第84話 管理人との話
――落ちた。
そんな感覚すら、本当はなかったのかもしれない。
音もなく、色もなく、重さもない。
真っ黒、というより「何もない」空間に、俺の意識だけがぼうっと浮かんでいるような感覚だった。上下の区別もなく、手足を動かそうとしても、自分に手足があったことすら怪しく思えてくる。
死後の世界、ってやつか? にしては、もうちょっと情緒ってもんがあってもいいと思うんだが。
そんなくだらないことを考えていると、唐突に「足場」の感覚が戻ってきた。
ぐい、と下から押し上げられるような感覚。何もなかった闇の底から、薄い光がじわじわと滲み出してくる。足元から、透明な板みたいなものが生え広がっていくのが分かった。
半透明の床が、波紋のように広がる。暗闇の中に、部屋の輪郭がゆっくりと「描かれて」いく。
簡素なテーブルと、椅子が二脚。
「――おお、おぬしか。おぬしか」
聞き覚えのある、どこか呑気な声。
声の方を向くと、自称・管理人が、楽しそうに立っていた。
顔をくしゃくしゃにして笑っている。
「いやぁ、こっちまで来るのが久しぶりでな。つい気が張ってしもうたわ!」
自分でケラケラ笑いながら、ひょいと顎をしゃくる。
「立ち話もなんじゃからの。座って話をしようかの」
そう言って、テーブルの一方の椅子を、当然のように俺に向かって手で示す。
……いやいや、待て。
突っ込みどころは山ほどある。とりあえず、一番デカいところから行こう。
「その前に、確認させてほしいんですけど」
自分の声を聞いて、少しだけ安心する。ちゃんと口が動いてる感覚がある。体も、少なくともここでは普通に動かせそうだ。
「俺、さっき――頭、潰されましたよね?」
「潰されとったなぁ」
あっさり頷くんじゃない。
「ですよね!? ですよね!? 感触、生々しかったんですけど!? あれの直後に、さっきみたいな化け物じみた動きしてたの、どう考えても俺じゃないですよね!?」
詰め寄る俺に、管理人は「まぁまぁ」と手を振る。
「落ち着けい、落ち着けい。座れ、座れ。話はそれからじゃ」
そう言って、今度は少しだけ押し込むような圧を乗せてくる。うぐ、と潰れるような圧迫感を感じて、黙る。
……はぁ。
ため息を吐いて、渋々椅子に腰を下ろした。管理人の方も対面に座り、指先でテーブルをこつこつと叩く。
「さて。何から話すべきかの」
「とりあえず、あの“妙な強さ”の説明からお願いします」
「せっかちなやつじゃのう。……が、まぁ構わん」
管理人は顎を撫でながら、少し楽しそうに目を細めた。
「さっきのはの、おぬしの本来の力に、ワシがちいと上乗せしてやっただけじゃ」
「“だけ”ってレベルじゃなかったと思うんですが」
「おぬし、自覚がないだけで、だいぶおかしなステータスになっとるぞ?」
さらっと怖いことを言うな。おかしいってなんだよ。
「それとな。おぬしの目の前にも、文字が流れたじゃろ?」
言われて、さっき見たシステムメッセージを思い出す。
《死亡時、一度だけ復活》とか、《対象の資質に応じてステータスが上昇》とか、《以後管理人の使徒として任意の指示を受ける義務が発生》とか――あれだ。
「《死亡時、一度だけ復活》――それが、今発動したんじゃ」
管理人が、俺の思考をなぞるように言う。
「おぬしは一回、あそこでちゃんと死んどる。頭を潰されて、心臓も止まっとる。そこから、こっち側の権限で無理やり“巻き戻して”やったわけじゃな」
あっけらかんと言い切られて、背筋がひやりとする。
やっぱり、ちゃんと死んでたのか、俺。
「ついでに、おぬしの“資質”に合わせてステータスも底上げしておいたわ。あんな動きが“常時”出るほどじゃないが、さっきよりはだいぶマシになっとるはずじゃ」
「“ついでに”って……。そんな簡単に出来るもんなんですか?」
管理人は肩をすくめて、けれど少しだけ表情を改めた。
「ともあれ、じゃ。蘇らせるのは“タダ”ではない。ワシらも万能ではないでな」
その目が、ほんの少しだけ真剣になる。
「代わりに、おぬしには“使徒”として、ワシらの頼みごとを聞いてもらう。それが制約じゃ」
復活したのはありがたいが、妙な方向に話がなってきた。
「その“頼みごと”ってのは、具体的に?」
「そこまで細かい話は、まだせんでいい」
管理人はあっさりと言う。
「今のところは、“試練”やら“迷宮”やらを悪用しておる連中を見つけたら、ちょいと目をつけておいてくれればそれでよい。……今回のマシューとやらも、その一つじゃな」
あの金髪の顔が脳裏をちらつく。
まさかの管理人に目を付けられていたとは。マシューの奴も大概らしい。
「ワシらはの、“世界そのもの”を守っとる側じゃ」
管理人の声が、少し低くなる。
「おぬしらの国とか、国境とか、そういうレベルの話ではない。“迷宮の向こう側”も含めてな」
世界そのもの。
スケールがでかすぎて、俺にはいまいち実感できない。
それに、“迷宮の向こう側”と来たもんだ。
「とはいえ、おぬしを無理やりどうこうする気はない」
管理人はそこで、もう一度笑った。さっきとは違って、少しだけ寂しそうな笑い方だ。
「ワシらにできるのは、“機会”を与えるところまでじゃ。おぬしがそれを掴むかどうかは、おぬし自身の選択よ」
「じゃあ、従わなかったら?」
ストレートに聞いてみる。
「“使徒なんて御免だ、俺は俺の生活に戻る”って言ったら、どうなるんです?」
管理人の目尻の皺が、少しだけ深くなった。
「簡単な話じゃ」
声の調子は穏やかなままだというのに、視線だけ冷たい。
「いずれおぬしの世界が壊れるだけじゃ」
淡々とした口調が、一番こたえる。
俺にだって、世界がどうのと言われたらやってやろうって気も、多少はある。つもりだ。
「とはいえ、すぐにどうこうという話でもなし、お前さんが断ったところで、可能性が多少動く程度のもんでしかない。そこまで気に揉まんでも問題ない」
管理人は続ける。
「ワシらは“強制”はようせん。おぬしが“もう関わらん”と言うなら、ここで話を終わらせてもいい」
……ほんとかよ、と一瞬疑いそうになるが、嘘をついている空気ではない。
「ただ、そのときは“世界に起きること”を、傍観者としてしか見れんがな」
ぽつりと落とされた言葉は、脅しというより「忠告」に近かった。
「ワシらができるのは、“説明”と“選択肢”を渡すところまでじゃからの。あとで“聞いてなかった”“知らなかった”と言われるのは、ちぃと心外での」
管理人はそう言って、また笑う。
ずるい言い方だな、と思う。
良心を人質に取るのは、たちが悪い。少なくとも、俺みたいな中途半端な人間には、特に。
「……ずるいっすね、管理人さん」
頭を掻きながら、ぽつりと呟く。
「ワシは正直者じゃぞ?」
どの口が言うのか。
思わず苦笑が漏れた。




