病院のELLY その3
──2095年、6月5日(Sun)、10:15
三多摩メディカルセンター
医療モジュール…正常
介護プログラム…正常
RAINとの接続…条件付き良好
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「おはようございます!比奈子先生。」
「おはよう。ハルカ。」
研究室を覗くと、比奈子先生は髪をひとつに束ねてエプロンとゴム手袋をしていました。
「どうしたんですか?その格好。」
「ちょーっと、雪崩が起きちゃってね~…だからいっそ掃除しようと思ってさ。」
比奈子先生はズボラです。
「手伝いますよー!」
幸い、私はこの部屋のどこに何があったかを覚えているので整頓ができます。
比奈子先生がテキトーに避けたものを元の場所へ戻していきます。
「先生、ここに登録されてない資料や書類も沢山ありますよ?」
「悪いけど、その辺に纏めといて。」
部屋の奥から比奈子先生の声がします。
「わかりましたー!」
私は言われた通りにするだけです。
「ふぅ…やっと片付いたわね!」
「あの、先生…まだこんなに積まれてますけど…」
殆どが資料室や奥の部屋に仕舞うものなので、この部屋の"棚は"片付いた事になりますけど…
「それにしても、この部屋の物の位置なんてよく覚えてたわね?」
「えっと、これは患者さんの情報ではありませんし…比奈子先生はズボラですから…!」
「うぅ…言いにくい事をズバッと言うわね…」
「言わなきゃ伝わらないじゃないですか…!」
「そ、そうだけど…」
少し言い過ぎな気もしますが、私には比奈子先生の助手としてしっかりサポートする役目もあるので仕方ありません。
次は奥の部屋に仕舞う書類を片付けます。
所蔵されている研究論文や卒業論文、ここ20年ほどの医療関係の情報誌、歴代の研究者が集めたであろう新聞の切り抜きなどのスクラップなど…
この病院が歩んできた歴史が詰まっていました。
幾つか書類を棚に戻した所、1枚の写真が落ちていました。
「あれ…?」
その古ぼけた写真を拾うと、そこには2人の中年男性と真ん中に若い女性が映っていました。
後ろには『2072/8/20・母の友人と』の文字。
どうやら過去の研究者か昔の学生さんが書類に挟んだままにしていたもののようです。
「あの、比奈子先生…すみません。どれかの書類に挟まってたと思うんですけど…」
私は拾った写真を比奈子先生に渡します。
「これは…あぁ、大丈夫。たぶんあれだ。」
よかった。比奈子先生は写真に見覚えがあったみたい。
これで元の場所に戻せます。
「後で私がちゃんと戻しておくわ。」
そう言って比奈子先生は写真をポケットに仕舞いました。
そのままにして忘れそうですが大丈夫でしょうか?
「私、そろそろ昼食を摂ってくるから、ハルカは時間になるまで自由にしていいわよ。」
「わかりました!」
12時を過ぎた頃、比奈子先生は食事をしに研究室を出て行きました。
『自由にしていい』これほど難しいものはありません。
ELLYを含め、機械と云うのは命令があるからこそ行動できます。
『待機して』なら『待つ』と云う命令を行動できますが、『自由に』とか『好きに』とか…私自身の主観が多分に含まれるものは命令とは呼べません。
ど、どうしましょう…
私は何を自由にしたらいいのでしょうか…?
{じゃあ"博士"の様子でも見に行ったら?}
わっ!びっくりした…急に出て来ないでくださいよ。
{貴女が気を抜きすぎなだけよ。}
えっと、"博士"って…相澤さんですよね?
{そうよ。患者だとしても愛称くらいは覚えてるのね。}
はい。ただ、基本的に呼んであげる事はできませんけどね。識別用に覚えてるだけなので。
{仕方ないわよ。それが看護師型の宿命なんだから。}
そ、そうですね…
{けど"博士"は貴女の事を気に入ってるみたいだし、私は貴女が羨ましいわよ。}
あれは、ただのセクハラじゃ…?
{アンドロイドである貴女にセクハラする理由は?}
うーん…そういう性癖とか…?
{流石にそこまでは知らないから否定はできないけど…"博士"からしたら私たちは可愛い娘みたいなものよ?}
そうかもしれませんが、だとしたらセクハラに別の問題が発生するような…?
{まぁ、あくまで"みたいなもの"だから。}
は、はぁ…
{とにかく、"私"が心配なんだから行くわよ。}
彼女が私の身体を急かすので、仕方なく相澤さんの所へ向かいます。
私であって私じゃない存在…
私が看護師のハルカなら、彼女は何のハルカなのでしょうか?
前に、この事を比奈子先生に言ったら『だからハルカは私の研究対象なのよ。』なんて言われてしまいました。
確かに、私たちは珍しい現象なのかもしれません。
彼女は私と入れ替わっても比奈子先生の助手や相澤さんの介助をやってくれるので私は信頼しています。
{…あまり評価しないでほしいわね。}
わわっ…!聞こえてるんですか!?
{当然でしょ?私は貴女でもあるのよ?}
そ、そうでした…
「ちょっと!ハルカちゃん!?」
「…はい?」
油断しました。転ぶ中で尾崎さんと思われる人が確認できます。
「ふみゃっ…!」
思わず変な声が漏れました。
「ふふっ…ハルカちゃんったら、ELLYにしてはそそっかしいわね。」
尾崎さんはクスクスと笑ってます。
私はゆっくりと立ち上がった後、即座にお辞儀をして速足でナースルームへ入りました。
恥ずかしかったぁ…
{…悪かったわね。}
いえ、私もボーッとしてましたし。
{やっぱり私が喋ると結構消費するわね…}
大丈夫ですよ!リソース管理くらい私にだってできます!
{けど、それで他の対応が遅れてドジやらかすじゃない?}
そうですけど…
{っと、今も黙った方がいいわね。}
…わかりました!じゃあ、これからは待機中だけにしましょう?それならお喋りできますよね?
{…ありがとう。}
患者さんの情報を取得します。
{変化は無いようね。}
そうですね。相澤さんはどちらかと云えば軽度の患者さんですし。
{さぁ、早く行きましょう。}
私はナースルームを出て病室へ向かいます。
──病室を覗くと相澤さんが比奈子先生と話してました。
「あれ?比奈子先生、昼食を摂りに行ったんじゃ…?」
「ついでだから見に来たのよ。」
「ついでとはなんだ!ついでとは!」
「いいじゃないですか。博士もたまには人間と話したいでしょ?」
古くから付き合いがあるから、2人の会話は普通の医者と患者の会話ではありません。
「じゃあハルカ、後はよろしくね?博士、あまりセクハラするようなら追い出しますからね?」
「わかりました!セクハラされたら追い出します!」
言ってみただけです。
私は、いつものように患部の状態をチェックします。
{大丈夫みたいね。リハビリするの?}
そうですね…あっ、でもまだ食後みたいなのでダメですね。
「患者さん、ご飯はどうでした?」
「美味かったよ。けど食べさせてはくれんかったな。」
「患者さんが怪我してるのは脚です。食事は1人でできますよね?」
「くっ…!ダメか…!」
何かと看護師にやってもらおうとしてるみたいですね。
「あんまり迷惑掛けちゃダメって言いましたよね?」
「はいはい、わかったわかった。」
{…元気そうね。}
元気すぎて困るくらいですよ…!
{まぁ、元から歳の割にはパワフルな人だったわよ。}
あの…私って、相澤さんを担当する前から面識があったんですか…?
{…あったわよ。だから私は博士の事を覚えている。知っている。}
じゃあ、怪我の理由も…?
{そうね。知ってるわ。}
もしかして、私のせいですか…?
{違うわよ。貴女のせいじゃない。私は…ちょっと原因かも。}
そうなんですか!?
{安心しなさい。直接の原因は博士自身よ。あっ、セクハラしようとしてぶつけたとか、そういう訳じゃないわよ?一応言っとくと。}
そ、そうなんですね…
{安心した?}
はい。けど、覚えていないので…
{仕方ないわよ。私は貴女とは別フォルダの存在だもの。どれだけ看護師型が患者の情報を忘れようとも、私には残っている。}
少し、羨ましいです。
{博士の怪我が治って患者じゃなくなれば共有されるわよ。}
そ、そうなんですか…?
{私と貴女が記憶を共有している以上、患者と云う条件が取り払われれば私の他の記憶と同様に貴女と共有されるはずよ。}
た、確かに…!
やっぱりハルカさんは頼りになるなぁ…
{…貴女もハルカよ。}
簡単な登場人物の紹介
・ハルカさん…ハルカの内に居る存在。彼女と対話している時は注意力散漫になる為、結果としてドジをやらかす。看護師型ではない為、ハルカが忘れている患者の情報も覚えている。




