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第39話 流された先で出会った者は

誤字報告いつもありがとうございます、、、、!

 海岸線を、ただ黙々と歩く。

 潮騒と足音以外、何もない。

 現実の海なら、ペットボトルや漂流木の一本や二本、ましてやプラスチック片くらいは落ちていて当然なのに──この浜は不気味なほどに何もなかった。

 足跡すら、俺の分以外は一つもない。


 途中で水筒の水は飲み切ってしまった。

 しかたなくポイント交換で水袋を呼び出し、中身を入れ替える。

 冷たさもなく、味もない。けれど、この状況では命を繋ぐ唯一の液体だ。


 ふと空を見上げる。

 ……太陽の位置が、変わっていない。

 朝から昼へ、昼から夕へと傾くはずの光が、まるで時間を忘れたかのように真上で燦々と輝き続けている。

 もしこの光に永遠に照らされ続けたら──きっと、時間の感覚なんてすぐ壊れてしまう。


「はあ……」

 思わずため息がこぼれた。

 幸いなのか、皮肉なのか、モンスターとはまだ一度も遭遇していない。

 もし現れたとして、今の俺の力量で倒せる相手ならいい。

 だがそうでなければ……逃げるしかない。

 けれど、ここで“逃げる”とは一体どこへだ? 海の向こうか、森の奥か、それとも──。


 何も見つかる気配がないので、木陰を見つけて腰を下ろす。

 バックパックから携帯食料(最下級)を取り出し、ひとかじり。

 口の中に広がるのは、見事に乾いた味。

 水袋からの一口で押し流すが、舌の上に残る粉っぽさは消えない。

 治癒魔法をかけて少しずつ体力を回復しながら、頭の中ではこれからのことを繰り返し考えていた。


(……<臆病蟻の脱出穴>が使えなかったのは痛手だ)


 まさしく、今の状況を回避できるかと思い、歩き始めてすぐ使ってみたのだが──。

 結果は無情だった。

 パネルに浮かび上がったのは、冷たいシステム文だけ。


【本迷宮の入口からの侵入が確認できないため、該当アイテムは使用できません】


 希望を込めて再度使用しても同じ文面が返ってくる。

「……くそ」

 思わず独り言が漏れる。

(本迷宮の入口からの侵入じゃない、ってことは──七所迷宮じゃないのは確定だな)


 ごくり、と水を含む。

 乾いた喉に冷たくない水が落ちていく感覚が、妙に生々しく感じられる。

(となると……今、何層なんだ? それが一番の懸念だ)


 二層や三層なら──まだいい。

 少なくとも、七所迷宮での戦闘経験から考えれば、今の俺でも大きな問題はないはずだ。

 だが、もしここが四層や五層……さらにその下の階層だった場合。

 想像しただけで、胸の奥にじわりと冷たいものが広がっていく。

 今の装備と体力で、どこまで持ちこたえられるのか……まるで見当がつかない。


 砂浜の上に腰を下ろし、波打ち際を見ながら頭の中で帰還ルートを組み立てていく。


 ──今、考えられる手は二つ。

 一つは、この階層のどこかにあるポータルを見つけ、入口まで戻る方法。

 もう一つは、上層へと登り、そこから入口まで引き返す方法。


 だが、<臆病蟻の脱出穴>が使えなかったことを考えれば、ポータル自体が機能しない可能性だって十分にある。

 その場合、選べるのは後者──つまり、何層かもわからない場所から、延々と登り続けて入口を目指すしかない。


(……そうなると、途中のボス部屋はどうなるんだ?)

 七所では、階層ごとに“門番”のようなボスが立ちはだかった。

 あれを下から登る形で突破しなければならないとなれば……。

(単純に、倒せなかったら……詰みだな)


 波の音が、やけに重く聞こえる。


(……仕方ない。体力がいつまで持つかもわからない現状、出し渋って倒れるくらいなら、本末転倒だ)


 自分にそう言い聞かせながら、交換パネルを呼び出す。

 指先が光の板をなぞるたび、ポイント残高の数字が妙に重く感じられる。


 交換するのは──もちろん、<導殻の勾玉>。

 五万ポイント。数字を見ただけで、胃の奥が重くなるような額だ。

 だが、背に腹は代えられない。ここでケチって命を落とすぐらいなら、迷わず切るべきカードだ。


 購入の確定を押した瞬間、パネルの光が弾け、小さな勾玉が手のひらに現れる。

 淡く透き通ったその表面には、甲殻類のような細かい模様が刻まれていた。


 そっと握りしめ、意識を込める。

 次の瞬間、勾玉からふわりと淡い光が立ち上り、宙に解けていく。

 空中に描かれるように、二筋の赤い光が森の奥へと伸びた。

 同時に、自分が今歩んできた道を示すように、一本の黄色い光が背後へ続く。


(……赤い光が、おそらく目指すべきルートってやつか。二本あるってことは……一方が階層入口、もう一方がボス部屋だろうな)


 どちらも森の中へと吸い込まれるように伸びている。

 左か、右か──二択だ。


(どっちにしても、森には足を踏み入れる必要があるってことか……)


 しばし迷ったが、これまで歩いてきた方向に近い左の赤い軌跡を選ぶことにした。

(間違っても、引き返せばいいだけだ)


 距離の見当もつかないが、立ち止まっても何も始まらない。

 深呼吸し、意識を奮い立たせる。

 木々の間に伸びる赤い光を追い、俺は一歩、森の影へと踏み出した。


 ──途端に、世界が変わった。


 視界はさっきまでの真昼の輝きが嘘のように薄暗くなり、濃い緑と黒が支配する。

 葉の重なりが空を塞ぎ、わずかな木漏れ日さえ、足もとに届く頃には鈍く変色している。


 空気は湿り気を帯び、肌にまとわりつくようだった。海辺の塩の匂いは消え、代わりに湿った土と、落ち葉の甘い腐臭が鼻をつく。


 耳を澄ませば──波の音はもう遠い。

 代わりに聞こえてくるのは、どこからともなく響く虫の羽音と、葉の間をすり抜ける低い風のうなり。

 それすら時折、不自然に途切れる。まるで、この森そのものがこちらの動きを窺っているかのように。


(……やっぱり、こっち側の空気は、嫌な予感しかしない)


 赤い軌跡は、迷いなく森の奥へと続いている。

 引き返すという選択肢を頭の片隅に置きつつも、俺は一歩、また一歩と足を進めた。









 * * *










 森に入ってどれくらい歩いただろうか。

 赤い軌跡を頼りに、時折漂ってくる気配をできる限り避けながら、慎重に進む。


 草の間を抜ける小さな風や、枝葉を揺らす影──その一つひとつに反応し、立ち止まっては耳を澄ませた。

 モンスターの情報を探るべきかと頭をよぎるが、今の俺には逃げ切れる保証がない。むやみに接触するくらいなら、避けられる戦闘は避けるべきだ。


(それに……明らかに三層とは強さの桁が違う)


 肌を刺すようなピリピリとした気配が、木立の奥から断続的に押し寄せてくる。

 まるで獣が牙を見せずにこちらを測っているかのようだ。

 その圧だけで、この階層が三層よりも下──いや、もっと危険な場所だという予感が強まる。


 湿気を帯びた空気が、まとわりつくように肌を濡らす。

 汗なのか湿気なのか分からない不快感が全身を覆うが、気を抜けば命を落とすと分かっているから、一歩ごとに神経を尖らせた。


 赤い軌跡は、迷うことなく森の奥を指し示し続けている。

 淡く脈打つ光は魔力を消費するらしいが、この程度ならしばらくは保ちそうだ。


 ──その時だった。


 耳の奥に、かすかな振動が届く。

 最初は風の音かと思ったが、すぐに違うと気づいた。

 それは唸り声や鳴き声ではない。

 明確に、人間の声──しかも一人ではない。


 くぐもった調子で、何かを言い合っている。

 声の高低からして、二人以上はいるだろう。距離は……そう遠くない。


(……人間? それとも、"人型"のモンスターか?)


 鼓動がわずかに速まる。

 逸る気持ちを押し殺し、俺は足をそっと運んだ。

 葉擦れの音に紛れながら、枝葉の隙間から視線を送った。


 薄暗がりの先、木々の間にぽっかりと口を開けた空間があった。


 俺は葉の影に身を潜め、目を凝らす。

 ……そこに、五つの影が立っていた。


 見えたのは一人の女性。

 そして、対峙するように四つの大柄な影が並ぶ。

 一見すれば対峙の構図だが、空気は張り詰めていない。

 むしろ、女性をなだめるように、落ち着いた声が飛び交っていた。


「だから、無理だと言っただろう。私たちはこれより先に行くつもりもないし、行く義理もない」

「そこを何とか! 何とかお願いしますよー!」

「そんなことを言われても困る。少なくとも貴方を助けただけでも感謝していただきたい」


 そんなやり取りを聞きながら、俺は目を瞬かせた。

 ……信じられない。いや、信じたくない光景だった。


 女性はアジア系の顔立ち。

 切れ長の目に、整った輪郭。美人、という言葉では軽すぎるほど整っている。

 短く切った黒髪を、後ろでざっくりとまとめ、動きやすそうな戦闘服の上から、甲殻類を思わせる光沢のある装甲を纏っていた。


 そこまではいい。問題は──その周囲に立つ影の方だ。


 ……顔が、獣だった。


 二メートル近い体躯。

 そのうち三人は、げっ歯類に似た顔立ちをしていた。

 耳の形や口元の毛並みに微妙な違いはあるが、区別をつけろと言われても難しい。

 残る一人は、鋭く突き出た嘴を持つ鳥類型。黄色く光る眼が、時おり瞬きをするたび、日光を反射して冷たく光った。


 獣人──そう呼ぶほかない存在。

 俺は息を呑み、木の幹に背を押しつける。


 赤い導きの軌跡は、まっすぐ彼らのいる開けた場所を横切って先へ伸びている。


 さて、どうするか──そう考えていた、その瞬間だった。


 視界の端で、獣人のひとりがバッとこちらに顔を向けた。

 その眼光は、陽射しを浴びてもなお鋭く、まるで獲物を射抜く鷹のようだ。


「──誰だ!」


 鋭く響く声が、森の空気を震わせる。

 警告の一言につられるように、残る三名の獣人も一斉にこちらへと向き直った。

 腰を沈め、どこから取り出したのか、手には長槍や片刃の剣。

 刃が木漏れ日の下でぎらりと光り、そのままじりりと半歩、距離を詰めてくる。

 湿った土を踏みしめる音と、鎧のわずかな金属音が、やけに鮮明に耳へ届いた。


「え? なに? なに?」


 女性が遅れて声を上げる。

 どうやら突然の事態に、状況の理解は追いついていないようだ。

 だが、反射的に腰の得物を抜き放つあたり、ただ者ではない。

 構えは無駄がなく、体重移動も自然。──実戦経験の匂いがする。


 まさか、こんな距離で気配を拾われるとは思わなかった。

 ……まあ、見つかってしまったものは仕方がない。


 多勢に無勢。下手に武器を構えれば、すぐさま襲われるだろう。

 俺は静かに息を吐き、腰に掛けた双剣をアイテムボックスへと収める。

 そして、相手に敵意がないことを示すよう、両手をゆっくりと上げてから、落ち葉を踏みしめ一歩、開けた場所へと進み出た。


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