第6話 ポイント検証
目覚ましのアラームが鳴ったのは、まだ東の空が淡い桃色を帯びる六時ちょうどのことだった。
「……ん、もう朝か……」
寝不足の目をこすりながら、俺は布団の中でゆっくりと身を起こす。
昨夜の興奮が尾を引いていたのか、なかなか寝つけなかったせいだ。
それでも、身体は律儀に目覚めてしまう。まるで社会人時代の習慣が骨の髄まで染み付いているかのように。
(もう、働かなくていいってのに……)
天井をぼんやりと眺めながら、苦笑が漏れる。
“いつ起きてもいい”──そんな贅沢な状況を手に入れたはずなのに、脳はまだ現実に追いついていないようだった。
「アラームの設定、変えとくか……」
スマホを手に取り、指先でスワイプしながら、眠気混じりの思考で操作する。
だが、操作の手がふと止まる。
(……いや、しばらくはこのままでもいいか)
昨日のあれこれが思い出される。
ステータスの確認、ゴミから得られるポイント、そして交換可能な“アイテム”。
未知の仕組みに足を踏み入れたばかりの今は、むしろ早起きが歓迎すべき興奮なのかもしれない。
「……んじゃ、朝飯がてら買い出し行くか」
軽く首を回し、身体を起こして身支度を始める。
実は昨日の時点で、夕方にスーパーに寄るつもりだったのをすっかり忘れていた。
冷蔵庫は空っぽ。必然、朝の買い物は“任務”となる。
さっと顔を洗い、髪を整え、着替えは手近なラフなTシャツとデニム。
まるで休日の散歩に出るような軽装だが、それで十分だった。
玄関でスニーカーを履く前に、ポケットを探る。
「……あった」
取り出したのは、昨日のうちに見つけていた軍手。
この“アイテム”が今日の探索には欠かせない。
(拾ってポイントに変換できるのは、自分で拾ったもの限定、か……)
つまり、手が汚れる前提だ。
念のため軍手を装備しておけば、快適さも効率も格段に上がる。
扉を開けると、朝の空気がすっと肌を撫でた。
まだ七時前だというのに、すでに太陽はじりじりと気温を押し上げ始めている。
「夏の朝って、こうだったな……」
陽射しに目を細めながら、歩き出す。
(さて……今日は、ちょっと遠回りするか)
いつもなら近所のコンビニで済ませるところだが、今日は違う。
一駅向こうの別のコンビニを目指すことにした。
理由は単純。ポイントの効率を測るためだ。
どれだけ落ちているのか、どのくらいの物がポイントになるのか、
散歩がてらの検証としてはちょうどいい。
アスファルトの道を踏みしめる靴音が、静かな朝の通りに吸い込まれていく。
通勤の人影もまだまばらで、聞こえるのは鳥のさえずりと、遠くで走る車の音。
「よし……行くか」
* * *
昨日立ち寄ったコンビニまでは、歩いてせいぜい10分の距離だった。
しかし、今回目指す一駅先の店舗となると話は別だ。
以前に一度、運動がてら歩いて向かったことがあったが、そのときはゆうに一時間を要した記憶がある。
しかも今日は、道中でゴミを拾いながらの進行だ。時間が倍以上かかることは覚悟しておいた方がいい。
街はすでに朝の支度を終え、人々は慌ただしく動き出している。
学生服の裾を風になびかせて走る少年、無表情でスマホを見つめながら駅へ急ぐOL、
ネクタイを締め直しながら足早に歩くサラリーマン。
(ああ、かつては俺も“あちら側”だったんだな)
彼らとすれ違うたびに、自分の中のどこかがちくりと反応した。
だが、今の俺にとって大事なのは“通勤”ではない。
拾えるゴミを逃さず見つけて、ポイントへと変えること――それが“本業”だ。
やがて、住宅街を抜けて広めの道路に出る。
歩道の幅が広がり、車道には次々と車が流れていく。
ここまでの住宅街では、さほど多くの収穫はなかった。空き缶が二つと、潰れたペットボトルが三本ほど。
だが、車通りのある道沿いには、時折面白い“発見”があるものだ。
(さて、こっからが本番だな)
道路脇の縁石の下、街路樹の根元、脇道へと延びる草むら――
通り過ぎていく車を横目に、俺は歩きながら視線を巡らせていく。
しゃがみ込んで何かを拾い上げれば、傍から見れば“ボランティア清掃”にも見えるだろう。
無論、そのつもりは一切ないのだが。
(……袋でも持って歩けば、より自然かもな)
そんなことを考えつつ、明日以降の“装備”を思案していると、
ふと、草むらの奥に何か金属的な光がちらりと見えた。
「おっ……!?」
思わず声を漏らし、歩みを止める。
よく見ると、錆びたハンドルが、草の間から突き出ていた。
その先に見えたのは、ぼろぼろに錆びつき、草にまみれた――古びた自転車。
どうやら、随分と前に放置されたまま、誰にも見向きもされなかったようだ。
錆はフレーム全体に広がり、タイヤは潰れ、チェーンは切れて絡まっている。
けれど、“ゴミ”としては上等すぎるほどの代物だ。
「よし……いただきますか」
周囲に誰もいないのを確認し、俺は草をかき分けてしゃがみ込んだ。
ハンドルに手を伸ばすと、驚くほどの抵抗感。
草が車輪に絡みつき、地面に根を張っているかのようだった。
「……なかなか手強いな、こいつ」
半ば独り言のように呟きながら、俺は体重をかけて引っ張る。
ギシギシと音を立てながらも、自転車はわずかに動いた。
根元を掴み、押して、引いて、揺すって――
絡みついたツタを手でちぎりながら、汗をにじませて格闘する。
「……っし、もうちょいだ」
何度か地面に尻もちをつきそうになりながらも、俺は自転車を引きずり出すことに成功した。
ちょうど10分ほどの攻防の末、草むらの影から道路脇へと姿を現した“戦利品”。
「ふぅ……なかなかの重労働だな」
手のひらを軍手越しにぱたぱたと払いつつ、俺はその姿をしげしげと眺めた。
間違いなく、使い物にはならない。が、間違いなく“ゴミ”としては優良物件だ。
パネルが反応してくれれば、それなりのポイントにはなるだろう。
「さて、どれくらいの価値がつくもんか……」
引っ張り出した自転車を前に、俺は肩で息をしながら、その場に腰を下ろした。
草に覆われ、タイヤはペシャンコ、チェーンは外れて泥にまみれている。
見るからに年季の入ったポンコツだが――
それでも、これまで拾ってきたものに比べれば、明らかに“でかい”。
そっと手をかざす。これまでと同じように、消えるはずだ。ところが。
……何も起きない。
「あれ?」
もう一度、今度は手のひらをしっかりと押し当てるようにしてみる。
だが、相変わらず自転車はそこにあるままだ。焦りが胸の奥でちりちりと広がっていく。
「壊れてるよな? ボロボロだし、ゴミ扱いで間違いないはず……」
ひとりごちつつ、今度はハンドルを両手でぐっと持ち上げてみた。
すると、不意に、指先からすうっと熱が抜けるような感覚が走る。
目の前に、淡い光と共にあのパネルが表示された。
――【自転車(破損) : 350P】
――【合計ポイント : 468P】
「おおっ……350!」
思わず立ち上がり、声を上げてしまう。疲労で重かった身体が、一瞬で軽くなった気がした。
昨日、苦労して拾ったCDプレイヤーを軽く凌駕するポイントに、思わず頬が緩む。
(なるほどな……)
自転車に視線を戻しながら、俺は小さくうなずいた。
(自分で“持ち上げる”必要があるってことか。
そうなると……廃車とか冷蔵庫みたいな大物はダメだな。
いくら壊れてても、持ち上げられなきゃポイントにはならないってわけだ)
少しばかり惜しい気もしたが、それよりも今得た収穫の方が大きい。
この世界の“ルール”が、ひとつずつ明らかになっていく。その過程がたまらなく楽しい。
汗を拭き、再び駅方面へと足を向ける。道路脇や植え込みの影に視線を走らせながら、次なる“ゴミ”を探す。
すると、空き缶のそばに破れた子供靴が転がっているのを見つけた。
「よし……君は何ポイントかな」
手に取り、軽く振ると、ぽん、と音もなく手の中から消えていく。
――【子供用靴(破損) : 23P】
「おお、なかなかだな」
その後も、足を止めるたびに拾い上げ、パネルに記録されていくポイントたち。
――【雑誌(破損) : 4P】
――【ハンドクリーム(使用済み) : 6P】
――【人形(破損) : 15P】
「ふむ……なるほど、だいたい見えてきたぞ」
ベンチに腰掛け、額の汗を拭きながら、これまでの成果を思い返す。
CDプレイヤーは150P、自転車は350P。空き缶やペットボトルは1P。
今回の靴や人形も悪くない数値だった。
(どうやら、元の商品価格の“百分の一”くらいがポイントになってるっぽいな)
最初は漠然とした印象だったが、数字が並ぶにつれて確信に変わっていく。
ただし、箱や説明書、パッケージのような“中身がない”ものは、たとえゴミでも価値なし。
中身があって、かつ“使える”状態だったものが、ゴミとして落ちている――
そんな偶然の産物だけが、ポイント化される。
「ふぅ……面白くなってきたな」
俺は立ち上がり、首筋に風を感じながら、再び歩き出す。
次はどんな“宝”が待っているのか――
その予感が、胸を熱くさせる。