第八話 少し楽しみだった日曜日---カフェ編---
俺は、何事もなかったかのように、みんなの輪へ戻った。
すぐに未来と佳織が駆け寄ってくる。
「慎爺くん、大丈夫? 顔色、ちょっと悪いよ?」
「慎爺、疲れてるなら無理しないでね?」
トイレの鏡に映った青白い顔が脳裏をよぎる。
──まあ、確かに無理してたかもしれない。
でも、今さら空気を重くするわけにはいかない。
二人の心配そうな視線に、俺は軽い調子で言った。
「平気平気。カフェイン切れただけ。コーヒー飲めば復活するって!」
まあ、コーヒー飲めば少しは気が楽になる。
座って休憩するならカフェが最善の選択肢だしな。
俺の様子に気づいたらしい龍ちゃんが、さりげなく空気を読んでくれた。
「よし、じゃあカフェ行こうぜ。俺も喉乾いたし」
「はーい! あそこがいい!」
佳織が近くのカフェを指差して、ぴょんぴょん跳ねる。
その無邪気さに、自然と頬が緩んだ。
──癒しって、こういうのを言うんだろうな。
「鶴留のわがまま、貸し一つな?」
佐藤の軽口に、思わず引きつりながらも笑って返した。
(……こいつ、休憩なしとか最強かよ)
ドン引きしつつ、俺は軽く手を挙げて応じる。
「あざーす! じゃ、行こうぜ!」
◆
カフェに着くと、俺は真っ先にアイスコーヒーを注文した。
冷えたカップを受け取りながら、自然な流れで席取り役を買って出る。
広い四人テーブルと、少し離れた窓際の二人用のテーブル。
迷わず、俺は二人席を選んで腰を下ろした。
理由は単純だった。
これまでの流れからして、佐藤は未来を絶対に譲らない。
となれば──俺と佳織が自然にペアになるのは、決まっていたようなものだ。
まあ、未来と佐藤が二人テーブルになるのが嫌なだけでもあるが、一番は心配されるのが気まずいし苦手だ。
しばらくすると、予感はすぐに現実になる。
「ねえ、ここ、いい?」
声と同時に、佳織が俺の隣にちょこんと腰を下ろす。
カップを両手で包み込むように持つ姿が、なんだか子どもみたいで少し肩の力が抜けた。
予想通りだな、龍ちゃんが来たらどうしようかと思ってた。
心の中で小さくボケながら、アイスコーヒーに口をつけた。
「ありがと。……ちょっと休憩したかったんだ」
俺が言うと、佳織も頷いて、スマホを取り出した。
「私と連絡先、交換しない?」
「いいけど、急だな」
スマホを取り出すと、佳織は頬杖をつきながら微笑んだ。
「慎爺って、優しいじゃん? 女の子が一人にならないように、気を遣ってくれてるの、ちゃんとわかるもん。そんな人、ちょっとくらい知りたくなるでしょ?」
見られてたっつーか、バレてた……のか?
いや、隠してた訳じゃないし、俺が勝手にやってたことだからな。
感謝される覚えはないけど……なんか、むず痒いな。
俺は照れ隠しに、軽く佳織の額にデコピンをかます。
「買い被るなって。俺、そんなできた人間じゃねぇよ」
額を押さえた佳織は、痛がる素振りもなく、むしろ柔らかな笑みを浮かべた。
「……そういうところが、優しいんだよ?」
不思議と温かい空気が二人の間に流れる。
俺は佳織から視線を外し、通路を行き交う人を眺めた。
疲れがあったのか、何も考えずにアイスコーヒーを飲んでのんびりしていた。
少し間を置いて、佳織が小声で問いかけた。
「慎爺、彼女いるの?」
何気ないようでいて、ちょっと踏み込んだ質問。
男女の会話で出てくる話題だな、気があるとか、ないとか関係なく出てくるやつ、恋愛経験が浅い男子にはトラップみたいなもんだ。
俺は自称だが、この会話をしている男女を結構な数、見てきた。
俺に彼女がいるわけない。
佳織に視線を向け、自嘲気味に聞き返す。
「俺に彼女がいるように見えるか?」
素っ気なく返しながらも、仕返しのように尋ねた。
「佳織は? 彼氏とか」
すると、佳織は少し目を細め、いたずらっぽく微笑む。
「……気になる?」
甘い声だった。
この子は肝が据わってると言うか、仕草ひとつで勘違いさせてくるタイプだな。
でも、不思議と動揺はしなかった。
「普通に気になる」
あっさりと答えると、佳織は小さく笑った。
「私、今まで彼氏できたことないんだよ?慎爺は?……彼女とか、欲しい?」
首を傾げる仕草。
肩にかかる髪がさらりと揺れて、大人びた空気をまとった佳織。
──冗談に聞き流せない。
彼女が今後、他の男子と関わる際に気をつけるように警告ついでに俺も冗談っぽく言った。
「なんでそんなこと聞いてくるんだ。勘違いしちまうだろ?」
佳織は、いたずらを見破られた子供みたいに頬を赤らめた。
それでも、上目遣いで囁く。
「勘違いしちゃうの? 私みたいなのが……タイプ?」
言い方と表情が年相応な女の子に見えた。
ここで冗談だと流したら、傷つけるかもしれない
「佳織は、可愛いし、優しいし──魅力的だと思うよ」
彼女の長所を本音で答えた。
佳織はカップに口をつけた後、指先をくいっと曲げて手招きした。
不思議に思いながら顔を寄せると──
「こういう時間、ずっと続けば良いのに……なんて、思っちゃった。ねえ、二人で、抜け出そ?」
耳元で、甘く囁かれた。
言葉と一緒にふわりと頬を撫でた、佳織の吐息のぬくもり。
一瞬、心臓が跳ねた。
でも、俺はそっと、佳織の額に指二本で軽く叩いた。
「そういう冗談は好きな奴に言わんかい、俺に言ってどうすんだよ」
「んー、冗談じゃないんだけどな〜」
佳織が無邪気に笑いながら額を抑える。
声は軽いが、どこか真剣さを感じる。
俺は今の状況をボケることで路線変更することにした。
「こらこら、純粋な男心を惑わすのは、やめなさい。危ないから普通に考えて!」
「何が危ないのかな〜?」
佳織が笑いながら聞き返すが、彼女になんて言い返すか言葉を詰まらせる。
そんな俺を見て佳織は小さく吹き出す。
まさか、コーヒータイムに立ち寄ったカフェで、こんな空気になるとは思わなかった。でも、楽しい時間になったな。
◆
ふと我に返って、俺は佳織に尋ねた。
「なあ、俺の顔色、治った?」
佳織は頬杖をついたまま、首を傾け、目を細めながら、まるで隠し事を見抜いたかのように俺を見つめた。
「やっぱり、無理してたんだね。うん……今は、すごくいい顔してるよ」
その言葉に、胸が少しだけあたたかくなる。
「ありがとな」
俺は素直に礼を言って、スマホを掲げる。
「そろそろ、ちゃんと連絡先、交換しようか」
「……うん」
佳織も微笑んで、そっとスマホを差し出す。
カチリと、スマホ同士が触れ合った音。
それは、今日一日が形になったみたいな、小さな確かな音だった。
交換を終えると、佳織がもう一度、そっと囁いた。
「無理は、しないでね?」
「わかってる。もう、無理しない」
そう言うと、佳織は嬉しそうに目を細めた。
少し照れ臭くなって、つい冗談が出る。
「ってか、無理してないからな。そんな頼りなく見える? 一応、男だぜ?」
「はいはい」
手を小さく振って冗談を軽く流す彼女は、まるで包容力の塊みたいだった。
視線を四人の方へ向けると、未来が、テーブルの向こうからじっとこちらを見ていた。
不安そうな表情に見えた俺は、元気だよ、と伝えるように。
少しぎこちなく手を上げた。
「よし、そろそろ、みんなのところに戻るか」
◆
四人テーブルへ戻ると、誰よりも早く、未来が立ち上がった。
まっすぐ俺に歩み寄ると、そっと両手を伸ばしてきた。
「慎爺くん……顔色、良くなった。無理、してたんでしょ?」
近い。
未来の顔が、すぐ目の前にある。
少し動じてしまったが、未来を見たら不思議と心が落ち着いた。
そうか、未来も俺を見てたのか、嬉しいな。
俺は自然に…というより、気づけば、未来の手を包み込んだ。
「大丈夫だ。無理してない。未来は、休めたか?」
自分でも驚くほど、優しい声が出た。
たぶん、佳織の影響だな。
未来は、瞳を揺らしながら小さく頷いた。
思わぬ反応に少し照れたが顔に出ないよう気張った。
俺は、みんなに声をかけた。
「みんなも休めた? そろそろ次、行こうぜ」
「おう。俺は十分だ。そろそろ、次行くか?」
龍ちゃんがストローで残りを一気に吸う。
カップは透明の容器に入っており、チョコチップと上にホイップクリームが乗っかっている。
「……何飲んでんだ? フラペチーノ?」
「よくわかったな、キャラメルフラペチーノだ」
「……」
龍ちゃんの隣で、凛恵ちゃんが小さく呟く。
「鶴留くん……なんか、変わった……」
そう言いながら、龍ちゃんの手をぎゅっと握りしめる。
佐藤は、あからさまに不機嫌そうに黙って立ち上がる。
「……さっさと行こうぜ」
まあ、いい。
今さら、誰かに振り回される気なんてない。
◆
──カフェを出た俺たちは、ショッピングモールを歩き出した。
行き先なんて、決まってない。
笑い合いながら、冗談を飛ばし合いながら
ただ、自然なテンポで進んでいく。
そして、ふと気づいた。
最初、俺は必死だった。
周りのバランスを取らなきゃって、
誰も傷つけないようにって、
ずっとピリピリして、肩に力が入ってた。
だけど今は──
無理に気を張らなくても、ちゃんとみんなの顔が見える。
佐藤が未来にべったりなら、
俺と佳織がそこに自然と混ざればいい。
佳織が一人になりそうなら、
龍ちゃんと凛恵ちゃんを巻き込めばいい。
未来の笑顔だけじゃない。
今は、みんなの笑顔を守りたいって思える。
──気づけば、俺自身も楽しんでいた。
心の中に、じんわりと、誇らしさが満ちていく。
そんな想いを抱きながら、
俺は未来の笑顔をちらりと見て──
何でもないふりをして、前を向いたが、顔は少し緩んでたと思う。
みんなにバレないようにしてたから、誰にもわからないけど。
カフェ編を見て頂きありがとうございます!
まだ慎爺たちの日曜日は続きます。
お楽しみ下さい。