第81話 共闘
短剣を構え直した瞬間、視界の端に光が走る。
──いや、光じゃない。目の前にパネルだ。
【試練との接触を確認しました】
【接触者が固有スキル保持者と確認】
【接触者が管理者とリンク済みを確認】
【試練の難易度を調整します】
【対象者のレベル、状態を元に試練のレベルを上昇します】
「……っ、なんだこれ……!」
三鷹で見たときの表示と微妙に違う。
“管理者とのリンク”……? あのときの、管理人と名乗った男のことか?
嫌な予感が背筋を這い上がる。確実に想定外のことが起きている──しかも悪い方向で。
視線を逸らさず、背後のジョンに声を飛ばす。
「バフはどれくらい持つ!?」
返ってきた声は、これまで聞いたことのない焦りを含んでいた。
「二十分! 一戦闘はそれ以内で終わらせるのが常だった! 掛け直しは……タイミングが難しいぞ!」
二十分。
短いようで、長いようで……だが、長期戦になればなるほどこちらが不利。
つまり──仕留めるなら速攻しかない。
「行くぞ!!」
自分を鼓舞するように声を張り上げ、一気に地を蹴る。
ザッ、と砂が跳ねる。
足元は緩くて踏み込みが甘くなるが、バフが乗った身体はいつも以上に軽い。速度でごまかせる。
一直線に飛び込み、正面から横薙ぎの一閃を叩き込む──
「っ……!」
だが、それは一本の腕に持たれた短剣にあっさりと受け止められた。
硬質な金属音が響き、手に痺れる衝撃が走る。
「くっ!」
構わず次の攻撃につなげようとした瞬間、反対側から別の腕が伸び、鉤爪が弾丸のように迫る。
咄嗟に飛び退き、距離を取ろうとしたその時だった。
「──っ!」
杖を構えた腕の先端が、まばゆい光を放つ。
閃光が一直線に俺を貫こうと迫ってきた。
「うおっ!!!」
横っ飛びでかわす。だが避けきれず、脇腹をかすめる灼熱が走った。
布と肉が抉られる嫌な感触。痛みで息が詰まる。
そのまま閃光は背後の地面へ突き刺さり、一瞬の静寂の後──
ドォン!!
地響きと共に爆炎が巻き起こった。
砂と熱風が全身に叩きつけられ、思わず顔をしかめる。
……足元を狙われていなくて、本当に助かった。あんなの直撃したら、ひとたまりもなかった。
張りつめた肺から、荒く息が吐き出される。
「……はぁ、はぁ……クソ、なんて化け物だ……!」
今までの相手とは格が違う。
こいつは、確実に“強敵”だ。
六本の腕を広げた“試練”が、無感情のまま俺を見据える。
次の瞬間──地面を抉る勢いで突進してきた。
「っ……!」
<影走りの短刀>を横に払う。
だが、一本の腕が受け止め、さらに残りの腕が連鎖のように襲い掛かる。
剣、鉤爪、杖……それぞれ軌跡が重ならぬよう、まるで訓練された剣士たちが同時に襲ってくるかのようだ。
ガギィンッ! ギャリッ!
弾いては避け、避けては受け止める。
短刀だけでさばくには限界が近い。斬撃の衝撃で肩が痺れ、呼吸も荒くなっていく。
「あと数秒だけ耐えろ!」
背後でジョンの声。
ちらりと目の端に映る。杖を両手で握り、低く呪文を紡いでいる。
詠唱に合わせて空気がざらつき、ジョンの足元から黒い靄が立ち昇る。
「はぁっ!」
俺は踏み込み、斬撃をあえて弾かせて大きく距離を作る。
追撃が来る──そう思った瞬間、背後のジョンが杖を振り下ろした。
「影沈める鎖よ──その脚を縛れ!」
黒い靄が地を這い、試練の足元に絡みつく。
瞬間、奴の動きが一瞬鈍った。
「ナイスだ!」
その隙を逃さず、俺は踏み込み直す。
六本の腕が再び構えを取り戻す前に──短刀を閃かせ、胴へと切り込んだ。
だが、深々と斬り込んだ感触があるのに、血の一滴すら出ない。
代わりに、粘ついた鱗のような感触と共に、冷たい視線が俺を射抜く。
「……やっぱ、そう簡単にはいかないか!」
荒く息を吐き、再び刃を構え直した。
“試練”がちらりと、自分の胴を見下ろした。俺の刃が確かに食い込んだはずの箇所。
六本ある腕の一本が、そこをなぞるように撫でた瞬間──ぞわりと嫌な音を立てて、抉れた鱗と肉がみるみる塞がっていく。
「……は、はぁ!? くっそ、なんてインチキだ!」
思わず口から悪態が漏れる。
せっかく切り込んだ傷が、一瞬で無かったことにされるなんて、悪夢以外の何物でもない。
ジョンのデバフは確かに効いた。奴の脚は縛られて、一拍動きを止めた。だが、それだけ。
俺の短刀は通りが悪いし、唯一の攻撃役であるジョンがどこまで火力を出せるかも分からない。
──でも、立ち止まって考えている暇はない。ここで突破口を探らなきゃ、全員まとめて潰される。
「ジョン! 次は攻撃魔法だ! こっちで足止めするから、合図をくれ!」
返事を待つ余裕もなく、俺は地を蹴った。
今度は手数重視。威力を抑えてでも速さを優先する。
ザシュ、ガキィン、シュッ!
縦横無尽に駆け回り、斬りつけては離れ、また斬り込む。砂を巻き上げるたびに砂柱が立ち、それすら目隠し代わりに使う。
とにかく奴の反撃に隙を与えないよう、連撃で押し込む。
“試練”は受け止め、弾き返し──その六本の腕を巧みに操り、応じ続ける。防戦一方に見えなくもないが……いや、違う。こいつはまだ余裕を残してる。俺の出方を測ってやがる。
「……チッ、やりにくい!」
背後で、ジョンの魔力の気配が膨れ上がるのを感じる。空気がぴんと張り詰め、肌に細かい電流が走るような緊張感。
まだか……! 早く撃て!
ちらりと視線をずらせば、“試練”の瞳がジョンをも意識しているのが分かる。それでも、奴はまず俺に集中してくれていた。
──ならば、今のうちに。
俺はさらに速度を上げ、刃の閃光で奴の意識を縛りつける。
「っつ! 行くぞ、離れろ!」
ジョンの大音声が響く。
その叫びに反射的に反応し、俺は渾身の一撃で“試練”の腕を弾き飛ばすと同時に、大きく跳躍した。
砂を蹴り上げて宙に浮かんだ瞬間、熱気を孕んだ空気が背を押す。
視線をそらした先で、ジョンが杖を振りかざしていた。
彼の魔力が一気に収束し、膨れ上がり──真紅の火球が生まれる。
「喰らえええええッ!!!」
振り下ろされた瞬間、火球は轟音を伴って落下する。
人ひとりどころか、小屋ぐらいなら呑み込めるほどの巨大さ。
俺が飛び退いたのは、ほんの数瞬の差。遅れていたら、確実に巻き込まれて灰になっていた。
“試練”もさすがに危険を察したのか、身を翻そうとする──だが、間に合わない。
ドォンッ!!!
地面が裂け、光と炎と轟音が世界を飲み込む。
爆風が叩きつけてきて、宙で体勢を崩す。咄嗟に受け身を取り、砂を滑ってジョンの傍らへ着地した。
肌を砂粒が容赦なく打ち、焼けつく熱が頬を刺す。
俺とジョンは揃って爆心地を凝視した。
煙と炎がもうもうと立ち上り、熱気で揺れる空気の向こう──やがて、赤熱した砂がガラス化し、クレーターの底で鈍く光を放っていた。
「……やったか?」
ジョンが、震える声で呟く。
その直後。
ずぼり、と音を立てて、俺たちの背後の地面が突き破られる。
条件反射で振り向いたときには──もう遅かった。
「──っ!?」
ジョンの胸を、湾曲したナイフが貫いていた。
柄の向こうに、無表情の“試練”の顔。舌をちろりと覗かせ、冷ややかな眼差しで俺たちを見下ろしている。
胸を突き抜けた刃先から、じわりと赤が溢れた。




