第7話 初めてのレベルアップ
あの後、駅前のコンビニまでの道のりを、俺はゆっくりと歩いていた。
道中、視線は常に足元や植え込みの影へと注がれていた。
目当てはもちろん“ゴミ”だ。
空き缶、ペットボトル、破れたビニール傘の骨、錆びたスプーン。
一つひとつ拾い上げるたびに、それらは光に溶けるようにして消え、代わりにポイントとなって加算されていく。
コンビニに着いた頃には、シャツの背中にじんわりと汗がにじんでいた。
朝食用にサンドイッチ、昼のために弁当を一つ、ついでに飲み物とお菓子をいくつか。
レジを終え、袋を提げたまま、今度は帰り道。往路とは別の裏通りを選んで歩き始めた。
そこにもまた、点々と小さな“宝”が落ちている。
ただ、行きのような大物は見つからなかった。
得点は細かく、回収も地道なものだった。
ようやく家にたどり着いたときには、どっと疲れが押し寄せてくる。
靴を脱ぐなり袋をテーブルに置き、すぐさまサンドイッチを取り出して一気に頬張る。
ペットボトルの紅茶を開け、乾いた喉に流し込むと、ようやく一息つけた気がした。
「ふぅ……」
汗をぬぐいながら、意識を集中する。
――パネル、表示。
――【合計ポイント : 924P】
「おお、ここまで来たか……あと少しで、1000」
満足げに表示を眺めていると、ふと、テーブルの上に残されたペットボトルが目に入った。
飲み終えたばかりのそれは、冷たさが残るうちに、どこか“ただのゴミ”に見えていた。
「……あれ、これも?」
言葉にしながら、おそるおそる手を伸ばす。
指先が触れた瞬間――
ペットボトルが、まるで溶けるようにして消えた。
直後、頭の中にポイントの更新が走る。
――【合計ポイント : 925P】
「うわっ、やっぱり!」
思わず立ち上がる。体中に電流が走ったような衝撃だった。
今まで“道に落ちているもの”ばかりに意識を取られていたが、よく考えれば、
この家の中にも、“使い終わったモノ”は山ほどある。
「じゃあ、昨日の弁当のパックとか、空き缶とか……!」
慌ててキッチンへ向かい、ゴミ箱を引っ張り出す。
次々と手に取っては意識し、ゴミを一つひとつ“変換”していく。
冷蔵庫の隅に残っていた期限切れのカップヨーグルト、破れたビニール袋、使い古したスポンジ。
手が止まらない。気づけばキッチン周辺がずいぶん片付いていた。
「……よし、どうだ」
パネルを再び呼び出す。
――【合計ポイント : 1,069P】
「……届いた」
思わず、ソファに崩れ落ちる。肩で息をしながら、天井を見上げた。
ゴミ箱一つで、部屋も心もこんなにすっきりするとは。
「いや、違うな」
そう呟きながら、俺は微笑んだ。
本当に清々しいのは、目標をひとつ達成したという、この感覚だ。
“1000ポイント”という最初の大台。
そして、その先にある――
「経験値変換球、手が届くな」
俺はパネルをじっと見つめながら、次なる一歩を踏み出す準備を始めた。
静かに息を吸い込み、目の前に浮かぶ半透明のパネルへと意識を集中させる。
パネルの中ほどに、ひときわ目を引くアイテム名が表示されていた。
――【経験値変換球(最下級) : 1000P】
「……これだ」
積み重ねてきた日々のゴミ拾い、その成果とも言える千ポイント。
そのほとんどを、この謎のアイテムに費やす。
冷静に考えれば無謀だ。だが、それでも確かめてみたい。
自分の手で――“レベルアップ”という現象を。
「……ままよ」
決意を固めた俺は、表示されたアイテム名にそっと指を伸ばし、画面を押し込んだ。
その瞬間――
空間が揺らいだような感覚とともに、パネルの手前に白い球体がふわりと現れた。
まるで重力に逆らうかのように、ゆっくりとこちらへ降りてくる。
今度は、昨日のように慌てることもない。
俺はそっと両手を添え、浮かぶ球を受け止めた。
「……これが、経験値変換球か」
白く滑らかな表面。継ぎ目も模様もない、無機質な球体。
サイズは野球ボールほどだが、持ってみると拍子抜けするほど軽い。
まるで中身が空っぽのトイカプセルのような、そんな頼りなさだ。
「使い方は……どうするんだ?」
首を傾げながら見つめていると、不意に球がふっと手から浮かび上がった。
「えっ……?」
次の瞬間、球体は音もなく砕け散り、細かい光の粒へと変わる。
銀色とも金色ともつかない、幻想的なきらめきが、ふわりと宙を舞い、俺の全身を包み込んだ。
まるで霧のようなその粒子は、触れるたびに身体の奥へと染み込んでいく。
皮膚を通り、血管を巡り、骨の髄へ――
ピロン!
突然、脳内に澄んだ電子音が鳴り響いた。
「うわっ!? な、なんだ今の音!?」
思わず身をのけぞって声を上げた。
だが、すぐに思い至る。
(まさか……ステータスが!)
慌ててポケットから黒と白のカードを取り出し、白面を上にして“ステータス”と念じる。
そして表示された内容を見た瞬間――俺は思わず、言葉を失った。
【種族 :人間】
【レベル:9 】
【経験点:1,000】
【体力 :78 (+73)】
【魔力 :16 (+15)】
【筋力 :39 (+36)】
【精神力:66 (+60)】
【回避力:56 (+51)】
【運 :7 (+2)】
「……マジかよ」
思わず呟いた声が震える。
レベル0から一気に9。
ただの空き缶やゴミを拾って得たポイントで、こんなにも劇的な変化を遂げるなんて。
(この“+”の数値は……今回のレベルアップで増えた分ってことだよな)
冷静に分析を試みるも、胸の高鳴りは抑えられない。
もともと5前後だった能力値が、ほとんど10倍近くにまで跳ね上がっている。
唇の端が自然に緩む。笑いを噛み殺すのがやっとだった。
だがそれは、不気味な興奮や暴走ではなく、ただ純粋に――“可能性”に対する喜びだった。
(つまり……拾ったゴミをポイントに変え、ポイントを経験値に変えれば、いくらでも強くなれる)
単純で、明快なロジック。
誰も気づかないゴミの山が、俺にとっては金鉱石のように輝いて見えた。
「……ただ、使う場所は考えないとな」
急激なレベルアップによる体の変化は、今のところ感じられない。
けれど、いつどんな影響が出るかわからない。
誰かに見られていたら怪しまれていたかもしれないし、人目のない場所で試すのが無難だろう。
(そうだな、次は……ちょっとした検証が必要だ)
俺はカードをそっと胸ポケットにしまい、深く息を吐いた。
“ステータス”という力を手に入れた以上、次にするべきは――その“真価”を知ることだ。