表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/82

第30話 三鷹迷宮、第一層攻略完了

 まずは様子見だ。

 俺は短剣を手に、ゆるく地を蹴った。全力ではないが、それなりの速度で正面から距離を詰める。岩亀はぴくりとも動かない。反応が鈍いのか、それとも──見えていて無視しているのか。


 どちらにせよ、こちらにとっては都合がいい。


 甲羅で守られていない左前脚に狙いを定め、そのまま横凪ぎに斬りつける。手応えは重い。ちょうど古タイヤに刃物を当てたような、柔らかさと硬さが入り混じった、妙な感触が手に伝わった。だが──通った。

 滑り込んだ勢いのまま、体を横に滑らせて距離を取る。背後から濁った音がして振り返ると、亀の脚から紫色の体液がブシュッと噴き出していた。


「……毒持ちじゃなければいいが」


 しかし、それだけの出血にも関わらず、岩亀は痛みに反応を示す様子もなく、ゆっくりと振り返ってこちらを睨んでくる。


(反応が弱いってわけじゃないな。単に痛覚が鈍いだけか)


 巨体に見合った頑強さ。だが、攻撃は通る。手応えは重いが、切れないわけではない。少なくとも、今の短剣でも致命傷には届かずとも、確実に“削る”ことはできる。


(今使ってるのは通常ドロップ品……アイテムボックスには〈閃羽の短剣〉もあるが、さすがにまだ温存だな)


 強敵用の切り札は、ここぞというときまで取っておくに限る。そもそも、岩亀は斬撃への耐性が高そうな雰囲気だ。もし打撃系の武器があればベストなんだが──


(……ないものねだりをしても仕方ないか)


 思考の最中、不意に岩亀が動きを変えた。意外なほど長い首をゆっくりと持ち上げ、口元に力を溜め込むような動作を見せる。


「来るな──」


 咄嗟に身構えた次の瞬間、岩亀の口から高圧の水流が解き放たれた。


 ゴォォォオッ!! 


 石床を抉りながら押し寄せる激流。俺はその奔流をかいくぐるように地を蹴り、横へ跳んだ。かすめる風圧と飛沫が肌に痛い。

 同時に、持っていた短剣を一閃。放つようにして首元を狙って投げつけた。

 キィン、と甲高い音がして、短剣が岩亀の喉元に突き刺さる。


「グギュオワッ……!」


 獣とも機械ともつかない濁った声を上げて、岩亀が首を仰け反らせる。それに合わせて、噴き出していた水流もピタリと止まった。

 どうやら効いたらしい。

 俺はすかさず地に降り立ち、アイテムボックスに念じる。次の瞬間には、新たな短剣を手に握っていた。



「さて……次は何かな」


 軽く息を整えながら、短剣を握り直す。岩亀と俺との距離は、だいたい十メートル。先ほど首と脚に刻んだ傷からは、まだ紫色の体液がにじんでいるが、動きに大きな影響は見られない。

 ──タフだ。

 それでも、確実にダメージは蓄積しているはずだ。今は俺の出方を警戒しているようで、巨体のわりには妙に静かに、じりじりと頭だけをこちらに向けている。


(様子見か?)


 そう思った次の瞬間、やつの姿勢が一気に変わった。


「……っ!」


 甲羅の縁がぎゅうっと地面すれすれまで沈み込み、全身のバネを縮めるような動き──


 飛ぶ! 


 今度は、わかっていた。

 床を蹴って、大きく跳んで避ける。その直後、さっきまで俺がいた場所を、あの巨体が重力ごと叩き潰すように落ちてきた。

 ズドン!! と凄まじい衝撃が床に響き渡り、細かな石片が周囲に弾ける。亀の動きに目を凝らした瞬間──


「まだ来るか!」


 二撃目。連続で跳んだ。まるで巨岩が意思を持って跳ね回っているようだ。床にめり込むような着地から、わずかなタメもなく跳躍。


(嘘だろ、これが“連続ジャンプ”って……シャレにならん!)


 迫ってくるその影に、つい背筋が冷たくなる。鈍重に見えて、重量と質量を使った一撃の殺意は凄まじい。まともに当たれば叩き潰されるだろう。

 再度、横に飛びのいて距離を取る。蹴り上げるように地を滑らせて、着地と同時に転がる。


(こいつ、思ったより“動く”タイプか……)


 悠長に構えてる暇はなさそうだ。

 ドスン、ドスン──音と震動を響かせながら、岩亀は俺を追い詰めるように跳ね続ける。動きは直線的だが、回避のタイミングを誤れば即アウトだ。


「こっちも、そろそろ仕掛けるか……!」


 床に触れた右足に力を込める。静かに息を吸い、視界の端で、やつの三度目の跳躍の予兆を捉えた。


 奴の巨体が、再び宙に浮いた。


(今だ──!)


 俺は床を蹴った。狙うは、あの分厚い甲羅の上。落下直前のタイミングで、奴の軌道を読み切って飛び上がる。影が重なる刹那、俺の身体は岩亀の背中に踊り出ていた。


「──っりゃあ!」


 拳を握りしめ、そのまま甲羅めがけて叩きつけた。

 ゴッ!! という手応えとともに、鈍い衝撃が腕を伝う。続いて、甲羅がバキリと音を立てて砕け、まるで石を割ったように破片が飛び散った。砕けたその隙間から、むき出しになった肉が覗く。


「ぎゅわおぉぉん!!」


 絶叫。痛覚があることは確かだ。跳ね回る勢いがぴたりと止まり、奴の巨体がぎこちなくこちらを振り返る。その目には、怯えすら滲んでいた。


(……こっちの攻撃が通るって、やっと理解したか)


 甲羅に守られた無敵の存在じゃない。そう知った敵は、後ずさりながら、再び首をもたげた。今度は距離を取ろうとしたのか、水流を吐いて牽制するつもりらしい。


 だが──


「やらせんよ!」

 瞬時に持っていた短剣を構え、ためらうことなく投げる。狙うはそのまま、あいつの口内。さっきは首だったが、今度はそのもっと奥だ。


 スパンッ! 


 鋭い風切り音の後、短剣が奴の口腔に寸分の狂いもなく突き刺さった。


「ぎゅおっ……ぎゃあああああっ!!」


 口の中を貫かれた岩亀は、狂ったように仰け反り、ジタバタとその巨体を振り回す。石くれが舞い、衝撃が地を這う。だがその動きには、もはや致命的なキレはない。あきらかに弱っている。暴れてはいるが、迷いと苦痛に満ちた動きだ。


「……ここにきて、水流しか出てこないってことは──もう、ネタ切れかな」


 呟きながら、もう一本、短剣を構え直す。暴れ回る岩亀は、体力の限界が近いのか、呼吸も荒く、こちらを睨むその目にも焦点が合っていない。


「さて、これ以上がないなら……これで、おしまいだ」


 地面を蹴る。さっきとは違う。全力だ。思い切り加速し、奴の死角に入り込みながら一気に跳躍。破壊した甲羅の裂け目──あの露出した肉に向けて、短剣を構えた腕を振りかぶる。


「──ッッ!!」


 重力も慣性も、すべて乗せて短剣を突き立てた。

 ぐじゅ、と生々しい音が返ってくる。粘度のある肉の奥へ、刃がずぶりと沈む感触。反射的に胃の奥がむかついたが、俺は構わず押し込んだ。

 その瞬間だった。


「ぎゃうあああああああぁぁっっ!!」


 地鳴りのような絶叫。岩亀が、身体ごと仰け反る。殺到する怒涛のような咆哮。俺はその勢いに押しつぶされる前に、素早く身を翻して距離を取る。


 ズドオオンッ!! 


 巨体が重力に引かれ、仰向けに倒れた。地面が揺れ、天井の岩肌から小石がパラパラと降ってくる。

 煙と塵の中、俺は息を殺して構えを解いた。

 ……動かない。


 あの岩のような身体が、完全に沈黙していた。


「……終わった、か」

 そう呟いた直後だった。

 目の前の空間に、淡い光がふわりと現れ、半透明のパネルが現れる。


(これは……)


 七所迷宮でも見た、あの通知だ。


【迷宮第一層ボスが討伐されました】


 文字が静かに浮かび上がり、まるで祝福のようにきらめく。心の奥に、湧き上がる達成感。思わずこぶしをぎゅっと握りしめ、誰に見られているわけでもないのに、心の中で静かにガッツポーズを取った。


(よし……!)


 続いて、もう一枚、別のパネルが表示される。


【<玄甲の壁盾>がドロップしました】

【<スキル球:水流(下級)>がドロップしました】

【初回討伐報酬として<導殻の勾玉>がドロップしました】


「……三つか。なかなかの成果だな」


 思わず口元が緩む。防御型のボスらしく、装備品は盾。スキルはさっき奴が何度も使ってきたあの水流のやつか。そして最後のは、七所でも出たような特別報酬……“導殻の勾玉”、か。

(……さて。ひとまずはだ)

 アイテムボックスを開きながら、俺は遠くで見守っていたはずのタケウチに声をかけるため、ゆっくりと振り返った。






 * * *






「お疲れ様でした」

 静かに、だがどこか実感のこもった声が響いた。タケウチの第一声だった。


 俺はパネル表示の消えた空間に背を向け、土煙を軽く払いながらタケウチの方へと歩いていく。彼は部屋の隅に控えていたまま、戦いの一部始終を見守っていたらしい。

 ドロップしたアイテム類はすべてアイテムボックスへと収納済み。汗ばんだ額をぬぐいながら、俺は苦笑混じりに声を返す。


「まあ、見ての通りの相手でしたけど……次に挑む時の参考にはなったんじゃないですか?」


 タケウチは軽く頷きながらも、口元に浮かぶのは苦笑だった。

「これを一人で、ですか……いや、やっぱり想像以上ですね」


 目線を落とし、思案顔を浮かべている。おそらくは、自分・ケイゴ・ミツイの三人でこのボスに挑んだ場合を頭の中でシミュレーションしているのだろう。戦力の分担、攻撃のタイミング、回避の連携──そういった戦術的な動きを、彼なりに組み立てているように見えた。


「でも、三人でかかれば行けるとは思いますよ。今回は一人だった分、手数も少なかったですし」

 俺の言葉に、タケウチはようやく目を上げて、ふっと笑った。

「……次は、ぜひ三人で挑戦してみたいですね。いい経験になりましたよ、本当に」


 軽く肩を竦めた彼の顔には、達成感とわずかな悔しさが入り混じっていた。


「さて──そろそろ部屋を出て、ミツイたちと合流しましょうか」

 そう言ってタケウチは背中のバックパックから通信機を取り出す。三鷹迷宮内の構造は比較的安定していて、ある程度の距離であれば内部でも通信が通じる。ボス部屋の外、数百メートル程度なら問題ないはずだ。

 ただし、入口まで戻るとなると話は別だ。七所の時もそうだったが、迷宮は深部になるほど不安定で、干渉を受けやすい。


「こちらタケウチ。ボスは無事に討伐完了した。そちらの進行状況はどうか?」

 通信機に向かってタケウチが声をかける。数瞬の間があってから、ザーッという短いノイズが走り──やがて、ミツイの落ち着いた声が返ってきた。


『こちらミツイ、順調に進んでいます。いくつか確認したい点もあるので、そのままボス部屋で待機していただけますか』


「了解。こちらで待機しておく。無理はしないようにな」

 タケウチが応じ、通信が途切れる。俺は、ふう、と一息ついた。



 しばらくの静寂ののち、通信機が小さくノイズを走らせてから、ミツイの声が届いた。

『ミツイです。扉の前に到着しました。これから開けます』


 俺は通信機から目を離し、自然と重厚な扉の方に視線を向ける。


 ズズズ──


 低くうねるような音とともに、石の扉がゆっくりと左右に開かれていく。その奥から、肩で息をつきながらもどこか涼しげな顔をしたケイゴが姿を現し、少し遅れてミツイが後に続いて入ってきた。


「お疲れさまです。こちらも、見ての通りマッピングは完了しました」


 ミツイはそう言いながら、掌に浮かぶ小さな光──転送キーを掲げて見せた。それがここに現れたということは、どうやら彼らも三鷹迷宮の第一層を完全に踏破したようだ。


「七所のときに比べれば、こっちはだいぶやりやすかったな。毒持ちの雑魚もいたが、構造も単純だったしな」

 ケイゴは言いながら、軽く背伸びをしつつあくびをこぼす。戦闘中の気配はもうないが、体の疲れは隠せないらしい。


 俺たちも、ボスを討伐済みであることと、その戦利品について簡単に共有する。詳細なデータやドロップアイテムの効果などは、帰還後に〈識別の石板〉を使って調べる予定だ。現場で無理に判断する必要はない。

 ひとしきり情報交換が終わった頃、タケウチがぽつりと口を開いた。


「で、ミツイ。さっきボス部屋で待機してほしいって言っていたが、それはどういう意図だ」


 ミツイは目元をやや引き締め、真剣な声音で答えた。

「はい。私が確認したかったのは、ボス討伐後のこの部屋に、外部から侵入できるかどうかです。もし可能であれば、先行部隊が先にボスを倒し、安全を確保した上で後続部隊を迎え入れることができます」


 俺はその意図を察して、なるほどと頷いた。

「つまり……今後、さらに深部へ向かうことを考えるなら、消耗せず“次”へ進めるのか」


「その通りです。万が一に備えて、転送キーが発現する前でも接続可能かを試しておきたかったのです」

 そう言いながら、ミツイはちらりと部屋の奥へと視線を向ける。そこには、ただの灰色の壁しか見えない。だが、その目には何かを見通すような光が宿っていた。


「七所では転送キーに気を取られて確認し損ねましたが……冷静に考えれば、このフロアが“第一層”と呼ばれている時点で、その下に“第二層”があるはずです。構造上、それはこのボス部屋の先、もしくは内部にあると考えるのが妥当です」

 そう言い終えると同時に、ミツイは何の迷いもなく部屋の奥へと歩み始めた。俺と他の二人もそれに続くように足を進める。

 無言で進む足音だけが、静まり返った空間にコツコツと響く。

 あと数歩、というところで、唐突に壁の一部が「ゴウン──」という重々しい音を立ててせり上がり始めた。


「……開いたか」


 口にするまでもなく、全員がその光景に目を見張っていた。

 現れたのは、ただの壁ではなかった。その奥には、下へと続く螺旋階段がぽっかりと口を開けている。

 冷気と共に、未知の空気がふわりと立ちのぼってきた。


「……この先が、第二層」


 思わず呟いた俺の声に、誰も返事はしなかった。代わりに、皆の顔に宿ったのは──探求者としての静かな決意だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
この作品とても面白いです!! 次の更新も楽しみです♪
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ