞すと、そのままの清洲城の信長の下へと走り、信勝が企てている謀反の話を密告したのだった。


「ほお、懲りない男だのう」

信長は顎に手を当てて、擦りながら鷹揚な声色で返事をした。


「殿から与えられた温情を理解しておりません。このまま置いておけば、一族の結束もままなりませぬ。殿、早々にご決断を」

勝家は、ほんの数時間前まで仕えていた主人をあっさりと見捨て、宿敵と目していた信長に始末させるように迫ったのだ。


「では、俺が病気になったと耳に入れ、見舞いに越させろ。そこで処そうぞ」

そう言って、勝家が本心から信勝を処す気があるかを見定めて後、信勝を信長方で処すことにした。


勝家は、取って返して信勝に、信長が病気になったので見舞いに行くようにと強く進言したのだが、信勝は渋って

「なぜ、俺がわざわざあんなうつけを見舞わねばならんのだ。とっとと死ねば悩みが一つ減るだけだ、見舞いなど不要だ。とっとと去れ」


「本当に、柴田殿は信勝様を第一にお考えか。家臣であったら、見舞いなど申さず、寧ろ早く死ぬようにと陰陽師に呪いの読経を上げさせるのでは?」

そう言ってシッシと手を振り、蔵人と厭らしく嗤った。


そこで勝家は、母である土田御前に、信長の病気の見舞いに信勝が行かないことは、今後の信勝の織田家での立ち位置に関わると上申し、それを信じた土田御前が信勝を説得して、信勝になんとか清洲城へと見舞いに行かせることに成功したのだった。


「まあ、じゃあ、主君を甘言で死へと追いやったのですか」

茶々が目を丸くし、驚いて勘高い声を上げた。


「ああそうじゃ。そうして、控えの間で待たされてた信勝はそこで兄上の家臣によって始末されたのじゃ。哀れ、同じ時同じ城に母もおったのにのう」

お市が片側の口を少し上げた歪な笑顔を見せた。


「まあ、お祖母様も一緒に登城したのですね、でもなぜ控えの間にお出でにならなかったので?」

茶々が不思議そうに呟いた。


「それは勿論、兄上が母の目前で愛息の死を見させるのは不憫だろうと言ったから、しょうがない、我が声をかけて部屋の外へと連れ出して、その間に黒母衣衆の川尻が切り殺したからだな」

お市は然も当然のように、自身の次兄の最期を語った。


「いいか、茶々。人は変わらん。勝家と言う男は嫉妬深い男じゃ。世間では男気の鬼柴田などと呼ばれているが、あやつの本性は公家の姫より余程女々しく嫉妬深い。その上、利己的で自己保身。忠義よりも先に自分可愛さに先んじる、あいつはそう言う卑怯な男じゃ」


お市は、茶々の養父である柴田勝家の人となりを冷めたい口調で、初めて言って聞かせたのだった。



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