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第21話 迷宮探索補助協会と新たな迷宮

 迷宮から脱出して──今日で、ちょうど一週間が経つ。

 今俺がいるのは、迷宮に関する諸々を管轄するという、政府の特殊な建物だ。

 場所は郊外のやや開けた丘の上、周囲を見渡すとすぐ隣には自衛隊の基地らしき巨大な構造物がそびえている。


 最初は、正直言って少しだけ身構えていた。

 下手すれば連行に近い形で拘束されて、荒っぽい取り調べでもされるんじゃないかと。

 ……だが、その心配は杞憂に終わった。


 案内されたのは、小ざっぱりとした一室。

 窓際に木製の鉢植えが飾られていて、椅子も沈み込みの柔らかな布製。

 差し出された水も冷たく、快適な空間だった。


 そして始まった事情聴取は、拍子抜けするほど丁寧だった。


「ご家族については……?」

「ご両親は?」

「以前のお仕事は?」


 内容はどれも、ありきたりなもので──俺はすでにタケウチさんたちに話したのと同じ内容を、

 そのまま繰り返すだけだった。

 もちろん、迷宮についても聞かれたが、踏み込んだことはあまり問われなかった。

 スキルについての情報も控えめで、俺の反応を窺いながら進めている感じだ。


 ある日のこと、思いがけずクスノキさんと再会する機会があった。

 控室に通されると、彼女は俺の顔を見るなり、声もなく両手を握りしめた。

 泣きはしなかったが、その表情は言葉以上に「無事でよかった」と語っていた。


「本当に、よかった……」と、小さく漏らした声が、少し震えていた。


 あの時、彼女は迷宮から無事に帰還した。

 どうやらその後、国から何かしらの補償や支援の話が出ているらしい。

 俺の方には、まだそんな話は来ていないけど──ま、今は調査中ってことなんだろう。


「よければ……これ、私の連絡先です」


 差し出された紙に書かれた番号。俺は軽く笑って、受け取った。

 でも──きっと、この先繋がることはないんだろうな。

 あの場でだけ交差した、運命の一瞬。その記憶だけで、十分だ。


 また別の日には、「調査員」と名乗る人たちに連れられて、自宅へと一時帰宅した。


 なんというか……これまた意外だった。

 てっきりドラマやテレビで見るような、物々しい捜査風景を想像していた。

「警察24時」みたいな、ガサガサ、バタバタと物を引っ掻き回すイメージだったのに──


 実際には、丁寧な手つきで引き出しを開け、元に戻し、棚の隙間も慎重に確認。

 靴を脱ぎ、スリッパに履き替えて、まるで客人みたいだった。


「失礼します、こちらは拝見させていただきますね」

「申し訳ありません、お手数ですがこの箱を開けていただけますか」


 なんだか……こっちが恐縮してしまうほどだった。

 捜査が終わったあと、調査員の一人が深く頭を下げて、

「ご協力ありがとうございました」と言って去っていった姿が、妙に印象に残っている。


 ──そして今日。

 久しぶりに、見慣れた顔が現れた。


「お久しぶりです」


 扉をノックして現れたのは、タケウチさんと──その少し後ろで直立するミツイさん。

 変わらぬ様子二人に少しほっとして、彼らを迎え入れた。







 * * *








「どうですか、こちらは。なにかご不便をおかけしてませんか?」

 タケウチさんがそう言いながら、備え付けの椅子をひとつ引いて腰を下ろした。

 柔らかい微笑みを浮かべてはいるが、どこか申し訳なさそうな気配も漂っている。


 一方で、その後ろに立つミツイさんは、いつも通りの無表情で直立したままだ。

 軍人というより彫像みたいだと、改めて思う。


「ええ、大丈夫です。むしろ……想像していたより、だいぶ過ごしやすいですね」

 そう答えると、タケウチさんの表情がふっと緩んだ。安堵の色がはっきりと見て取れる。


「それは良かった。こちらも、できるだけのことはやらせていただければと」

 言葉を切った彼が、軽く咳払いをした。ああ、やっぱり本題はここからか。


「ところで今日は?」

 水を向けると、彼は「あっ」と声を上げ、膝をぱんと叩いた。


「おっと、失礼しました。

 今日はですね、イトウさんの調査が正式に完了したというご報告と、

 いくつかのご相談をと思いまして。アイテム関連の補填の件も含めてです」


 そう言って、懐から数枚の紙を取り出す。薄い青い紙と、やや厚手の白い紙。どちらもよく役所で見るような質感だった。


「まずはこちらですね。調査完了の報告書と、その通知書です。

 内容的には『特に問題なし』と記載されていますが、念のため、お手元に置いていただければ」


 差し出された二枚の書類を受け取る。

 ぱっと見、漢字ばかりで読む気も失せるが、サインが必要というわけでもなさそうだし、とりあえず脇に置いた。


「続いてがこちら、少し恐縮な話にはなるのですが……」

 タケウチさんは、今度は冊子のように綴じられた資料を一つ取り出した。

 表紙にはやけに堅苦しいタイトルが印刷されていて、見ただけで読む気が削がれる。


「これは?」


「はい。今回、イトウさんが獲得されたアーティファクト《識別の石板》についてです。

 ……物が物だけにして、一部の上層部から個人所有はどうなんだという声が出ていまして」


 タケウチさんは不本意そうな顔を前面に押し出して頭をかいた。


「アメリカで確認されたアーティファクト《枯れることなき壺》も、最終的には政府が回収したという前例があります。

 その流れを押し出して、今回の《石板》も国で管理すべきだ、という声が強くなっています」


 なるほど、と心の中で頷く。予想していなかったわけじゃない。


「とはいえ、無償での徴収というわけにもいかない、ということで

 ──ある程度の金額を提示して、“国への寄付”という形にできないか、というお話です。

 ……大変厚顔無恥ではありますが、ご検討いただけるとありがたいです」


 そう言いながら差し出された冊子を開くと、そこには「三千万円」の文字。

 その瞬間、思わず失笑しそうになった。


 舐めてるにもほどがある。


 冊子の中には、アメリカでの回収事例やら、識別能力による利便性評価やら、

 なんとかかんとか計算式みたいなものがぎっしり詰め込まれていたけれど

 ──正直、億は超えると俺でもわかる。それくらいの代物だ。


 ……とはいえ。


 俺の中に、怒りの感情は湧かなかった。

 むしろ、然もありなんという思いだ。


 金なんて、俺にとってはある種どうでもいいものだ。


 人が金を欲しがるのは、それによって「欲」を叶えるためだ。

 しかし──俺の欲は金では満たせない。


 どこまで強くなれるのか。

 どんなスキルを得られるのか。

 アーティファクトには、どんな未知の力が眠っているのか。


 この胸をざわつかせる期待と興奮は、どれだけ札束を積まれても、絶対に買えない。


 仮に日本で無理でも、世界は広い。

 潜る場所さえあれば──俺は、またあの場所に挑める。


 そう思えば。


「ええ、それで構いませんよ」


 気がつけば、言葉は自然に口をついて出ていた。


 本当に、心の底から、そう思えたからだ。


 タケウチさんは一瞬、驚いたように目を見開いた後、すぐに深く頭を下げた。

「ありがとうございます。本当に、ありがとうございます。

 心から、感謝いたします」


 恐縮しきり、という雰囲気で頭を下げている。

 ちらりと横目で見ると、ミツイさんも同じように頭を下げていた。



「では、こちらは後ほど、指定の口座に振り込ませていただきます」

 そう言って、タケウチさんは冊子を静かに下げた。

 そして、彼は背筋を伸ばして、居住まいを正した。


「それでは、続いて──今後についてのお話です」

 口調も先ほどまでの気まずさや遠慮を脱ぎ捨てたように、どこか切り替わった印象だった。

 俺も自然と背筋を正し、正面から向き直る。


「まず、迷宮についてですが……おそらく数日中に、政府から公式の声明が発表されます」


 そう前置きして、彼は言葉を続けた。


「《迷宮探索補助協会》という組織が、新たに立ち上がる予定です」


「迷宮探索補助協会……?」


 思わずオウム返しに口にすると、タケウチさんはこくりと頷く。


「ええ、その名のとおり、迷宮に挑む“探索者”たちを支援・管理する機関です。

 ……本来であれば、危険な迷宮に一般人を送り込むなんて、倫理的には許されない行為かもしれません。

 危険性は非常に高く、生きて戻れない可能性もある」


 その言葉に、俺は静かにうなずく。


 実際、死んでもおかしくなかった。

 手足をもがれるような戦いだった。

 あの“迷宮”を知ってしまった今なら、誰かが挑もうとしたときに「やめておけ」と言える。

 たとえどれだけの金が積まれても、躊躇なく背を向ける者がいたとしても、俺は責める気になれない。


「けれど同時に──迷宮には、得られる“力”もあります」


 タケウチさんの目が、じっと俺を見据えた。


「アーティファクト、スキル、経験……これらは今の常識を超えた価値を持っています。

 だからこそ、人は惹かれる。放っておけば、無許可で侵入して、勝手に死ぬ人間が出てくる。

 ……実際、海外ではすでにそのケースが頻発しています」


 その通りだ。


 ニュースで流れる、荒れた街の一角にぽっかりと開いた──迷宮。

 そして、行方不明者リストに並ぶ名前たち。

 表向きは管理されていない迷宮に勝手に入って、二度と戻らなかった者たちだ。


 だが、それでも挑もうとする者が絶えないのは、“そこ”に何かがあると皆が知ってしまったからだ。


 ──だからこそ、政府が動いた。事前に、ルールを作るために。


「……それで、俺に何をさせたいんですか?」


 黙って聞いているだけじゃいけない気がして、問いかけた。

 するとタケウチさんは、少し表情を引き締めて答えた。


「協会が正式に立ち上がるまでの間、迷宮探索の“手引書”を作る必要があります。

 どのような危険があるのか、どうすれば生き延びられるのか、どんなアイテムが有用なのか。

 マニュアルとまでは言えなくても、最低限の“道しるべ”が要る」


 そして、彼は身を乗り出し、机の向こうから俺に向かってはっきりと言った。


「そのために──イトウさん。

 あなたに、協会発足までの期間限定の資格として《特別探索者許可証》を発行させていただきたいと思っています」


 ……なるほど。


 やっと話の全容が見えてきた。言ってしまえば、これはテストプレイだ。

 俺に先陣を切らせて、迷宮の実態を掘り起こし、他の探索者に向けた“土台”を作らせる──そういう話だ。


 タケウチさんはさらに続けた。


「発足までは急ピッチで進めるつもりです。

 それまでの間に、我々と共に迷宮に潜り、基礎となる知見を一緒に積み上げていただければと思います。

 もちろん、迷宮内で得られたアイテムは、アーティファクトを除いてすべてイトウさんに譲渡します。

 アーティファクトについても、今回と同様の対応にはなりますが、最大限尊重する方向で調整いたします」


 それだけ言うと、彼は一度深く息を吐き、こちらの出方を静かに待った。

 たぶん、ふつうの人間なら──慎重に考えるところだろう。責任、拘束、命の危険。


 でも、俺は違った。


 心が、またあの深淵を求めて疼いていた。


 縛られるのは少し面倒だが、それでもいい。

 なにより、堂々と“潜れる”という権利──それこそが今の俺にとって、何よりの報酬だった。


 だから、思わず笑ってしまった。


「わかりました。どれだけお力になれるか分かりませんが」

 そう言って、手を差し出した。タケウチさんの目が大きく見開かれ、すぐに満面の笑みが浮かぶ。


「おおっ! ありがとうございます!」


 力強く手を握られた。


 ──その瞬間、もう一度迷宮の風が、肌を撫でるような気がした。


「それでは、こちらの準備などを整えたうえで、一週間後、お迎えにあがります」


「行き先は、三鷹迷宮ではなく……新たに発見された《七所迷宮》。そちらへご一緒ください」


 七所迷宮──新たな迷宮。


 未知の場所、未知の敵、未知のスキル。


 にやりと笑う俺の中で、何かがまた目を覚ました気がした。

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― 新着の感想 ―
追記できなかったのでこちらから10話のところですかね
そもそも石ころでさえ持ち出し禁止じゃなかったっけ?
期間限定の貸し出しにすれば良かったのに。返して欲しいと言えば即返してもらえるように。
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