第18話 戦利品、手錠を添えて
「いてて……」
痛む膝を押さえながら、俺は地面に崩れたまま息を吐いた。
張り詰めていた緊張の糸が緩んだせいか、
さっきまで気づいていなかった傷や筋の痛みが、じわじわと意識の隅を侵食してくる。
「まったく、何なんだよ……あの化け物は……」
背筋に残る冷えと共に、あのカマキリの異様な鎌の動きを思い出す。
だが、それも今は過去だ。俺は、確かに生き延びた。
自分の力で、“試練”を突破した。
五分ほど地べたに座り込んで、肩で息をしていた俺だったが、ようやく意を決して立ち上がる。
手のひらに細かい砂がくっついていて、ぱんぱんと払うと、赤黒くなった指先の擦過傷がひりりと疼いた。
「……傷の具合は、まあ、こんなもんか」
命に別状はない。骨も折れてない。
とはいえ、無理な踏み込みや回避を繰り返したせいか、足腰の筋肉が悲鳴を上げている。
ポーチの中をまさぐり、回復薬の瓶を取り出す。
コルクを抜いて中身を一気に流し込むと、ぬるい液体が喉を伝い、じわじわと身体に沁み込んでいくような感覚が広がった。
「……もう一本いっとくか」
念のため、さらに二本立て続けに飲み干すと、体の奥底からじんわりと温かさが広がり、
ようやくまともに立ち上がれるようになった。
そこでようやく、足元に落ちた光に気づく。
「……さて、お楽しみタイムといくか」
倒した“試練”のモンスターが残したドロップアイテム。
そこには、目を引く二つの物体があった。
一つは、直径10センチほどの蒼く輝く球体。
もう一つは、表面に細かい紋様が彫り込まれた、やや重みのある石板だった。
俺は球体をそっと手に取り、次いで石板を拾い上げる。
どちらも、ただのアイテムではない気配があった。
「……これは、もしかして……」
その瞬間、視界の前に淡く光るパネルが浮かび上がった。
石板の方にフォーカスされ、説明文がホログラムのように展開されていく。
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【識別の石板】
種別:アーティファクト
効果:対象の正体や特性を明らかにする神秘の石板。
古代文明の遺産とも言われるこの石板は、手に取って意識を集中することで、
目の前の「何か」に刻まれた真実を浮かび上がらせる。
人物であればステータスやスキル、アイテムであれば名称・用途・隠された効果までも判明するという。
使用者に依存せず、一目見るだけで「識別」できる。
ただし、一部の強力な結界や封印には無効化される可能性があるため、万能とは限らない。
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「……マジか。これは、すごいな」
アーティファクト──おそらく宝箱から出た《万能継ぎ布〈リペア・クロス〉》と同じカテゴリ。
何の使用制限もなさそうだし、使い方もシンプルそうだ。
なら、試してみる価値はある。
俺は、右手に石板を持ち、左手にもう一つのアイテム──蒼い球体をそっと掲げる。
すると、再び石板の表面に光が走り、今度は別の説明文が浮かび上がった。
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【スキル球:アイテムボックス(下級)】
種別:スキル球 (レア)
効果:スキル《アイテムボックス(下級)》を取得可能
蒼白い光を湛える球状の結晶。
異空間に最大5種類までのアイテムを保管できる能力を得る。
収納された物品は時間経過による劣化・腐敗の影響を受けず、自由に出し入れ可能。
ただし、以下の制限が存在する:
>一定以上の大きさを持つ物体は収納不可
>一部の特殊アイテムには対応していない
スキルのグレードが「下級」であるため、容量は控えめだが、
探索者にとっては信頼に足る“私的倉庫”となるだろう。
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「……やばいな、これは」
思わず、にやりと笑ってしまう。
これで多少のアイテムは迷宮外に持ち出せる。
「さて……さっそく使ってみるか、スキル球」
蒼く微かに脈打つそれを左手に掲げ、そっと息を整える。
意識を込めるように力を向けると、球体がぼんやりと強い光を放ち、
やがて空気に溶け込むようにして消えていった。
体の内側に、光が流れ込むような感触が走る。
ほんの一瞬、目の奥に電撃が走ったかのような感覚と共に、
目の前に半透明のパネルが展開される。
【スキル:アイテムボックス(下級)を取得しました】
【中級以上のスキルを獲得した場合は上書きされます】
「おお……」
思わず声が漏れた。
言葉にすることで実感が増す。
「よし、さっそく試してみよう」
手の中に握っていた〈閃羽の短剣〉に視線を落とし、
そのまま“しまう”という感覚を意識の中で強く思い描く。
すると、ほんの一瞬の沈黙の後、刃は手のひらからふっと消え去った。
「おおっ、消えた……!」
何かを掴むような、不思議な感覚が胸の内に生まれる。
短剣の気配が、目には見えないどこかに“存在している”とわかる。
不思議な安心感と共に、それは“俺の中にある”という確信だった。
次に、“出す”と念じてみる。すると、その瞬間──
シュッ、と空気がたわむ音とともに、閃羽の短剣が元の姿で手の中に現れた。
「こりゃいいや……!」
軽く笑みがこぼれる。念じるだけで出し入れできる。
腐りもせず、劣化もない。このスキルがあれば、探索の利便性は格段に上がる。
続けて、〈識別の石板〉も収納しようと試みた。
しかし、その瞬間──何かに弾かれたような感覚が走った。
「……え?」
もう一度、意識を集中してみるが、やはり同じ。
石板が、まるで空間の入り口から押し戻されるようにして、拒まれる。
「まじか。アーティファクトは入れられない……?」
苦々しくつぶやいて、額に手をやる。
どうやら、“一部の強力なアイテムには対応していない”という制限に該当するらしい。
「しまったなぁ……」
石板を見つめながら、思わず頭をかく。
どう考えてもこの石板は後々問題になる。
ステータスを隠したい俺にとって、これほど不都合なアイテムはない。
「とはいえ……壊すのは、な」
なにせアーティファクトだ。貴重な物である以上、壊してしまうのは気が引ける。
「……仕方ないか」
疲労のせいか、頭が回らない。
良い言い訳も思いつかず、ため息混じりに石板をポーチへ滑り込ませる。
(ある程度は開示していく必要もある……か。今後もずっと隠し通すのは難しそうだしな)
視線を下げて、自分の手のひらを見る。
握っていた短剣は再び消し、今度は回復薬を試してみる。
腰のポーチから小瓶を取り出し、収納を念じる。
消えた。
もう一本……また消えた。
結果、10本までは収納できた。
「ふむ。数には制限があるのか。同種のアイテムは10本まで、か……」
念のため、戦利品を見直す。すべてを持ち帰るのは不自然だ。
装備の一部は壊してポイントに変換して、足元を軽くするのが良い。
短剣と回復薬、そしてステータスチェッカー2つをボックスへと納めた。
【アイテムボックス収納内容】
・〈閃羽の短剣〉
・回復薬(最下級)×10
・ステータスチェッカー ×2
空きはまだ2枠。いざというときのために残しておこう。
(それに……あの“試練”の件もあるしな)
ふと、重たい感覚が胸にのしかかる。
もし、迷宮内の全員に討伐報告が表示されていたら
──どう考えても、俺が“討伐した張本人”だとバレてしまうだろう。
(俺しか倒せる奴がいないと、消去法でわかってしまう……)
焦りはあった。だが、それ以上に──疲れていた。
「……帰るか」
ぼそっと呟いて、意識を切り替える。
タケウチたちのことは気にかかる。
だが、ここまで来る間にも姿を見かけなかったということは、
彼らはすでに脱出済みか、もっと奥にいるかのどちらかだ。
(心苦しいが、一旦入口まで戻ろう……表示が正しければ、封鎖も解除されているはずだしな)
俺は静かに腰を上げ、傷んだ身体に鞭を打つようにして、再び歩き出した。
迷宮の闇の中へと、出口を求めて。
* * *
あれから、どれくらい歩いただろうか。
行きとは違って、帰り道に迷う心配はなかった。
横道にそれることがないので、すんなりと入口付近まで到着する。
──それでも、二時間ほどかかったか。
目の前に広がる広間に足を踏み入れると、セーフエリアの周囲がやわらかなライトで照らされていた。
白く光る床の縁に沿って、幾人もの人影が忙しなく行き交っている。
照明の先にある出口からは夜の空気が流れ込み、既に日が沈みかけていることが察せられた。
(トータルで6、7時間……そりゃもう夜だよな)
脱力気味に息を吐きながら、俺はゆっくりとエリアの境界へと歩みを進めた。
そのときだった。
「──止まれッ!」
怒声とともに、突如として銃口がこちらに向けられた。反射的に両手を挙げる。
「イトウ・タケルか!? 返答しろ!」
緊迫した声が響く。
見ると、自衛隊の迷彩服を着た男たちが数名、こちらに銃を構えていた。
その中の一人が、無線で何かを連絡しながら外へと駆け出していくのが見える。
(……ドラマみたいだな、これ)
薄々想像はしていたが、まさか自分が銃を向けられる側になるとは。
少しだけ現実感が追いついてこないまま、俺はじっとその場で止まり、事態の進展を待った。
やがて、バタバタと足音が響いてきた。
「イトウさん!」
現れたのは、見知った顔──タケウチとミツイ、そして彼らに続く数名の隊員たち。
タケウチは、俺の姿を確認した途端、少し息を荒げながら駆け寄ってきた。
「無事だったんですね! 本当に……よかった。あの後、どうなったのかと……」
一瞬、言葉を詰まらせたが、すぐに表情を引き締める。
「……いえ、すみません。こちらの状況は後ほどお伝えします。
申し訳ありませんが、規定により一時的に拘束させていただきます」
そう言うと、後ろにいた隊員が俺の前へ出てきた。
その顔──確か、俺と同じように奥へ進んだ隊員の一人だ。
俺の目線に気づいたのか、小声で囁く。
「……大丈夫だ。形式だけだ。外の対策本部に連れてくだけだから。中に入ったら外してやれるさ」
そう言って、いたずらっぽく笑いながら俺の手首に手錠をかける。
冷たい金属の感触が、妙に現実的だった。
「……了解。じゃ、言われるがまま従いますよ」
苦笑まじりに答えながらも、どこかホッとした気持ちもある。
もう一人、横から別の隊員が肩を軽く叩いてきた。
「タケウチさん、すげー心配してたぞ。戻ってこないから、どうしようかってなっててさ。
助けに行こうにも、こっちも混乱しててな……」
「そっちも大変だったろ。こっちもまあ……色々あった」
そう言いながら、俺は隊員たちに囲まれる形で歩き出す。
左右からの視線に少しむずむずしたが、今は、黙って従うのが一番だ。
前を歩くタケウチが、背中越しに振り返ることなく声をかけてきた。
「さっきも言いましたが、後ほど状況の確認をお願いします。
手に入れたアイテムも確認が必要ですし……何より、試練の件についても」
「……わかりました。こちらも説明することは多いですから」
俺の返事に、タケウチが軽く頷いたように見えた。
彼らの表情は、どこか警戒心を帯びている。
だが、それでも──俺と行動を共にしたことが、わずかでも信頼として残っているように感じられた。
(まあ、お役所仕事だしな。ちゃんと筋は通しときますよ)
そう心の中で呟いて、俺は静かにその建物──おそらくは臨時の対策本部へと足を運んだ。
ライトに照らされた夜のセーフエリアは、どこか仮初めの街灯のように、不思議なほど静かだった。




