表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/66

第28話 国としての思惑

 三鷹迷宮に、再びやってきた。


 前に来たときとは、まるで別の場所のようになっている。

 迷宮の周囲は、簡易的ながらも高い壁でぐるりと囲まれており、外から中をうかがうことはまったくできない。

 しかも、その壁にはさらにシートのような覆いがかけられ、どこから見てもただの閉鎖された施設のように見える。


(……だいぶ物々しくなったな)


 思わず足を止めて見上げていると、隣を歩くタケウチが俺の視線に気付いたらしい。


「ええ、あの件の後、一般人がこっそり侵入しようとする事例が急増しましてね。

 今は仮設ですが、いずれは探索者が正式に使えるように整備する予定です」


 タケウチは淡々とした声で説明するが、その目は周囲を警戒していた。

 覆われた壁の向こうでは、作業員らしき人影が資材を運んでいるのがちらほら見える。


「宿泊施設や医療設備、受付窓口も併設する予定だそうです。

 ……まあ、法案もまだ固まっていないのに、協会は気が早いですよ」


 呆れ半分、疑わしさ半分といった顔だ。

 どうやらタケウチたち自衛隊側と、探索者補助協会側とは、やはり馬が合わないらしい。


 俺は「なるほど」と相槌を打ちつつ、迷宮の壁を見上げる。

 この中で、またあの非日常が待っていると思うと、胸の奥がじんわりと熱を帯びてくる。


 そんなことを考えているうちに、入口にたどり着いた。

 そこには、見慣れた二人の姿がある。


 大きなバックパックを背負ったケイゴが、相変わらずの豪快な笑顔で手を振った。

「よお! この前ぶりだな!」


 その声は広い敷地に響くように明るく、彼のがっしりした体が楽しげに揺れる。

 何がそんなに楽しいのかと思うくらい、全身から“遠足前の子供”みたいなワクワク感が滲み出ていた。


「おはようございます」


 対照的に、ミツイは静かに頭を下げる。

 彼女の仕草はいつも通り、無駄がなくピシッとしていて、思わずこちらも背筋を伸ばしてしまう。


「……二人とも、どうしたんですか」


 今日の同行者はタケウチだけのはずだが、どう見ても二人ともついてくるような様子だ。


「すみません、諸々事情がありまして……驚かせるような形になってしまい、申し訳ありません」

 タケウチが小さく頭を下げ、低い声で謝った。彼の顔はいつもより硬い。


「詳しい話は、迷宮内でお願いできますか」

 さらに一歩、俺に近づき、声を潜める。

「こちらの都合で恐縮ですが……どうにも、部隊内にも不自然な目があるようでして……」


 その一言に、俺はわずかに眉を動かした。

 内側に不自然な目、ということは──何か情報が漏れる可能性があるということだろうか。

 頷いて了解の意を示すと、タケウチはほっとしたように息を吐いた。


 ちらりとケイゴとミツイに目をやると、二人とも黙って頷いた。

 どうやら、この二人にはある程度の事情は伝わっているらしい。

 余計な口を挟むことなく、俺も無言で頷き返した。


「……わかりました。じゃあ、行きましょうか」


 俺が声をかけると、四人で静かに迷宮の入口へ向かう。

 外に待機していた隊員たちが、こちらに気付いて敬礼し、短く挨拶をしてくる。

 それに軽く手を上げて応えながら、俺たちは暗い穴の中へと足を踏み入れた。


 一歩、二歩と進むごとに、ひんやりとした空気が肌にまとわりつく。

 まるで別世界に吸い込まれていくような感覚だ。


 やがて、視界が開ける。

 懐かしい、大きな広場──三鷹迷宮の入口ホールが目に飛び込んできた。

 天井は高く、壁は淡く光り、光源がないはずなのに、あたりはぼんやりと見渡せる。


(あれから、まだそう時間は経っていないはずなのに……なんだか、感慨深いな)


 初めてここに足を踏み入れたときの、あの圧迫感と恐怖感が、今はわずかに懐かしい。

 当時は五十人以上の大部隊で侵入したが、今はたった四人。

 足音がやけに大きく響き、広場の静けさが一層際立つ。



「さて、準備しながらで結構ですので、詳しい話をさせていただきます」


 タケウチはそう言いながら、背中のバックパックを床に下ろした。金属の留め具がカチリと鳴り、次の瞬間、彼の手が慣れた動作でベルトを外す。

 俺もそれに倣い、アイテムボックスから短剣と手甲を取り出す。手甲を腕に通すと、革が肌に吸いつくような感触がして、気持ちが少し引き締まった。

 隣ではケイゴが肩回しをしながら防具を着け、ミツイは静かに短剣の刃を確かめている。小さく鳴る金属音が、迷宮の広場に乾いた反響を落とした。


 タケウチは装備を整えながら、口を開く。

「まず、今回二人が同行する件ですが……理由はいくつかあります」


 俺は手甲の締め具を調整しつつ、耳を傾ける。タケウチの声は、淡々としているが、その奥に重みがあった。


「これは、自衛隊というより──日本という国としての、対外的な問題が絡んでいます」


 その言葉に、思わず手を止めた。やっぱり、ただの迷宮探索では済まない話なのか。


 タケウチは続ける。

「日本の迷宮探索が、活発化してきました。……まあ、半分は事故のような形ですがね」

 皮肉げに笑う彼の目は笑っていなかった。

「この状況を受けて、諸外国──特に、すでに迷宮探索を先進的に進めている国々から、動きが出ています」


「動き、ですか?」

 短く問い返すと、タケウチは頷く。


「ええ。『世界規模での合同組織を立ち上げましょう』という打診です。迷宮に関する情報共有、探索システムの規格統一、そして──全世界で手を取り合い、迷宮という“脅威”を管理し、同時に“資源”を有効活用しよう、と」


 口調は表向きの提案をなぞるものの、タケウチの目は冷めていた。

 俺も心の中で苦笑する。そんな建前、信じるやつがいるのか。


「もちろん、みんなで仲良くしましょう、なんていうのは表の理由です。本音は──情報の探り合いですよ」

 タケウチは短剣を腰に下げながら、低く言った。

「アーティファクトは、今の常識では到底測れない力を持っています。変に一国だけが抱え込めば、不利益が生まれるし、バランスも崩れる。だからこそ、最初から“共有の場”を作るんです」


 頭の中に、妙に生々しい光景が浮かぶ。

 各国の軍や研究者が会議室に集まり、笑顔の裏で腹を探り合い、どの情報を伏せ、どこまでを“共有”するかを計算する……そんな絵面だ。


「そうすれば、あとは堂々と探り放題。別の国の迷宮に関わっても、不自然じゃない……というわけです」

 タケウチは肩のベルトを締め直し、吐息を一つ。


「今、日本で立ち上げている協会については……まあ、世界で作ろうとしている組織とは完全に別物、とは言いませんが、日本国内での管理組織という立ち位置になるでしょうね」


 そう言って、タケウチは手をひらひらと振った。

「イメージとしては……日本警察とICPO、国際刑事警察機構みたいな関係ですか」


 俺は思わず小さくうなずく。なるほど、と頭の中で整理しながらも、心の奥ではなんとなく嫌な予感が膨らんでいく。


「でですね、そこまではいいとして……まあ、正直言うと全然よくはないんですが」

 タケウチは苦笑しながら、背中を伸ばして息を吐いた。

 迷宮の広間に、彼の声だけが落ち着いた反響で響く。


「それに関連して、近々、首脳会談が開かれます」

 首脳会談──つまり、国と国が正面から向き合う場だ。俺みたいな市井の人間には無縁なはずの世界。


「今のところ、参加国は数か国ですが……その席で、各国代表的な探索者を連れてきて、探索者目線での意見も参考にしたい、という話になりましてね」


 ああ、なるほどな──話の流れが見えてきた。

 案の定、タケウチはこちらをまっすぐ見た。

「当然、我が国からも探索者を出さなければいけません……が、現状、我が国最高の探索者は──イトウさん、あなたです」


「……俺、ですか」

 言われてみればそうだろう。だが、言葉にされると背中がむずがゆくなる。


「ええ。ただ……他国はともかく、日本としては、一般人であるあなたをそのまま国の代表としては出せません」

 タケウチは少し申し訳なさそうに目を伏せた。

「決してイトウさんでは力不足、というわけではありません。むしろ逆です。……矢面に立たせるわけにはいかない、という理由からです」


 その瞬間、横からケイゴが口を挟んできた。

「だから、今のところ国に紐づいてる俺たちに白羽の矢が立ったわけだな」


 彼は相変わらずの調子でニヤリと笑うが、目だけは真剣だった。

「隊の中でレベル持ちは、まだせいぜい十人前後。これから順次、適性や精神鑑定、身元の洗い直しをして、少しずつレベル上げを進めるが……当然、歩みは遅い。だから──俺たちの出番ってわけだ」


 その言葉に、タケウチが頷き、話を引き継ぐ。

「私たちであれば、多少は外交的な立場から見ても問題ありません。そして、何よりイトウさんにとっても利があることだと思います」


「……利、ですか」


「ええ。イトウさんも、表舞台に引っ張り出されるのは望んでいないでしょう。私たちが風よけとなって周囲の目をそらします。国としても、イトウさんとしても、都合が良い形になるはずです」


 そう言ってタケウチは、少しだけ肩をすくめた。

「もちろん、レベルアップや探索でお力を借りることになるのは恐縮ですが……」


 彼はそこで、少し照れくさそうに頭をかく。

 迷宮の薄明かりに照らされたその仕草を見ながら、俺は心の中で小さく息を吐いた。


(……確かに、俺にとっても、悪くない話かもしれない)


 目の前でこちらを見つめる三人彼らを見て、ふと胸の奥でそんな考えが浮かぶ。


 俺が望んでいるのは、ただひたすらに──迷宮の奥を覗き込み、未知のものに触れ、自分がどれだけ強くなれるかを確かめること。

 この世界の底に眠るアーティファクトやスキル、まだ誰も見たことのない宝を、この手に収めてみたい。


 国がどうだとか、世界がどう動いているとか、正直そんなものには興味はなかった。

 縛られるのは御免だ。


 だが──多少の協力で、自分の自由が守られるなら、悪い取引じゃない。

 何より、この三人には世話になってきた。嫌いじゃない。


 タケウチは口調こそお堅いが、芯は真っすぐで信頼できる男だ。

 ケイゴは粗雑で豪快だが、一緒にいると不思議と肩の力が抜ける。

 そしてミツイは、いつも冷静で、俺が一人で突っ走らないように支えてくれる。


 立場や役割は違えど……気心の知れた仲間、と呼んでもいいかもしれない。

(社会に出てから、そんな連中とは縁がなかったな)


 会社勤めの頃の俺は、ただの歯車だった。

 いてもいなくても変わらない、替えのきく存在。

 上司に叱られ、取引先に頭を下げ、何のために動いているのかもわからないまま、ただ消耗していくだけの日々だった。


 だが今は違う。

 この世界での俺は──替えのきかない存在だ。

 自分の意思で動き、自分の意思で手に入れた力で、誰にも邪魔されずに楽しめている。


 だからこそ、自然に言葉がこぼれた。


「……わかりました。皆さんのお力になれるかどうかは分かりませんが──協力させてください」


「ありがとうございます」

 タケウチは胸をなで下ろすような表情でそう言い、わずかに口元を緩めた。


「できれば、会談までに少しでも我々のレベルを上げつつ、迷宮の情報を蓄えておきたいところです」

 タケウチはそう言いながら、自身のバックパックから折りたたんだ資料を取り出すと、ちらとそれに目を通した。


「他国からの情報提供を待つだけでは、どうしてもパワーバランスが崩れてしまいますからね……。現状、イトウさんを除けば、ケイゴとミツイがレベル6、自分がレベル4で、残る者たちはレベル3止まり。正直、どんぐりの背比べです」

 軽いため息と共に、彼は資料を畳んで膝の上に置いた。その口調には、焦りというより、静かな危機感がにじんでいた。


「なるほど……日本だけが後れを取っていると見なされれば、発言権も削がれてしまうかもしれませんね」

 レベルも低く、情報もない。そんな国が何を言ったところで、相手にされない可能性は高い。


「でも……他の国の探索者たちのレベルって、どうやって分かるんですか? ネットでもほとんど情報が出てないように思うんですけど……」

 これは素朴な疑問だった。俺も情報収集のため、あちこちのフォーラムやニュースサイトを見て回ったが、レベルについてはほとんど触れられていなかった。探索者として名乗っている人間が、「レベルが上がった」と公言している例も聞いたことがない。

 もしかすると、俺と同じように、その存在を秘めているだけなのか。それとも、そもそもレベルが上がったという実例すら希少なのか。


 そんな考えを巡らせていると、タケウチが声を潜めて言った。


「情報統制が敷かれていますが、政府筋には一部共有されています」

 彼の口調が、いつも以上に慎重になる。周囲の気配にさえ神経をとがらせるような声だった。


「中国の探索者のトップ層はレベル11、ロシア、イギリス、フランス、イタリアあたりもレベル10前後……。そして、アメリカには──レベル15の探索者が存在しているとのことです」


「……レベル15!?」


 思わず声が漏れた。隣にいたケイゴとミツイも、顔をこちらに向ける。


 レベル15。

 その数字が、まるで現実味を欠いた“怪物”を想像させる。


 俺が最初の経験点1000点を得たときのレベルが9、それをも超えるということは、想像以上にアメリカは迷宮探索を進めているようだ。


「あくまで、各国が申告してきている数字だけですからね」

 タケウチは淡々とした口調で言いながら、視線を遠くへ投げるようにして続けた。


「隠し玉があってもおかしくありません。ただ、目安としては十分に機能するでしょう。

 それに、そもそもそのレベル帯が何人揃えられているのかも、現時点では不明です」


 彼の言葉には、楽観も悲観もなかった。ただ冷静に、現実だけを見つめている。

 ケイゴとミツイも、その話は既に共有されていたらしく、無言のまま頷き合っていた。


「だからこそ、最低でもレベル10。まずはそこを、私たちの目標にします」

 タケウチの声が、静かに空間を締めた。


「まあ、あんまり時間もないからな」

 ケイゴが、やれやれと肩をすくめながら口を開く。


「できるだけ効率よくレベルを上げたいところだ。七所の方が経験値の効率は良さそうなんだが……あそこまで行くには距離もあるし、何かあったときの対応も面倒だ」

 その巨体に似合わず、彼の言葉は意外と細やかだ。実際、事故が起これば、助けが届くまでに時間もかかる。


「だから、まずは三鷹でどこまで経験値が稼げるか。それを把握しておきたいんだよ」


「はい、なので──」

 ミツイがそれに続くように、すっと言葉を紡いだ。背筋を正したまま、凛とした声音はやはり印象的だ。


「私とシミズ隊員は、お二人と一旦別行動を取らせていただきます。三鷹迷宮第一層のマッピングを行いつつ、可能な限り戦闘による経験値を稼ぎます」


 彼女は冷静な目でこちらを見た。


「私たちの今のレベルであれば、毒さえ注意しておけば大きな危険はないと判断しています」


「そして──」

 タケウチが話のまとめに入るように、一歩前に出て、こちらに視線を戻す。


「イトウさんと私は、最短ルートでボス部屋を目指します。討伐が済んだ後、二人と合流し、そこで情報を整理しましょう」

 その段取りに、異論はなかった。


 それぞれが役割を持ち、それぞれのやり方で前に進む。

 目指すは同じ──ただ、そのための経路が違うだけだ。


「了解です」

 俺は短く返した。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
今回のお話は読んでてすごく胸糞でした。 前回のドロップ品を売る代わりのダンジョンアタックの権利なのに、ついていかせろ、情報よこせ、ついでにパワーレベリングしろって、流石にないわー
単にレベルアップが目的なら、経験点を売れば良いだけだろ? 1つ1000万円で20個も売れば、そこそこ国としての体裁も立つだろうに。 経験点は既に保有していると伝えて、以降は戦闘でと伝えたら? 国が拒否…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ