第51話 固有スキルとメイリン
「ま、今日は疲れたでしょ。出発は明日ってことで。こっちも準備があるしね。ああ、そうそう、大体三日くらいかかると思うから、よろしくね」
長は気楽な口調でそう言うと、何事もなかったかのようにくるりと背を向け、ゆるやかな足取りで家路についた。
鳥のような顔をしたあの獣人も、ちらりとこちらに目をやったあと、短く頷いてから静かにその後を追っていった。
残された俺とメイリンは、しばらく無言でその背中を見送った。
俺は小さく息を吐いて、メイリンに促す。
「……とりあえず、明日の出発に備えましょうか」
気を取り直すように。彼女は小さく頷き、肩の力を抜いたように息をついた。
「だねぇ。ちょっと、色々と……整理したいし」
「じゃあ、こっちの家でいいかな。近いし」
そう言って、集落の端にぽつんと建つ小さな家を指差す。俺たちにあてがわれた仮住まいだ。
「はいはーい。大丈夫よ」
メイリンは少し疲れたように微笑みを返し、一緒に家へと入っていった。
* * *
家の中。
俺はゴザの上に腰を下ろし、メイリンにも対面に座るように促す。
「さてさて、一旦は無事に帰れそうで良かったわ。いい物も貰ったしね」
メイリンが小屋の隅に腰を下ろしながら、軽く首を傾げて自分の耳をぽんと叩いた。
俺の耳にも同じものがある──まるで何もないように見えるが、実際は通信機がそこにある。
迷宮内で使用可能、加えて直接声を発さずとも意思疎通ができるという、信じがたい高性能。
加えて展開式の小屋。収納時は肩掛けバッグにすら収まるサイズにもかかわらず、設営すれば、簡素ながらも人二人が入るに十分なサイズになる、それ。
まるで魔法のような一式。これだけでも一財産だ。
これほどのものを、ぽんと渡してくるなんて──。
「……何なんだ、あの箱は」
自然と独りごちるような声が漏れた。
最初は、案内の対価としてアーティファクトを要求されていたはずだ。それが今では、案内どころか、まるでこちらを歓待するかのように、通信機と簡易小屋のセットまで贈られている。
あの長──あの獣人の族長は、いったい何を考えているんだ?
考えれば考えるほど、何か裏があるようにしか思えなかった。
だが、そこから先が出てこない。この集落について、俺は何も知らない。情報のない者がどれだけ頭を捻っても、出てくるのは憶測だけだ。
結局、思考はぐるぐると同じ場所を回り続けるばかりだった。
「実際のところ、獣人たち……というより、あの長ね。あの人が何考えてるのか、私にもよくわからないわ」
メイリンがぼそりと呟くように言って、膝を立てたままその腕に顎を預けた。
「私、前にも言ったと思うけど、さんざん交渉に行ったのよ? 助けてほしいって、何度も伝えた。でも全然、取り合ってくれなくて。まともに話を聞いてすらくれなかった。だけど──」
彼女の視線が、ちらりと俺の方を向いた。
「イトウさんが来てから、急に態度が変わった。条件付きとはいえ、案内の話が出てきたし、物資までこんなに提供してくるなんて、どう考えてもおかしいでしょ。……イトウさん、あなたに何かあるのかもね」
その言葉に、思わず背筋がぴくりと震えた。
メイリンには、今日の戦闘を通して、俺の“いつも通りではない”戦い方がいくつも見られている。
武具の回収に始めり、何もないところからの不自然な量のアイテムの獲得。アイテムボックスに入っていましたじゃ説明がつかない。
「……」
俺が黙り込むと、メイリンはわざとらしくにやりと口元を吊り上げた。
「あれでしょ、固有スキル持ちなんでしょ、イトウさん」
彼女の言葉に、思わず呼吸が止まった。
その瞬間、まじまじとメイリンの顔を見てしまっていた。
……どうして、そう思った?
冗談めかしてはいるものの、その目はただの推測で口にしたとは思えない真剣さを帯びていた。
「ふふん」
メイリンが、まるで勝ち誇った猫のように顎を上げる。その顔には、ほんの少しばかり得意気な色が浮かんでいた。
「こういう時って、なんて言うんだっけ? ……ああ、そう。鳩が豆鉄砲を食ったような顔、ってやつ?」
カラカラと笑う声が、小屋の中に軽やかに響く。その明るさに対して、俺の方は──と言えば。
正直、なぜそれを知っている? という動揺が、全身にじんわりと広がっていた。
「ダメよー、イトウさん。そんな簡単に、カマかけられて引っかかっちゃあ」
目を細めて、ちょっと意地悪そうにそう告げる。……ぐうの音も出ない。
あの瞬間、確かに、心のどこかにあったものが顔に出てしまったのだろう。
たとえ言葉にはしなくとも、それだけで察せられる程度には、俺は“無防備”だったらしい。
「まぁ、そんな顔になるのも無理ないけどね。固有スキルなんて、普通の人は知りもしないし」
そう言って、メイリンは指に嵌めていた指輪をスッと外し、軽く放ってよこした。
「っと……!」
慌てて手を伸ばし、飛んできたソレをキャッチする。
一見すると、装飾も派手さもない、古ぼけた金属の指輪。だが、手に取った瞬間──体の奥が、かすかにざわついた。
直後、目の前に淡く青白いパネルが浮かび上がる。
────────────────────────────────────────
【星巡の環】
種別
:アーティファクト(劣化)
効果
:星々の軌道を象った古代の指輪。
身に着けた者が進むべき方向を、極めて微かな脈動と共に内なる感覚として伝える。
その導きは物理的な道に限らず、
「運命の存在」「選ぶべき言葉」「訪れるべき機会」にさえ及ぶことがある。
かつて賢者たちはこの指輪を「星が選びし者の証」と呼び、
時代を越える出会いの媒介として重宝したという。
また、真に運命を左右する存在が近づくと、指輪はごく僅かに発光する。
ただしその光は持ち主にしか見えず、他者にはただの鈍い金属輪にしか見えない。
※劣化の影響により精度は不安定で、数日に一度しか反応せず、
指輪自身の力での判断範囲も狭い。
────────────────────────────────────────
「……これは……アーティファクト? でも、劣化って……」
表示された説明文を読みながら、自然と眉間にしわが寄る。
能力は、まるで預言のような精密さを感じさせる反面、“劣化”という単語が目に焼きついた。
これは一体、どういう意味なのか。
指輪を返しながら、メイリンに尋ねる。
「これは、本物……じゃないのか?」
「うん、劣化コピーってやつ」
そう言って、彼女は指輪を元の指にすっとはめ直した。指に収まるその動きは、まるで日常の一部のようで、それが彼女にとってどれだけ大切な物かが、なんとなく伝わってきた。
「昔ね──お世話になった人がいたの。固有スキルの持ち主だったんだけど、その人に、これをもらったのよ」
ふと視線を落としたまま、どこか遠くを思い出すように言葉を紡ぐ。
その声音に滲むのは、尊敬と、そして少しの寂しさ。
「今はちょっと疎遠だけど……。あの人の固有スキルがね、アイテムを劣化コピーできる力だったの。
うちの国の一部では結構有名だったのよ。だから、“固有スキル”って言葉も、普通のスキルとはちょっと違う“何か”があるって知ってた」
メイリンはふっと目を細めて、指先でそっと指輪を撫でた。
「その人もね……他の固有スキル持ちと、話がしたがってたのよ」
小さく、懐かしむような笑みが浮かんでいた。まるで過去の記憶に指先が触れたかのように。
「だからさ、スキルの内容もね。もし“それっぽい人”がいたら、話してくれって頼まれてたの」
彼女の声に、微かに寂しさが混じるのを感じ取る。
「もちろん、周りの連中からはめちゃくちゃ怒られてた。『危ないからやめろ』って、何度も何度も」
メイリンは軽く肩をすくめ、そして、すぐに笑った。儚げで、どこか諦めにも似た微笑みだった。
「私も止めたんだけどね……あの人、なんでか、聞かなくてさ。止める気もなかったみたいだった」
その言葉に、俺は思わず息を呑んだ。何か、ただならぬ理由があったのだろうか。それとも……彼なりの「責任」か「想い」でもあったのか。
メイリンは俺をちらりと見て、声を少し明るくした。
「でもね、イトウさんを見た時……ピンと来たのよ」
ピンと来た? 俺が首を傾げると、彼女は唇の端を吊り上げて言葉を続けた。
「最初は、大容量のアイテムボックスでも持ってるのかと思ったけど……その後の“あれ”を見ちゃね」
“あれ”、か。あの戦いの中で、俺がやったことを指しているのだろう。あんな状況下で、レベルが跳ね上がったり、装備が突然変わったりするのは──まあ、隠しようがない。
「十中八九、なんかの固有スキル持ちだなーって」
そう言われて、俺は軽く目を伏せた。否定はしなかった。否定しても、もう遅いだろう。
メイリンの手元の指輪見る。
「……一番の決め手はね、これなの」
メイリンが見せたその指輪。ぱっと見では、何の変哲もないそれ。
「さっきのアーティファクトの説明、見たでしょ? この指輪、持ち主の運命に関わる人と出会った時に反応するの。それが、あなた」
彼女の視線が、まっすぐに俺を貫いた。
俺は一瞬、返す言葉を失った。何も見透かされていないはずなのに、その瞳の奥に、何かを見られているような、そんな気がした。
「運命にもいろいろあるけどね。いい兆しか、悪い兆しか……でも、この指輪が導くのは、“進むべき道”なの」
メイリンは、言葉を置くように、丁寧に語った。
「この集落の獣人にも、長にも、何の反応もしなかった指輪が、あなたには反応した」
その意味を、俺はすぐには呑み込めなかった。だが、確かに──この指輪は俺に何かを告げているのだろう。
「もちろん、劣化品だから出る時と出ない時あるけどねー」
そう言って、メイリンは冗談めかして笑った。場の空気が、少し和らぐ。
「でも、だから。だから私は、あなたと一緒に戦ったの。あなたのこと、信じてみたいって思ったから」
真剣な口調だった。まるで、さっきの冗談とはまったく別人のような声音。
「──まあ、そもそもさ。ここから帰れる可能性があんまりなかったってのもあるけど」
舌をぺろりと出して、彼女は笑った。けれど、その笑顔の裏には、確かに“覚悟”が見えた。
メイリンは、あくまで穏やかな口調を崩さずに言った。
「だからね、あなたの秘密を……ほんの少しだけでいいから、共有してくれたら嬉しいな。もちろん、私も協力できることは協力する。──できることだけね」
そう言って、彼女はふわりと微笑んだ。どこかいたずらっぽく、けれど真剣さも隠していない、そんな笑みだった。
俺は、肩の力を抜くように小さく息を吐いた。
……ふう。
気づけば、胸の奥に沈殿していたものが一気に浮き上がってきて、思考を曇らせていた。戦闘の緊張、疑念、推測、それに加えて──「彼女」の言葉。
なんだろうな。たった一言で、大したことを言ってるわけじゃないのに、やけに心に残る。
メイリンのことを、完全に信用しているわけじゃない。いや、できるはずもない。彼女が何を考えているのか、すべてが本音とは思えない。だが、それでも──。
嘘ばかりというわけでもない。
不思議と、そう思えてしまう自分がいる。
……それに、既に俺の手札は、ある程度見られてしまっている。俺が“普通”ではないことに気づくには、十分すぎる状況だった。
そして彼女は、俺に「協力する」と言った。
自分の利益のためかもしれないし、気まぐれかもしれない。それでも、「話すな」と決めつけるほどの理由も、もはやない。
たぶん、もう少し、ちゃんと向き合うべきなんだろうが。相手がどんな人間か、どんな立場か。
だけど、メイリンが言ったように、運命とか、巡り合わせとか、そんなものがあるのだとしたら──
ここでの出会いも、そういう類のものかもしれない。
だから俺は、静かに言葉を選びながら口を開いた。
「……わかった。全部じゃないけど、少しだけ話すよ」
その声に、メイリンの目がゆるやかに細まった。
それは、ようやく差し出された小さな信頼に対する、彼女なりの礼だったのかもしれない。




