第53話 迷宮脱出の相談
「さて。話が途切れてたけど──交換できるアイテムの話だったな」
そう切り出すと、メイリンも背筋を伸ばし、さっきまでの笑顔を引っ込めて、真剣な表情を作った。切り替えは早い。
「現時点で交換できるアイテムは、大きく分けて三つある。<武具>、<消耗品>、<スキル球>。ざっくりこの三種ってところだな」
俺の言葉に、メイリンは素直に「ふむふむ」と頷きながら聞いている。
「全部を網羅すると時間がかかるから、今回は重要なとこだけ。あとは質問があれば後で頼む」
「了解」と、メイリンが軽く笑ってみせた。
俺は顎に手をやり、少しだけ思案してから言葉を続ける。
「まずは、武具からだ。これは現状、俺がさっきの遺跡で回収した奴が、一番優秀だ。ただ、判断基準は基本的にポイント換算の数値。性能を直接比較できるわけじゃないから、数値の高さで良し悪しを測ってる」
「ふんふん。それって、大体どのくらいのポイントになるの?」
メイリンが手を挙げてきたので、一拍置いて答える。
「武具の種類によってバラつきはあるけど……だいたい、10万ポイント前後が今のところの最高ライン。俺が今使ってる短剣、<影走りの短刀>は、たしか15万ポイントくらいだった」
先の戦闘で使用した短剣を思い浮かべて答える。
現実世界のポイント換算でいくと1500万円か……高いのか安いのか……
メイリンは「なるほど」と小さく呟いた。
「で、次が<消耗品>。これはその名の通り、回復薬とか食料、水なんかも含まれる。基本的に、回復薬関連は中級で打ち止め。それ以上のグレードは、まだ交換できない」
「へえ、中級が最高なのね」
「ああ。さっきも言ったように、メイリンが使っているのを見たおかげで、中級までは交換リストに載った。で、ポイント換算だと、回復薬が1000ポイント。他は高くても2000ってところかな」
メイリンは、少し考えつつ眉を寄せた。
「武具に比べると、すごく安い印象を受けるけど……」
「そう見えるけどな。実際の交換比率でいえば、1000ポイントは現実の10万円相当って考えていい」
「……5000元くらいってことか。ふむ」
メイリンは腕を組んで、しばし考え込む。
「そう考えると、迷宮で直接ドロップしたものを使うより、イトウさんに頼んで交換してもらった方が確実ね」
そう言って彼女はむむむ、と唸るような顔になった。経費と効率を天秤にかけてるのが、ありありと顔に出てる。
「こっちも気になるのは、俺が使ったのは回復薬の中級だけ。見た限り、それに加えてメイリンが使っているのを見た魔力回復薬くらいだったはずなんだけど……」
手元の情報を指でなぞりながら、俺は呟いた。画面には“中級”というタグが並び、整然とリストアップされたアイテム群が表示されている。
「でも、状態異常回復薬とか、携帯食料とか……これも軒並み中級まで表示されてる。なんでだろうな」
何気ない疑問を口にすると、メイリンが俺の隣で腕を組んで首を傾げた。
「うーん……分からないけど、カテゴリ的に一括りにされてるのかもね? たとえば“回復系”とか“食料系”とかさ」
「なくはない、か……」
答えが出る気配はない。だけど、ふと食料の表示を見たとき、あることが頭をよぎった。小さな不安。──この迷宮で、食っていけるのか? という根本的な問題だ。
「そういえばさ。メイリン、ここに二週間いるって言ってたよね」
「うん?」
「……その間の食料、どうしてたんだ?」
聞きながら、俺は少し眉を寄せた。獣人たちは、ほとんど食事を必要としないという話だった。人間とは違う身体構造なんだろう。だとすれば、メイリンが単独で食料を確保できるとも思えない。
まさか狩りでもしてたのか? それとも……。
「え? あー、大丈夫よ。一応、予備食を10日分はアイテムボックスに入れてきてたから。それを節約して、ちまちまとね」
彼女は肩をすくめて笑った。明るく言っているが、内情はギリギリだったに違いない。
「なるほど……ってことは、結構カツカツだったんじゃないの。それなら帰り道は、俺の携帯食料を出すよ。そこまで多くは持ってきてないけど、足りない分はポイントで補えるし」
「ほんと? 助かるわ。まさかこんなに長期戦になるなんて思ってなかったし」
少しほっとしたように笑う。いい口は軽いが、実際はヒヤヒヤしていたのかもしれない。
「さて……じゃあ、最後はスキル球か」
するとメイリンがぐっと身を乗り出してきた。まるで目の前に好物のチーズが置かれたネズミのように、興味津々といった顔だ。
「まさか、スキル球まで交換できるとは思わなかったわ。いやー、恐ろしいやら便利やら……。ちなみに、経験値もこのシステムで?」
「まあな。正確にはスキル球そのものじゃなくて、消耗品みたいな扱いだけど。今のところは中級までだな。これも、交換できるスキルは、俺が一度見たことのあるヤツだな」
「へぇ……ということは、ラインナップの中に私が使ってた<集中(下級)>もあったってこと?」
「そう。あとアイテムボックスの中級もある。ってことは、持ってるんだ。中級のアイテムボックス」
俺がそう言うと、メイリンは自信ありげに胸を張った。
「正解! <集中>はね、私みたいな弓使いはもちろん、魔法職にもありがたいスキルなの。遺跡で使ったみたいに、近接タイプにも使い道はあるしね。で、アイテムボックスは中級だと15種類持てるようになるの。だから私の役割的にも、後衛サポート向けに中級スキルを支給されたってわけ」
「なるほどな……で、価格はというと……」
俺は一覧の数字を確認しながら、ふぅと小さく息を吐いた。
「<集中(下級)>は……75,000ポイント。アイテムボックス中級は……20万ポイント」
「二十万!? たっかっ!」
メイリンは目を丸くして叫び、しばらくフリーズしたあと、ふぅと肩を落とした。
「……いや、まあ、便利だしね。仕方ないか。でも、やっぱり高いわよ。もうちょっと値切れないかなー、このシステム」
「交渉出来たらいいんだけどね、システムに」
「そう都合よくいかないか」
二人で笑い合いながら、俺たちはひとまず目の前の情報を整理する。
「でだ、ここからは……この後の脱出を睨んで、ポイントの使い道を考えないとな」
俺がそう言うと、メイリンも真面目な顔になる。
「今のポイント、どれくらい残ってるの?」
その問いには、俺も少し渋い顔になる。腕を組み、画面の表示を思い出す。
「……うん。大体、十万とちょっと。正確には十万二千くらいだったかな。レベルアップでいろいろ贅沢したからな、気づけばこんなもんしか残ってない。……まあ、あの時はあれで正解だったと思ってるけどさ」
手に入れた力で勝ち取ったあの勝利。無駄遣いだったとは、決して思わない。
ただ、問題はこれからだ。
「で、現状じゃ大物はまず無理。いや……できないこともないけど、リスクが高すぎる。脱出がどれくらいかかるかもまだわからないから、優先順位を間違えると詰むかもしれない」
思わず息を吐いた。頭の中を冷静にして考えなければ。まずは、生存に関わる要素から手を付けるべきだ。
「さっきも言ったけど……まずは食料と水だな。最小限の内容に抑えればポイントは浮くけど、それだと士気にも関わってくる。ある程度は“マシな物”を選んでおきたいところだ」
俺の言葉に、メイリンが少し身体を乗り出してくる。
「……携帯食料って、どんなのがあるの?」
彼女の声はどこか興味半分、不安半分といったところか。無理もない。迷宮の中では、食事すら戦力の一部だ。
「んー……俺が確認した範囲では、最下級のやつが5ポイント。味もそれなり。っていうか、かなりひどかった」
あの時の記憶が蘇る。口の中の水分を持っていく、パサパサで無味な塊。あれはもはや、ただの栄養補給ブロックとしか言いようがなかった。
「……例えるなら、カロリーブロックをさらにまずくした感じだな。口の中が砂利みたいになった」
「うっわ、それはちょっと……」
メイリンの顔がしかめっ面になる。無理もない。
「下級になると15ポイント、中級で50ポイント。一回はそれぞれ食べて確認しておくつもりだけど、多分下級を選ぶのが無難だと思う」
「ふーん……切羽詰まってれば、最悪その最下級でもいいけど……」
彼女は少し考え込むように目を伏せ、それから顔を上げて続けた。
「やっぱり、多少は味も気にしたいかも。気持ちの問題って、大事だよね」
その言葉には、俺も自然と頷いていた。
たしかに、どれだけポイントを節約しても、気力まで削られたら意味がない。食べることは、ただの栄養補給以上の意味がある。
「だな。まずは食料と水。必要な分を確保したうえで、余ったポイントで……何を交換するか、だな」
「長が言うには、この階層の入口までは三日。そこから先、どれくらいの層が残ってるかは分からないけど──まあ、暫定で計算してみようか」
俺は指折り数えながら、手元に視線を落とす。情報が少ない現状では、ある程度の仮定を置いて進めるしかない。
「一ヶ月くらいを目安に見ておけば、最悪のケースでも大丈夫だと思うけど……」
そこでふと顔を上げ、隣にいるメイリンの様子を伺った。彼女は腕を組み、顎に指を添えながら何やら考え込んでいる。唇にはわずかに困ったような色が滲んでいた。
「そうね……流石にそれくらいあれば、出られるとは思うわ。上に行くにつれて、進みも早くなるだろうし。でも……」
言い淀む彼女の声に、思わず眉をひそめた。
「……でも?」
少し間をおいてから、メイリンは小さく息を吐き、言葉を続けた。
「以前、別の迷宮転移罠だらけの階層があったの、まともに探索なんてできなかった。幸い、他の階層に飛ばされるようなことはなかったけど……もう、本当に時間ばかりかかってね」
語る彼女の顔は、あの時を思い出しているのか、微かに苦いものを浮かべていた。眉間に寄った皺が、それを物語っている。
「なるほど……迷宮ってのは、本当に何があるか分からないもんだな」
思わず頭を掻きながら、俺も記録を書き足す。予想が外れることは覚悟の上だが、できる限りの備えはしておきたい。
「……とはいえ、一ヶ月っていう見積もりは、少し余裕を見てるしな。そういう状況に遭遇したとしても、どうにか対応できる範囲だと思う」
「そうね。ごめんなさい、少し不安を煽っちゃったかも。続けましょう。ええと、一日二食と仮定して、私たち二人で四食。それが三十日分だから、合計で百二十食ね」
少し気を取り直したように、メイリンが指で数を示しながら口にする。俺はそれを受け取り、ポイントの計算に移る。
「百二十食分に、下級携帯食料一食15ポイント。水は一食あたり5ポイントとして──合計で一食あたり20ポイント。掛ける百二十だから……2400ポイントか」
「なるほど、中級にするとどうなるの?」
「中級携帯食料は一食50ポイントだから、6600ポイント。けっこう跳ね上がるね」
俺の答えに、メイリンはふうん、と鼻を鳴らした。さすがに、味や栄養価を考えれば仕方ないとはいえ、コストは一気に跳ね上がる。
「でも、思ったより差は大きくないかも。一万ポイントには届かないし。予算に余裕があれば、何食か中級にしても良さそうね」
「そうだね。基本は下級でいって、余裕が出たら贅沢ってことで」
「賛成。あとは甘い物でもあったら最高ね」
ふふふ、とメイリンが笑う。
「じゃあ、あとは……そうね、回復薬とか、そのあたりかしら」
メイリンが言いながら、指先で空中に何かを並べるような仕草をした。迷宮のこと、装備のこと、スキルのこと——。頭の中で情報を整理しているらしい。俺は黙ってその動きを見ていた。
「さすがに装備品とかスキルは、どれも高いし。あ、でも……遺跡で出してもらった回復薬、まだ残ってるのよね?」
「俺はいくつかは残ってるな。あと三本くらい」
「私はもう少し残ってる感じ。うん、それなら多少は足りるかもしれないけど……でも、状態異常とかもあるから、ちょっと余裕を見ておいたほうがいいと思う」
メイリンは顎に手を添えて答える。
確かに、今までは毒の状態異常しか確認していないが、麻痺、混乱、盲目、沈黙、呪い……あらゆる不測の事態が、迷宮には潜んでいる。
「それぞれ、10本ずつくらい用意できたら安心かもね。回復薬、魔力回復薬、それと状態異常回復のやつ……そうなると、全部で——」
「……約六万ポイントだな」
俺がそう呟くと、メイリンは軽く目を見張ってから、すぐに表情を緩めて笑った。
「ま、それくらい使ってもいいんじゃない? 安全に脱出できるなら、安いもんでしょ」
そう言いながら、彼女は後ろに手を置いてリラックスした姿勢になる。
「……あっ! あと、あれ!」
だが不意に、彼女がパチンと指を鳴らすようにして、身を乗り出す。
「識別札! あれ、絶対あったほうがいいと思うの!」
「ああ……識別札か」
脳裏に浮かぶのは、メイリンが使っていたカード状のアイテム。識別の石板の簡易版みたいなもので、目の前の物品の情報を一部表示してくれる優れモノ。
確かに、便利だ。ただ、問題は——
「……識別札は、一枚一万ポイント。少し高いな」
俺が項目をスクロールしながら呟くと、メイリンは唇を尖らせて考え込む仕草を見せた。
「うーん……残りのポイントを考えると、四枚か五枚くらいが限界ね。でもさ、識別札って、戦闘中には使いづらくない?」
「そうだな。いざって時に一瞬で使えるものじゃないし、持ち運びの点でも慎重に使うべきか」
「だから、必要なときにだけ交換する方が効率的。常時持ってる必要はないんじゃないかしら」
「了解。じゃあ、今のところは——」
タブを指先で閉じながら、俺は口に出して確認するように言う。
「食料関連でおよそ一万ポイント。回復薬関連で約六万。残りは識別札ってことで、一旦キープしておく」
メイリンはその言葉に、目を細めてコクリと頷いた。
「ま、なにか起こればその時にまた考えましょ」
オッケーと指を作ってメイリンが答える。
ふと、体が冷えているのに気づいた。長く座りすぎたせいか、背中がじんわりと硬くなっている。
「……っと、結構、話し込んじまったな」
俺は座ったまま背筋を伸ばす。ぐぐっと音が鳴って、肩が軽くなった。
「よし。じゃあ、本格的には明日からだな」
両手を頭の後ろで組んで、軽く深呼吸をする。
「どうなることやら……だけど、きっちり脱出しよう」
俺がそう言うと、メイリンが立ち上がって、小さく拳を握った。
「うん、ちゃんと帰ろう。絶対に」
互いに目を見て、頷き合う。
さあ、いよいよ明日出発だ。




