第23話 七所迷宮攻略開始
腹の底に、ひんやりとした空気が染みこんでくる。
狭い入り口を屈んでくぐり抜け、ほんの少しの勾配を下ると、俺たちは静かに「迷宮」へと足を踏み入れた。
二度目だというのに、この空間特有の重苦しさには、まだ慣れそうにない。
だが……そこに広がっていた景色は、俺の記憶の中にある三鷹迷宮とは、明らかに様相を異にしていた。
最初こそ、露出した土と岩がむき出しの、いかにも「洞窟」といった雰囲気だった。
足元も、踏みしめればざらざらと小石が転がるような感触。自然にできたトンネルのような、ごつごつとした壁面。
だが、そこからほんの数メートル進んだだけで、世界が切り替わった。
突如として現れたのは、石造りの広間。
四方は直線的な石壁に囲まれ、天井はゆうに十メートル以上。
小さめの体育館といっても過言ではない広さだ。
にもかかわらず、圧迫感よりもむしろ、不思議と“整った”空間の印象を受けた。
しかも、だ。
光源がないのに、視界が確保されている。
天井にも壁にも、松明や照明といったものは見当たらない。
なのに、あたりはほんのりとした灰色の光に満ちていて、足元も、仲間の顔も、陰影こそあれどはっきりと見える。
──どこから光が出てるんだ?
三鷹の時も同じだった。けれど、あの時はそれを考える余裕もなかったのかもしれない。
今こうして冷静に見回してみると、なおさらこの空間の「非現実性」が際立ってくる。
しゃがんで、床に手を当てる。
ざらり、とした冷たい感触が指先を撫でた。
まるで、人の手で積まれたかのように整った石のブロック。
磨かれたような跡も見受けられる。
──誰が? 何のために? そして、どうやって?
「さて!」
急に、場の空気を破るように大きな声が響いた。
「無事に迷宮に侵入成功ってわけだが、俺にとっては人生初の“迷宮探検”ってやつだぜ。いやあ、燃えてくるな!」
前方を歩いていたケイゴが、拳を握って笑っていた。
その表情は、危険地帯に足を踏み入れた人間というよりは、まるで遊園地に来た少年のような無邪気さだった。
「……ほんと、あんたって人は……」
隣で呆れたように肩をすくめたミツイが、手慣れた様子でポーチから小型のデバイスを取り出す。
そうぼやきつつも、諦めたように視線を前に向けた。
「……ともかく。まずはセーフラインの確認をしましょう。
現状、迷宮探索における安全区域は“入口からおよそ100メートル以内”というのが通説ですが──」
そう言いながら、ミツイは天井近くを見上げ、部屋の隅へと視線を巡らせる。
「この部屋のサイズでは、せいぜい30メートル四方といったところでしょうか。
完全な測量は後続部隊が行う予定ですので、私たちはあくまで“危険かどうか”の判断だけで構いません」
なるほど。つまり、この空間そのものが“セーフエリア”である可能性が高い、というわけか。
「だったら、俺たちはこの先が本番ってことだな」
ケイゴがにやりと笑いながら、視線を奥へと向けた。
そこには、部屋の奥壁にぽっかりと口を開けた、太めの通路が一つ。
幅はおそらく4メートルか、5メートルといったところか。
ゆとりのある通路だが、奥へ行くにつれて闇が深くなっていく。
ぼんやりとした光も、そこまでは届いていないようだった。
「こちらが唯一の進路になります。現時点では、誰もこの先には踏み込んでいません。
この部屋の一応の安全が確認されただけですから、私たちが初の進入者ということになりますね」
ミツイが通路の手前まで進み、手のひらをかざすようにして中を覗き込む。
「……先は見えませんが、空気の流れがあります。通じていることは間違いないでしょう」
「まるで……ゲームのお約束みたいだな」
ケイゴが顎をさすりながら、面白そうに通路を覗き込む。
「セーフエリアを出たら、いよいよ“敵が出てくる”ってやつだろ? お膳立ては整ったってわけか」
今にも走り出しかねないケイゴを、ミツイが手を伸ばして制した。
「ケイゴ兄さん、ちょっと待ってください。先に進む前に、いくつか確認と打ち合わせをしましょう。特に戦闘に関する取り決めは、事前に明確にしておくべきです」
静かな口調だったが、言葉の端に少しばかりの呆れが混じっている。
「え? ああ、悪い悪い。ついな。こういうのって、突撃が基本かと思ってたんだが……」
笑って誤魔化すケイゴに、ミツイが半眼を向けながら問いかけた。
「それで、ステータスチェッカーは受け取ってますよね? 隊本部からの装備支給の中にあったはずですが」
「ああ、それならあるぞ。命令を受けたあとで上長と一緒に確認したやつだ」
そう言いながら、ケイゴは胸元のポケットから一枚のカードを取り出し、俺たちに掲げて見せた。
薄い金属光沢のあるカード。表示されていた内容は以下の通りだった。
【種族 :人間】
【レベル:00 】
【経験点:00 】
【体力 :16 】
【魔力 :00 】
【筋力 :15 】
【精神力:19 】
【回避力:02 】
【運 :05 】
【所持スキル】
<なし>
「……なんというか、見た目通りのステータスですね」
ミツイがぽつりと呟く。口調は冷静だが、その目には呆れと驚きが混在していた。
なるほど、と俺もカードを見ながら内心で頷いた。
体力、筋力、精神力……どれもずば抜けて高い。
自分が初めてレベル0だった頃と比べれば、ステータスは三倍近くある。
さすがは現役の自衛官、日々鍛えられた肉体がそのまま数値に反映されているということだろう。
だが、それでも。
(……今の自分と比べたら、子供みたいなもんか)
そんな考えが、自然と脳裏に浮かんだ。
レベルアップの恩恵の大きさを、改めて実感する。
「さて、次に。三鷹でのデータを基準にすれば、おそらく経験点が5を超えるとレベルアップします」
ミツイが俺の方を一瞬だけ見やって言う。
たしかに、自分の場合はアイテム経由でレベルが上がったから、正確な経験点の確認は彼らはできていない。
彼女たちは手探りで経験値の蓄積を実感してきたからこその推測だろう。
「三鷹迷宮で確認されたモンスターは、現在四種です。
アリ型、蛾型、ダンゴムシ型、テントウムシ型。
イトウさんが相手にした“試練”のモンスター、つまりカマキリ型は、別枠扱いとして除外しておきます」
そう言って、ミツイは指を一本一本折って数えながら整理する。
「これらのモンスターから得られた経験点は、おおよそ1〜2点程度。
ただし、参加者によって得点が分配される可能性があると現在考えられています」
視線をこちらに向ける。鋭いけれど、真剣な眼差しだった。
「……というわけで。申し訳ありませんが、今回は確認のため、最初に遭遇したモンスターについては、イトウさんお一人で対応していただきたいんです」
言い終えた後、ミツイは一度小さく頭を下げた。
「その後、安全策を取りながら、ケイゴ兄さん──いえ、シミズのレベルアップに移行します」
「了解です。構いませんよ」
俺は静かに答えた。
高レベルの存在であることは、すでに二人に知られているし、何より、現状このメンバーの中で安全に単独で戦えるのは俺しかいない。
こうして合理的に割り振られるのはむしろありがたかった。
「ありがとうございます。では、こちらを使ってください」
そう言ってミツイがバックパックから取り出したのは、一本の短剣だった。
「これは前回、三鷹迷宮で私たちが手に入れたドロップアイテムです。
私とシミズはすでに装備していますので、これをイトウさんにお渡しします」
そう言いながら、今度は手甲も差し出してくる。
「防具についてもこれしかありませんが、できれば装備をお願いします」
俺は短剣と手甲を受け取りながら、思わず口に出していた。
「……それにしても、なんで外で装備してこなかったんですか?」
「念のためです。これらは“迷宮産”のアイテムですからね。
外で取り扱うことで何か不測の事態が起こらないとも限りません。
いずれ問題なくなるかもしれませんが、しばらくはこの運用でお願いします」
なるほど、と俺は頷いた。確かにそれも一理ある。
装備を手に取ると、自然と前回使った<閃羽の短剣>の感触が思い出された。
あれと比べれば、今回の短剣は心許ない。
だが、いざという時のために<閃羽の短剣>は取っておきたいと思っていたところだ。
この程度の敵であれば、これで十分だろう。
俺は改めて装備を整え、腰に短剣を差し込んでからミツイに頷いた。
「準備完了。いつでも行けます」
静かに告げると、ミツイもわずかに表情を和らげた。
その横で、ケイゴが軽く肩を回しながら気合を入れている。
迷宮探索は、いよいよ本番へと差し掛かろうとしていた。
* * *
通路に足を踏み入れたとき、緊張感からか、ほんの少しだけ胸の奥がざわついた。
だが、それも数歩進めばすぐに消えていく。これが二度目だという安心感が、気持ちを落ち着かせてくれていた。
「……おや?」
通路の先で、道が三手に分かれていた。
直進、右折、左折──壁の角度は直角で、まるで定規で引いたように正確に区切られている。
(三鷹迷宮とは……やっぱり違うな)
慎重に足を進めて、まずは左へと曲がる。
すると、数十メートル先で行き止まりかと思いきや、またしても分岐があった。
今度は左右へと伸びる丁字路。通路の幅はおおよそ四メートル、天井は相変わらず高く、薄暗いながらも視界は確保されている。
後方からミツイの声が届いた。
「……ふむ、これは……まるで“迷路”ですね」
手元のマッピングツールに何やら書き込みながら、小さく唸っている。
現在の隊列は、俺が先頭、ミツイが中間、しんがりをケイゴが務めている。
俺が道を切り開き、ミツイが記録を取り、ケイゴが背後を守るという形だ。
「片手を壁につけて進めばいつかは出口に出られる、ってのは迷路の基本だったか?」
振り返ると、ケイゴがニヤリと笑いながら言った。
その口調とは裏腹に、しっかりと後方警戒を怠っていないあたり、やはり訓練されているのだろう。
「ええ、それでまずは左回りで一周してみましょう。地図が完成すれば、全体像も見えてくるはずです」
ミツイが淡々と応じた。
足音だけが、石の壁に反響して返ってくる。
空気は乾いていて、どこか粉塵が混ざっているような感覚があった。
明確な匂いはないが、洞窟特有の冷たさと湿り気が微かに肌を撫でる。
そんな中で、ふと──前方に気配を感じた。
「……止まって」
俺は右手を挙げて制止の合図を出し、目を凝らす。
薄暗がりの先で、何かが──うごめいた。
「敵です」
短くそう告げて、すぐに腰の短剣へと手を伸ばす。
ミツイとケイゴも無言で身構え、背後の気配が引き締まるのを感じた。
暗闇から姿を現したのは──
……蜘蛛、だった。
体長はおよそ犬くらいだろうか。八本の脚で不気味に這いずりながら、こちらへと迫ってくる。
うねるような足取り。甲殻に覆われた黒い胴体。
そして、無数の目がこちらを捉えて、ギラリと不自然な反射光を放った。
(……うわ、これは生理的にダメなやつだ)
背筋に冷たいものが這い上がる。
戦慄と嫌悪が一体となって、背中に鳥肌が立った。
だが、それも一瞬──
深く、ひと呼吸。
心を整え、短剣の柄を握り直す。
「行きます」
静かにそう告げて、踏み込んだ。
一気に距離を詰める。
蜘蛛はこちらの動きに反応したように見えたが、遅い。
──こちらの速度に、ついてこれていない。
すれ違いざま、刃をひと振り。
「──ッ」
鈍い感触と共に、蜘蛛の身体が横に崩れ落ちた。
抵抗も何もなく、まるで刃がすっと通ったようだった。
(……やはり、柔らかいな)
戦闘後、周囲を素早く確認。
追加の敵は──いない。静寂だけが戻ってきていた。
「……大丈夫みたいです」
振り返ってそう言うと、ミツイとケイゴも警戒を解いて歩み寄ってきた。
「すげえな、目で追うのがやっとだぜ」
ケイゴが感心したように言った。
「ありがとうございます。さて、経験点は……」
パネルを確認すると、表示されていたのは──
【経験点:+4】
「蜘蛛は経験点、4点みたいです」
そのままミツイに報告すると、彼女は黙って頷いて手元のメモ帳に書き込んだ。
「アリなどと比べてどうでしたか?」
「うーん……力の差がありすぎて、正直判断が難しいですけど。
でも、アリよりは柔らかく感じました。あんまり硬さはなかったですね」
俺がそう答えると、ミツイはさらにいくつか書き加えていた。
「ありがとうございます。──それで、次のお願いなんですが」
顔を上げて、少しだけ申し訳なさそうに続ける。
「次に遭遇した敵は、すぐに倒さず、攻撃手段の確認を優先してもらってもいいでしょうか。
攻撃の種類、範囲、頻度などのデータが欲しいんです」
なるほど、確かにそうだ。
即座に倒してしまっては、敵の能力が確認できない。
「わかりました。無理のない範囲で、様子を見ます」
俺は静かに頷き、再び前へと歩を進めた。
* * *
探索開始から、もう二時間は経っただろうか。
戦闘を何度も繰り返し、気づけば三人ともそこそこ汗ばんでいた。
とはいえ、危なげな場面は少なく、今のところは順調と言っていい。
敵の出現頻度も高すぎることはなく、戦闘の合間に小休止を挟める程度の余裕はある。
そんな中、通路の壁際に、今まで見なかった“構造”を見つけた。
「……ドア?」
目を凝らすと、くすんだ鉄製の扉がそこにあった。
迷宮内には似つかわしくない、人の手で作られたような構造物。
警戒しながら試しにそっと開けてみると、ギィ……と鈍い音を立てて、扉はゆっくりと開いた。
その先には、薄暗いが、四方を石壁に囲まれた空間が広がっていた。
五、六畳ほどの小部屋。窓もなければ装飾もない、ただの空間だ。
「……敵や罠の気配は、なさそうですね」
部屋の奥まで視線を走らせながら、ミツイが静かに言った。
俺も気配を探ってみたが、今のところ反応はない。
「一旦、ここで休憩がてら整理しましょうか」
俺がそう言うと、ミツイとケイゴも無言で頷いて中に入ってくる。
床は石畳のような素材でできており、湿気も少ない。
少なくとも、腰を下ろして記録をまとめるには申し分ない場所だった。
全員が壁際にそれぞれの装備を軽く整え、警戒を怠らぬように意識を張ったまま、ミツイがバックパックからメモ帳を取り出す。
「では、ここまでの情報を整理しましょう」
彼女がページを開き、俺たちにも見えるように手元をこちらへ向ける。
「まずは蜘蛛型のモンスターからです。これまでに十五体──
経験点は一体あたり四点。ドロップは回復薬と、ステータスチェッカー。
動きは遅く、警戒していれば脅威ではありません」
「ふむ……確かに、一度だけだが噛まれたが、大したケガにはならなかったな」
そう言ったのはケイゴだった。
肩をぐるりと回して苦笑する。
「で、次がカミキリムシ型。こちらは六体。経験点は五点。ドロップは回復薬か短剣。
攻撃は噛みつき特化で、相当な破壊力がありそうですね。
警戒していたので攻撃を受けてはいませんが、腕の一本でも持っていかれるかもしれません」
淡々とミツイが続ける。
「次はムカデ型。七体撃破。経験点は六点。状態異常回復薬か、革の脛あてがドロップします」
指で項目をなぞりながら説明を続けた。
「攻撃は噛みつきと、巻き付き。捕まると危険そうですからこちらも警戒していて受けてはいません。
毒の可能性も高く、やはり注意すべき相手です」
「俺は、あいつが一番気持ち悪いと思うぜ。あのうねうね動く足が……」
ケイゴが鳥肌を立てながら顔をしかめた。わかる。多脚なのもいかがなものかと思う。
「そして最後に、ハチ型。今のところ九体を確認。経験点は八点と、最も高いです。
ドロップは状態異常回復薬と短剣。攻撃は噛みつき、あるいは針による突き刺し」
「間違いなく、今のところ一番の脅威ですね」
ミツイが頷きながら続ける。
「特に、単体で出現することが一度もありません。必ず複数体で現れています。
動きも速く、毒性もほぼ間違いなく所持していると思われます」
俺は膝に手を置いて、小さく息を吐く。
──なるほど、合計すれば四十体近くを討伐しているわけか。
途中からは俺一人ではなく、ミツイとケイゴも前線に出て戦っていた。
二人とも順当にレベルアップを果たしており、ミツイはすでにレベル4。
ケイゴも初レベルアップから勢いづいて、現在はレベル3まで到達していた。
「……あの時は、ちょっと浮かれてたかもな」
ケイゴが苦笑いで頭をかいた。
「はい。次の戦闘で二体同時に突っ込んでいったのは、さすがに軽率でしたね」
ミツイがチクリと刺すように言う。
「……反省してます」
どこか子どもみたいな顔で目を逸らすケイゴに、俺は思わず笑いそうになった。
やがて、ミツイがふたたびメモを見つめながら呟く。
「こうして整理すると、やはり三鷹迷宮の時とは敵の構成が全く異なりますね。
反面、ドロップは似通ってますが」
「三鷹は情報でしか知らんが……なんかこう、こっちは“毒持ち”が多い気がするな」
ケイゴが腕を組んで考え込むように言った。
「もしかして、神社の外にあった森と関係しているのかも?」
ふと思い出して、そう問いかけてみる。
「……環境の影響、ですか」
ミツイがメモを閉じ、腕を組んで目を細めた。
「一つの仮説としては、十分考えられますね。ただ、現時点ではサンプルが少なすぎます。
他の迷宮でも同様のパターンが見られるようなら、より確実性が出てきますが……」
そこまで言って、ミツイはちらりとケイゴに目をやる。
「……ま、今後の調査次第、ってことだな」
ケイゴは軽く肩をすくめて、やや投げやり気味に言った。
迷宮の謎は、まだまだ深い。
だがこうして一つずつ、確かめながら前に進んでいくしかない。
「さて……そろそろ、再開しましょうか」
そう言って腰を上げると二人もそれに続く。
* * *
探索は、順調そのものだった。
途中、何度かモンスターに遭遇したが、いずれも想定の範囲内。
ムカデやハチの毒に警戒しつつも、回復薬の備えは十分にあり、立ち止まることなく進軍を続けることができた。
ミツイのマッピングは正確で、進んだ道を着実に塗りつぶしていく様子は見ていて頼もしかった。
俺たちは、迷宮そのものを“掌握”していくような感覚で、奥へ奥へと歩を進めていた。
途中で軽い休憩を挟みつつ、小部屋の小休止から三時間が過ぎた頃だった。
目の前に、明らかに“それ”と分かる扉が現れた。
重厚な石壁の先に、唐突に現れた大きな両開きの扉。
金属と石の中間のような不思議な質感で、色は煤けた鉄のような鈍い灰色。
高さは三メートル以上あり、両翼のように左右に分かれて開く構造をしている。
「さてさて……お約束でいけば、ここが“ボス部屋”ってとこだな」
ケイゴがにやりと笑いながら、気軽な口調で呟いたかと思うと、
コンコン、と拳で扉を二度、小気味よく叩いた。
「ちょっと! やめてくださいよ!」
ミツイが目を吊り上げ、ジト目でケイゴを睨みつけた。
「ないとは思いますけど……ノックで開いたらどうするつもりですか」
完全に呆れたような声音で詰め寄る彼女に、ケイゴは肩をすくめる。
「そのときゃあそのときってことで。ほら、案外“礼儀正しい敵”かもしれんぞ?」
冗談とも本気ともつかない口ぶりに、思わず俺も乾いた笑いを漏らしてしまった。
「……まったくもう」
ミツイはぼそりと呟いて、メモ帳に何かを走り書きしながらため息をついた。
ここまでで、迷宮内の大部分はすでにマッピングが完了していた。
未踏の領域は──この扉の向こうのみ。
迷宮に入ってからおよそ五時間。かなりの時間をかけて丁寧に進んできた結果だった。
「ここまで来るのに入口からだとどれくらいかかりそうだ?」
尋ねると彼女はすぐに答えた。
「ええと……寄り道なしで最短ルートを通れば、一時間程度かと思います」
つまり、次回来るときには、ここまで比較的あっさり到達できるということだ。
「……ただ、残念ながら、宝箱の類は見つかりませんでしたね」
ミツイが肩を落としながら言うと、ケイゴがすかさず反応する。
「まぁまぁ、今回は回収できたアイテムも多いし、レベルも上がったしな。
俺なんか、お前のアイテムボックス見てテンション上がっちまったぜ?」
確かに、拾ったアイテムのうち、かさばる装備品などは俺のアイテムボックスに一時保管している。
はじめてその機能を使ったとき、ケイゴの目が輝いていたのが印象的だった。
「いざ突撃! と言いたいところだが、流石に体力的にも時間的にも厳しいかもな」
そう言って、ケイゴが腕時計をチラリと見せてくる。
時計の針は、すでに夕刻を指していた。
「そうですね。外に待機している隊員たちには、探索の予定時間と、
それを過ぎた場合は捜索に移るようには伝えてありますが……
今から出て、ちょうどギリギリくらいだと思います」
ミツイも時計を確認しながら言葉を続ける。
「戻るルートはもう頭に入ってますし、この扉の先は明日ってことでどうですか?」
俺が提案すると、ケイゴが「それなんだがな」と真剣な顔で答えた。
「いや、連日だと疲れがたまっちまうからな。意外に目に見えない疲れってのは溜まってるもんだ。
だから、明日は休息日にして、明後日に仕切り直しってのはどうだ?」
拳を軽く打ち合わせながら、ケイゴがにやっと笑う。
「私も賛成です。今日の成果は想定以上でしたし、報告のまとめもあります。
一度本部に戻って資料を整理したいですね」
ミツイの言葉に俺も深く頷く。
こうして、俺たちは“未知の扉”の前に立ったまま、剣を抜くことなく踵を返すことにした。
再びこの場所を訪れるのは、二日後──
そのとき、扉の先に何が待ち受けているのか。
異様な扉からの圧力を感じつつ。その場を後にした。




