第26話 夜のゴミ回収
「MRI装置」を「電動手術台」へ変更しております!
ご指摘ありがとうございます、、、!
「よし……行けるかな」
タケウチたちと別れたあと、基地の隊員に自宅付近まで送ってもらい、家の玄関に立ったときにはすっかり夜も更けていた。
冷え込む夜気が足元から忍び寄るようで、どこか背筋がしゃんと伸びる。
部屋に戻ると、簡単に晩飯を済ませてしまった。味なんて正直覚えていない。今夜はそれよりもやりたいことがあった。
──ポイント稼ぎ、ゴミの回収だ。
ここ最近は監視らしい視線も感じなくなってきた。さすがに、いつまでもおとなしくしているのは精神的にきつい。
「……まあ、いつまでも動かないわけにもいかないしな」
そう呟きながら、動きやすいジャージに着替えて外へ出た。
ドアを閉めた瞬間、夜の冷気が一気に肌を刺すように押し寄せてきた。
「ふうー、今日も冷えるな……」
吐き出した息が白く散って、街灯に照らされて淡く揺らめく。胸いっぱいにそのひんやりとした空気を吸い込むと、肺がきゅっと縮まるような感覚に思わず深呼吸したくなった。
目星をつけているゴミの回収ポイントまでは少し距離がある。
だが、急ぐ必要はない。万が一を考えれば、ただの夜のジョギングに見えるくらいがちょうどいい。
「行くか……」
そう呟いて軽いペースで走り出す。
とはいえ、“軽い”つもりのペースでも、通り過ぎる車のサイドミラーや、すれ違う人の視線で気づかされる。
──俺の走る速度は、どうやらちょっと異常だ。
すれ違った中年男性が目を丸くし、ぎょっとした表情で振り返るのが視界の端に映った。
(……やっぱり、抑えてもこれか)
迷宮の外ではステータスの数値が反映されない──少なくとも、そう考えられている。
だが、実際のところは違う。
“レベル”そのものは、外でも身体に影響しているのだ。
以前14レベルで検証した際に、なんとなく動きが良くなっていたのに気が付いていたのだが、
以降の検証で、おおよその理解ができた。
レベル10で基準が“等倍”。
レベル15になると、おおよそ1.5倍程度の身体能力に。
そしてレベル20で2倍……。
今の俺は──レベル28。
つまり、普通の人間のおよそ“3倍”の身体能力を持っている計算になる。
ジムでの検証も思い出す。
近所のトレーニングジムでベンチプレスを試したら、150キロがすんなり上がった。あのときは本気で驚いた。
まだ人類の上澄みレベル……スポーツ選手のトップ層と同等、もしくは少し上といったところか。
だが、このままレベルを上げていけばどうなるのか。
考えるまでもない。いずれ迷宮の外でも“おかしな存在”になるのは間違いない。
「……気をつけなきゃな」
夜道を駆けながら、ひとりごちた。
暗い住宅街のアスファルトを踏むたびに、足裏から伝わる反発が軽すぎる。まるで自分の体が羽になったような錯覚を覚える。
走り抜けるたび、街灯が後ろへ後ろへと流れていき、俺の影が伸びて縮んで消えていく。
ジョギングというには速すぎる速度で──俺は、ポイント稼ぎのための“狩場”へ向かっていた。
* * *
「……着いたな」
小さくつぶやきながら足を止め、目の前にそびえ立つ建物を見上げた。
冬の夜気が、肌を刺すように冷たい。吐いた息が白く漂い、その向こうに見えるのは、周囲を林に囲まれた巨大な廃病院だった。
建物の外壁はところどころ黒ずみ、窓ガラスの多くはひび割れている。夜風が抜けるたび、古いサッシがギシリと軋む音が響き、不気味さを増していた。
入口の門扉は錆びついた鎖で何重にも縛られ、入る者を拒むように無言の圧を放っている。
脇に設置された古びた看板には、かすれた文字で“総合病院”とある。
かつては地域の医療を支える拠点だったのだろうが、今はただの廃墟だ。
(確か、十数年前に経営不振で閉鎖されたって聞いたな……)
噂では取り壊されることもなく放置され続け、廃病院マニアや肝試し目的の大学生がたまに忍び込むらしい。だが、今は冬の真っ只中。
最寄り駅までは徒歩30分、周囲に民家はぽつぽつある程度で、人の気配など微塵もない。
吹き抜ける風の音だけが耳に届くこの静けさは、逆に心臓の鼓動を強調してくるようだ。
(この立地の悪さも経営を圧迫したんだろうな……)
門扉を見上げる。高さはおよそ2メートルほど。普通の人間なら躊躇するだろうが、今の俺にとっては大した障害ではない。
あたりをぐるりと見渡し、人目がないことを念入りに確認する。
「……行くか」
足に力を込め、一気に飛び上がる。
門の上部に手をかけ、身体を持ち上げるようにしてよじ登ると、錆びた金属がギシリと低く鳴った。
心臓がわずかに跳ねたが、誰かが出てくる気配もない。
門を越えて静かに地面へと降り立つ。
冷えたアスファルトの感触が足裏に伝わった瞬間、わずかな高揚感が込み上げてくる。
(よし……侵入成功だ)
廃病院の闇が、こちらを待ち構えるように口を開けていた。
門を越えた先には、雑草と落ち葉が積もった広い駐車スペースが広がっていた。
かつては車で賑わっていたのだろうが、今はただの荒れ地だ。
足元で乾いた落ち葉がザクザクと音を立てる。夜の静けさを破るたび、背中に薄ら寒いものが走った。
正面玄関へ近づくと、ガラス扉は粉々に砕け散り、出入口は風に吹かれたビニールがひらひら揺れているだけだった。
ライトを点けると、暗がりの向こうに埃をかぶった受付カウンターが見える。
壁の掲示板には、色あせた張り紙がまだ残っており、「外来診療のご案内」とかすれた文字が読めた。
(……本当に時が止まったみたいだな
さて、荒らされずにどれほど残っているか)
玄関を抜けると、埃と黴の匂いが鼻をついた。
廃病院の内部は静まり返り、足音だけが廊下に反響する。
ライトをかざすと、埃をかぶった受付カウンターやスチール製のキャビネットが目に入った。
カウンター裏に転がっていたのは、扉が外れかかった古いキャビネット。
手をかけて軽く持ち上げると、驚くほど簡単に浮き上がった。
キャビネットが光の粒に変わり、腕の中からふっと消える。
──【スチールキャビネット : 1,500P】
「よし……」
診察フロアに入ると、破損した診察台や古い医療機器が並んでいた。
「おお、思ったよりも残ってるもんだな」
再利用するにも難しかったのだろうか、特に運び出しが難しそうなものが残っているのはいい。
こちらはその場で持ち上げられさえすればいいのだから。
奥に転がっていたのはレントゲン台。埃を被っているが、骨組みはしっかりしている。
かなり重そうだが、腰を落として引き上げると問題なく浮いた。
光の粒が弾ける。
──【レントゲン台 : 4,000P】
「4000! やっぱり病院は稼げるな」
次々と目についたものを回収していく。
点滴スタンド、書類棚、酸素ボンベ、壊れたパソコン。
──【点滴スタンド : 200P】
──【スチール製書類棚 : 1,200P】
──【酸素ボンベ(空) : 600P】
──【デスクトップPC : 500P】
物が消えるたび、フロアが少しずつ広く、空っぽになっていく。
さらに奥の病棟へ進むと、使われなくなったベッドがいくつも並んでいた。
スプリングがむき出しになっているが、フレーム自体はしっかりしている。
──【病院用ベッド : 2,000P】
軽々とベッドを片手で持ち上げながら、次々消えていく廃品に心が躍る。まるで掃除機で吸い込んでいくみたいだ。
手術室の奥には、見慣れた大型の医療機器が残っていた。
錆びてはいるが、電動式の仰々しい手術台だ。重量は軽く200キロはあるだろう。
両手で抱え込むように力を込めると、わずかに軋む音を立てて床から浮き上がった。
──【電動手術台 : 20,000P】
「おおお! すごいな!」
思わず声を上げてしまった。最高ポイントの更新だ。
額に汗がにじむ。
変換の瞬間、重さが消える感覚が心地よくさえある。
気づけば、廃病院の一角がガランとしていた。
かつての病室や処置室は光の粒に浄化されたように空っぽになり、ポイントはどんどん積み重なっていく。
(……まだ地下があるな。あそこならもっと高額品が残ってるかもしれない)
廊下の奥、半ば閉じかけた非常階段の扉を見つめる。
まだ回収できるものは山ほどある。
非常階段の扉を押し開けると、冷たい空気が下から吹き上がってきた。
地下へと続くコンクリートの階段は、長年の湿気で黒ずみ、ところどころ苔が生えている。
足を踏みしめるたび、ギシリと嫌な音を立てた。
懐中電灯を照らしながら降りていくと、階下の廊下が現れた。
壁のペンキは剥がれ、床のタイルは割れている。独特の薬品のような、鉄臭い匂いが鼻にまとわりつく。
(……さすがに雰囲気が悪いな。さっさと回収して出よう)
重い鉄扉を押し開けると、そこは大型の医療機器がずらりと並んだ倉庫のような部屋だった。
麻酔器、冷凍保存庫、分厚い金庫のような薬品庫……。
これだけあれば、ポイントは一気に跳ね上がる。
まずは業務用の冷凍保存庫。
中は空っぽだが、外装はまだしっかりしている。
ドアを外し、全体を持ち上げると、身体にずしりと重さが乗る。
──【冷凍保存庫 : 8,000P】
こちらもかなりの重さだったが、今の俺なら問題なく持ち上げられる。
冷たい汗が背中を伝い落ちたが、達成感の方が勝った。
さらに奥には、錆びついた金庫のような薬品庫があった。
いいポイントになってくれそうだ。
扉を引き剥がすように力を込めると、バキリと嫌な音を立てて外れた。
──【大型薬品庫 : 10,000P】
「これも中々の当たりだ」
続けて麻酔器、心電図モニター、輸液ポンプ、手術用ライト……。
片っ端から回収していくたび、地下フロアはみるみる空っぽになっていく。
──【麻酔器 : 5,000P】
──【心電図モニター : 2,000P】
──【輸液ポンプ : 1,500P】
──【手術用ライト : 1,200P】
変換のたびに淡い光の粒が散り、地下の薄暗い部屋が少しずつ広くなっていった。
最後に残ったのは、壁際に据え付けられた古い発電機だった。
重量は軽く200キロを超えていそうだが、ここでやめるのはもったいない。
全身の筋肉に力を込め、一気に引き剥がすように持ち上げる。
──【ディーゼル発電機 : 25,000P】
床に溜まっていた油と埃が舞い、独特の臭気が鼻を突いた。
しかしそれすらも快感に変わるほどのポイントの重みがあった。
地下フロアはもはやがらんどう。
まるで最初から何もなかったかのように、あったはずの備品は光の粒となって消え去った。
(……これだけ稼げれば十分だな。そろそろ戻るか。
しかし、次に来た奴がいたら、すっかりさっぱりしたことにびっくりするだろうな。
これも怪奇現象になったりして)
足元に散らばる古びたネジや配線を踏み越え、階段へと向かう。
階段を上がりながら、今まで変換したポイントの合計を頭の中でざっと弾き出す。
発電機、薬品庫、冷凍庫、その他もろもろ……。
数字を思い返すごとに、胸の奥が少しずつ高鳴っていく。
(……30,000P、8,000P、10,000P、5,000P……合計で……)
小声で数え上げる。
最後に変換した発電機のポイントを足した瞬間、心の中で弾けるように答えが出た。
(……ちょうど100,000P超えか!)
思わず小さくガッツポーズを取る。
さっきまでの地下の重苦しい空気が一気に吹き飛んだ気がした。
地上フロアへ出ると、湿気で重たかった空気が少しだけ軽くなった。
窓枠の割れ目から冬の冷たい風が吹き込み、肌にひやりとした感触を与える。
薄暗い廃病院の廊下を足早に進み、正面玄関の門へと向かった。
入り口の鎖は来たときと同じまま。
門扉を軽く飛び越えて、夜の林に足を着ける。
(ふう……これで今夜の仕事は終わりだな)
廃墟の中で拾った油と埃の臭いがまだ鼻に残っていたが、それすらも今は心地よい疲労感に変わっていた。
ポイントは十分に稼げた。これだけのポイントがあれば、いざというときの準備に回すこともできるし、スキル球や高性能の装備だって狙える。
夜の静寂が漂う林の道を歩きながら、今後の使い道を考える。
三鷹迷宮のボス戦も控えているし、何を手に入れるべきか慎重に選ばなければならない。
「……さて、今日は早めに寝ておくか」
ポケットの中でスマホを握りしめる。
時刻はすでに日付が変わる直前だった。
暗闇に目を凝らしながら、家路についた。




