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第1話 ダンジョンの回収屋

三鷹迷宮・第三層。


 その名が世に知られるようになってから、もう何年が経っただろうか。

 危険区域に指定され、幾度となく調査隊が投入されてきたこの層に、

 俺は今、当たり前のように立っている。


 足元には一面の草原が広がっている。

 茂みや岩場もなく、地形の起伏さえも穏やかな、見渡す限りの緑。

 迷宮の「第三層」と呼ぶには、あまりに開放的で、自然的だ。

 空はどこまでも澄み切っていて、雲一つない青のキャンバスに、太陽が悠然と居座っていた。


 けれど――ここは、現実ではない。


 「今日も、良い天気で」


 独り言を漏らしながら、俺はゆっくりと歩き出した。

 歩き出してどれくらい経っただろうか。

 周囲は相変わらず静まり返っていて、風に揺れる草の擦れる音だけが、かすかに耳に届いている。

 そんな中、不意に視界の端に――草むらの奥、ほんの一瞬、何かが光を反射したような気がした。


 立ち止まり、しゃがみ込んで近づいてみる。

 草をそっとかき分けると、そこにあったのは一本の剣。……いや、正確には、かつて剣だった“なにか”。


 刃はざっくりと欠け、刀身の半ばからぽっきりと折れている。

 恐らく、戦闘中に破損して、そのまま捨て置かれたのだろう。

 持ち主が再利用を諦めたのか、それとも急いで撤退するしかなかったのかは分からないが、ここで戦いがあったことを、剣が物語っていた。


 ――壊れた装備。

 普通の探索者なら、見向きもしない類のガラクタだ。

 時間の無駄。荷物になるだけ。

 しばらく放置されれば、迷宮の自浄作用で自然と消えていく運命の“無価値なもの”。


 だが――俺にとっては、違う。


 「……お宝発見」


 思わず口の端が緩んだ。

 俺はそっとそれを拾い上げる。

 手のひらに伝わる感触は冷たく、そして、どこか儚い。

 ……ほんの一瞬、その質感が指に残ったかと思うと、次の瞬間には――それは光の粒子となって、ふわりと俺の目の前から消えた。


 続けて、空中に半透明のパネルが現れる。


  ――【鋼の長剣(破損) : 1,050P】


 「おお……鋼か。三層にしては、なかなか良いの持ってたんだな」


 ぽつりと独り言が漏れた。

 久しぶりに戻ってきた三層。

 他の探索者たちも、どうやらそれなりに健闘していたらしい。

 鋼装備なら、第三層では十二分に通用する。


 「……ま、ありがたく頂戴しとくよ」


 思った以上のポイントに、思わず頬が緩む。

 俺にとって、“壊れた剣”はただのゴミなんかじゃない。

 ――経験値にも、戦果にもならなかった誰かの痕跡が、こうして俺の手元で意味を持つ。


 ちょっとした"お小遣い"に浮かれつつ、改めて三層の景色に目をやる。


 風も、匂いも、完璧に再現された“それらしい”自然。

 だが、そのどれもが“作りもの”の域を出ていない。

 例えば、風。確かに草を揺らし、肌を撫でるが、熱を感じない。

 太陽が燦々と照りつけているにもかかわらず、額に汗の一つも浮かばないのだ。


 「相変わらず、温度感ゼロ。どんなシステムで成り立ってるんだか」


 自分でも呆れるほど、緊張感のない声が出た。

 第一層や第二層では、もっと殺伐とした雰囲気が支配していた。

 暗く、湿り気のある洞窟や迷路のような通路。

 だが、第三層は違う。草原。ただただ、果ての見えない草原。


 広いだけならまだしも、問題は“いつまでも昼間”だということだった。

 どれだけ歩いても、どこまで移動しても、太陽の位置は微動だにしない。

 影の角度も、照度も、まるで固定された画像のように変化がない。


 「――ずっと昼間、ってのも案外気味が悪いもんだな」


 そういえば、学会から派遣された某大学の教授が、

 大勢の護衛を引き連れてこの層に降りてきたことがあった。

 三日三晩、寝泊まりしながら調査を続け、結論として残したのは――

 “あの太陽は、位置がミリ単位すら動いていない”という報告だった。


 「そりゃ、そうだろ。夜にならないんだから、気づけよって話だけどな……」


 思わず苦笑が漏れた。

 高名な学者といえど、現場に出ればそんなものだ。

 机上の理論では測れない不確かさが、この迷宮には満ちている。


 そう――俺がこうして、ピクニック気分でこの第三層を歩いていられるのも、

 その“不確かさ”に慣れきってしまったせいかもしれない。


 この世界の常識など、とっくに崩れ去っていた。



* * *



 しばらく草原を進むと、見慣れた風景が目の前に広がった。


 まるで空間の一部だけを無理やり張り替えたかのように、それは唐突に、そこにあった。

 緑の絨毯が続く大地のなか、まるで地面が忘れたかのように、石造りの階段がぽつりと現れている。

 階段は空へと向かって緩やかに上昇し、やがて途中でぷつりと途切れていた。

 その先、薄靄の向こうにうっすらと浮かぶ第二層の輪郭――


 まるで、空間そのものが折れ曲がって、異なる層を直結しているかのようだった。


「……何度見ても、気持ち悪い光景だな」


 つぶやきながら立ち止まり、空中に伸びる階段を見上げる。

 物理法則がまるで機能していない。重力も、構造も、整合性も、ここには存在しない。

 それでも、今の自分にはこの奇怪な構造も“当たり前”に感じられるようになっていた。


 第三層の草原地帯は基本的に“自然”で構成されている。

 ただ、階段周辺にだけは、わずかながら“人の痕跡”があった。


 ――とはいっても、あくまで“痕跡”だ。

 迷宮自体には強い自浄作用があるらしく、恒久的な建築物の設置は不可能とされている。

 壁を建てても、床を敷いても、数日もすれば迷宮の“内圧”に取り込まれ、

 跡形もなく消えてしまう。


 ゆえに、周囲にあるのは簡素なものばかりだ。

 即席の屋台。簡易骨組みに布を張ったテント。折り畳み式のベンチ。

 それでも、どこか工夫と生活の匂いが滲み出ていた。

 人間は、どんな場所にも拠点を作る。


 その中でも、一張りのテントが視界に入る。

 カーキ色の二~三人用のキャンプ用テント。

 背丈より少し低く、風で揺れるその姿は、少し頼りなげで、けれどどこか落ち着く。

 それが、自分の拠点だった。


 もう何度となくここで寝起きし、補給をし、休息を取り、時には情報をやり取りした。

 この異常空間で“拠り所”と呼べるものがあるとすれば、それはこのテント以外にはない。


 近づくにつれ、その周囲に数人の男女がたむろしているのが見えてきた。

 見知らぬ顔もいるが、中には見覚えのある者も混ざっていた。

 テントの入口に腰かけて談笑している者、地面に座りこんで地図を広げている者、少し離れた場所で警戒気味に周囲をうかがっている者。


 緊張と弛緩が同居する、小さな野営地のような空気。


「おっと……お客さんを待たせちまったか」


 軽く苦笑しながら呟く。

「よう、お待たせ。ちょいと遅れちまったみたいだな」


 片手を軽く挙げながら、俺はテント前まで歩を進めた。

 陽射しのない空の下、変わらず眩しさをたたえた草原が広がる。

 だが、ここだけは別世界だ。

 即席の拠点に集う者たちが、俺の姿にちらりと目を向ける。警戒と親しみが混ざった視線。


「さて……今日は何を回収しようかねぇ」


 わざとらしく両手を広げてそう告げると、すぐ近くで仁王立ちしていた偉丈夫が鼻を鳴らした。

 大柄な体に傷だらけの外套、逞しい腕を組みながら、不機嫌そうにこちらを睨む。


「ふん、待ったうちには入らねえさ。それよりもよ、最近“協会”の連中がピリついてるって話だ。……そっちは平気か?」


 彼の名はゴトウ。昔気質の重戦士で、このあたりでは有名な“現場主義”の男だ。

 無口ではないが、言葉には棘がある。そして、その棘は、信頼の裏返しでもある。


「まぁねえ。警告っぽいものは一応、受けたよ」


 俺は苦笑を浮かべ、肩をすくめてみせた。

 その仕草にゴトウの眉が少し動いた。

 たぶん、面倒ごとに巻き込まれていないかと警戒しているのだろう。


「とはいえ、俺がやってることは“たまたま”壊れかけの品を回収・交換してるだけだ。見ようによっては、不用品回収業みたいなもんさ」


 芝居がかった口調で言いながらも、内心ではすでに幾つかの逃げ道と言い訳を用意してある。

 協会は、表向きは迷宮の調査と秩序維持の機関だが、裏では何を考えているかわからない。

 特に俺のように、“回収屋”を名乗りつつも何かと動いている者は、目をつけられやすい。


「まあ、あの人たちからすれば、壊れかけとはいえ――物騒な代物を個人で集めてるなんて、お気に召さないだろうねぇ」


 口の端を上げながら言うと、ゴトウは鼻を鳴らした。


「ちっ……言ってることは分からなくもねえがな。お前のやり方は、どうにも煙たい」


「はっはっは、そういう人ほど、俺のとこに“掘り出し物”持ってきてくれるんだが?」


 言って、からかうようにゴトウの肩をぽんと叩く。

 大げさに睨み返してきたが、その目に怒りはなかった。慣れたやりとりだ。


「……まぁ、この場所が危うくなったら、すぐに河岸を変えるつもりさ。心配ご無用」


 そう言って、俺は軽く手を振った。


 場にひと息分の静けさが流れたあと、わざと手を打つようにして声を上げる。


「――まま、それより本題だ。お客さん方、今日の“品”を見せてくれないかね?」


 にこりと笑みを浮かべながら、テントの前に腰を下ろす。

 その言葉を合図に、周囲の数人がそれぞれの袋や風呂敷、あるいは布で巻いた荷を手にし、ゆっくりとこちらへ集まってくる。


 得体の知れない物体、光を帯びた破片、意味不明な紋様が刻まれた金属片――

 迷宮の“歪み”から掘り起こされた品々が、ひとつ、またひとつと俺の前に並べられていく。


 この瞬間だけは、まるで露店商にでもなった気分だ。

 だが、この品々のひとつひとつが、迷宮の深奥と、この世界の裏側を繋ぐ鍵になるかもしれない――


 そんな期待と緊張を、誰よりも強く抱いているのは、他でもない俺自身だった。


高評価、ブックマークなどいただけると励みになります。

よろしくお願いいたします。

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