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第66話 ここは一体どこなのか

 ザク、ザク、と乾いた音が足元から立ち上がる。

 白い砂浜を、二人並んで歩く。まばゆい日差しの下、俺とメイリンはとりとめのない会話を交わしながら、まるでただの観光客のような足取りで海岸線をたどっていた。


 あの異様な階層に一人で飛ばされたときと比べたら、まるで別世界だ。今は、隣に人がいる──それだけで、胸の奥の緊張がほどけていくのがわかる。


「さて、とりあえず歩き出してみたものの……」

 ふと立ち止まり、軽く首をかしげながら言うと、メイリンは陽射しに目を細めつつ、顎に手を当てて考え込んだ。


「うーん……まずは人里を探すことね。もしここが現実世界なら、何か人工物が見つかれば、そこから場所の手がかりも得られるはず」


 その言葉に俺も頷き、周囲に目を巡らせる。

 潮の香りを含んだ風が、波打ち際から吹き抜ける。海はどこまでも青く、空との境すら曖昧だ。波が岩場をかすめ、白い泡を残して引いていく。その音が、やけに静かに耳に沁みた。


 ──と、そのとき。


「あれ……! 見ろ、メイリン! あそこ、小屋みたいなものが建ってないか?」


 崖の上、草に埋もれるようにしてぽつんと建っていたのは、四角い影。双眼鏡があればもっとはっきり見えただろうが、目を凝らせば、どうやら建物であることは間違いなさそうだった。


「ほんとだ! よし、行ってみましょ!」


 二人して視線を交わすと、そのまま駆けるようにして岩場の脇を進んだ。崖の根元に回り込むと、運よく上へと続く、草に覆われた獣道のような斜面があった。

 俺たちは互いに無言の了解で、足音を抑えながら登る。いつ、何が出てきてもおかしくない。迷宮の経験が身に染みているせいか、慎重さだけは自然と身についてしまっていた。


 そして──登りきったその先に、目当ての建物があった。


 草むらに囲まれた小さなログハウス。木組みの壁は風雨に晒されてか、やや色褪せてはいたが、まだしっかりと形を保っている。ドアは閉じていて、窓にはカーテンがかかっている様子もない。人の気配は、なかった。


「うーん……人はいない、か。けど……」


 俺はドアの脇に立てかけられていた看板に目を止める。英語だ。そこに記された文章を、頭の中でゆっくり読み下ろす。


「“鳥類監視センター 私有地につき、無断立入禁止”……そんなところかな」


「えっ、なになに? 何かあったの?!」

 メイリンが俺の顔を見上げて、ぱっと表情を明るくする。


「そうだ。英語の看板があるってことは──やっぱり、ここは現実世界みたいだ」


「やったぁ!」

 メイリンはその場でぴょんと小さく跳ねて、パチンと手を合わせた。


 ……どうやらちゃんと帰ってこれたようだ。


 あの管理人──名前も正体も未だによく分からない、あの得体の知れない存在を、全面的に信用していたわけじゃない。

 ほんの少し──ほんの少しだけ不安は残っていた。


 だが、こうして現実世界らしき場所へと戻ってこられた以上、とりあえずは上出来だ。あの“帰還の扉”が、罠でも悪戯でもなかったことに、ほっと胸を撫で下ろす。


 ──さて、次はここが一体どこなのか、だが。


「うーん……英語圏ってだけじゃ、まだまだ範囲は広いわよねぇ」


 メイリンが空を仰ぎながらつぶやく。広がる青空、照りつける太陽。潮風の匂いと、鳥の声。

 確かに、海沿いのどこかということは分かっても、ここが“どこの国の、何州の、何という地名”なのかなんて、見当もつかない。


「とりあえず、道の先に進んでみましょ。もしかしたら、何か手がかりがあるかも」


「そうだな。ただ……“私有地”ってのが気になるな。変に人に見つかると、面倒なことになりそうだ」


 俺は道の脇に目をやる。そこには小さな森が、緩やかに道と並行して伸びていた。


「道から目を離さずに、森の中を進もう。視界も確保できるし、気配も隠せる。少なくとも、通報されるよりはマシだ」


 こんな状況だ。俺たちは一応“帰還者”ではあるが、他人の目から見れば「どこからともなく現れた不審者」に過ぎない。

 現代社会でそれが意味することは──想像に難くない。


「……そうね。変なごたごたに巻き込まれないように、気をつけて進みましょう」

 メイリンは唇を引き結び、小さく頷いた。


「よし、じゃあ行くか。うまくいけば、そう時間もかからず人里に出られるかもしれないしな」


 俺たちは並んで森へと足を踏み入れた。木々は密生しているわけではなく、光も差し込んでくる程度に開けている。足元に草は多いが、歩行の妨げになるほどではなかった。

 時折、森の切れ間から舗装された細道がちらりと見える。道と並行して進んでいることを確認しつつ、注意深く前へ──


「……あれは、門?」


 しばらく進むと、道を遮るようにして簡素なゲートが見えてきた。金属製の柵と支柱。簡易だが、それなりの強度はありそうだった。


 辺りに人気はない。人の気配どころか、鳥の声すら聞こえない。

 だが、こうしてゲートがあるということは──恐らく、ここが“私有地”との境ということなのだろう。


「……越えるしか、ないわね」


「だな。慎重にな」


 俺たちは互いに周囲を見回し、誰もいないことを確認してから、柵の前に立った。

 俺が先にジャンプして、柵を超える。……その瞬間、ふと奇妙な違和感が走った。


「……ん?」


 身体が、妙に軽い。着地の感覚も、いつもよりも柔らかく、足裏で草を踏んだ音すら鈍く聞こえる。


 ……気のせいか? 


 そう思いながらも、すぐに背後からメイリンが跳躍した。


「うわっ、ちょ、ちょっと……!?」


 予想以上に高く跳んだらしく、空中でバタつくように体勢を整え、何とか着地する。草を踏む音が軽く響き、彼女は両手を開いたり閉じたりしながら、きょとんとした顔で俺を見る。


「なんか、変な感じ。体が軽いっていうか……レベルアップのせいかしら?」


「……そうかもしれない。俺もさっき気づいた。レベルアップで現実世界での身体能力も上がるが、迷宮内で結構な上昇もしたしな」


 ダンジョン内ほどではないが、レベルに比例して現実世界でも身体能力は上がる。

 その上り幅が高かったせいかもしれない。


「そのあたりの確認も、あとでしてみよう。まずは、場所の特定が先決だ」


 俺は門の柱に貼られていた張り紙へと目をやる。何枚かの板が釘で打ち付けられ、その全てに警告文が記されていた。


「……内容は、さっきの小屋とほぼ一緒だな。“無断立入禁止”“私有地につき通報の可能性あり”って感じだ」


 誰かが日常の中で貼り付けたような、ありふれた文句。

 だけど今の俺たちには、それがやけに現実のにおいを強く感じさせた。




「……よし。たぶん、ここから先は道も舗装されてるし、公道だろう」


 俺は足元に視線を落としながら、小さく息を吐く。

 あの門を越えてしばらく森を抜けてきたが、道幅も広くなり、柵や警告も見当たらない。

 周囲の景色も開けてきて、何より“人工の匂い”がする。風に乗って届く洗剤の残り香や、土の中に混じる排水のにおいが、それを物語っていた。


 道は左右に分かれていたが──どちらに行っても大差はなさそうだった。


「左に行ってみるか。なんとなくだけど、こっちの方が人の気配がありそうな気がする」


 根拠はない。けれど、こういうときの直感は、意外と頼りになる──気がする。


 メイリンも頷き、俺たちは左の道を選んで歩き始めた。


 舗装された道の両脇には、手入れされた低木や、風に揺れる野花が並んでいる。時折、足元で小さな昆虫が跳ね、鳥の鳴き声が木々の上から降ってきた。


 やがて視界の先に、住宅らしき建物が数軒、姿を現す。

 白い壁に赤茶けた屋根、少し古びてはいるが、どの家も丁寧に手入れされているのが分かる。

 庭には小さな花壇があり、物干し竿には洗濯物が揺れていた。シャツ、タオル、シーツ──どれも風に乗って、陽光の中できらきらと光っている。


「……よかった。ちゃんと人の暮らしがある」


 思わずそう呟いていた。メイリンが横でふっと微笑む。


 そのまま道を進むと、小さな商店のような建物が見えてきた。

 海外の“よろず屋”といった風情だ。コンクリの壁とガラスの引き戸、軒先には色あせた日除けの布が揺れている。


 店先には型落ちの、古めかしいガラス扉の冷蔵庫。中にはカラフルな炭酸飲料が並んでいて、ボトルの表面にうっすらと結露が浮かんでいる。


「……飲み物があるってだけで、文明を感じるな」


 思わず笑いながら呟く。すると店の脇に、原付が二台停められているのが目に入った。

 エンジンは止まっているようだが、中から誰かの話し声が聞こえてくる。


「……!」


 俺は思わず立ち止まった。


 その声が──耳に入った瞬間、意味を理解できたのだ。

 話しているのは、間違いなく英語。だが、俺の頭の中では、自然に、まるで母国語のように意味が流れ込んでくる。


「これは……」


 驚いて横を見ると、メイリンも少し目を見開いている。


「……メイリン。今、あの会話……聞こえたか?」


「ええ。聞こえたし、理解できたわ。何か、変な感じね。ちゃんと“英語を話してる”って意識はあるんだけど──すんなり入ってくるの」


 彼女も同じ現象を体験しているらしい。俺は眉をひそめたまま、店の方を見やる。

 脳が翻訳してるわけじゃない。聞いた瞬間に、理解ができる。まるで“その言葉を元から知っていた”かのように。


「……あとは、俺たちの言葉が向こうに通じるか、だな」


 俺は自分の口から出る言葉を意識してみる。日本語を話しているはずだが、それすら一瞬わからなくなるほど、頭の中が混乱していた。


「メイリン、英語はどうなんだ? 俺は、まぁ……少し話せる程度で、旅行でどうにかなるかどうかってくらいだが」


「私は大丈夫。日常会話レベルなら問題ないわ。向こうに通じなさそうなら、私が話すわね」


 そう言って、メイリンはにっこりと笑い、親指を立てて見せた。


 その自信に、思わず肩の力が抜ける。

 ──頼もしいな。


「じゃあ、行こう。変に警戒されないよう、穏やかに、な」


 俺たちは商店の方へと、ゆっくり歩を進めた。

 言葉が通じるかもしれない。人がいる。──その一つ一つが、希望に思えた。

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― 新着の感想 ―
知力ステは関係ないよな迷宮適応でもなさそうスキルは生えないから言語理解でもなさそうだし なにが起こってるのか続きが楽しみです
迷宮の外?なんでメイリンと会話できてるんだ? 迷宮の影響が外にも漏れ出した?いや、ステータスが上がったから…は、違うな じゃあ管理人から貰ったお詫び? もしくは作者さんが設定忘れたか? とか色々考え…
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