第六話 休みにならない昼休み
昼休み。
俺は、屋上にいた。
本来なら、今ごろは、未来と二人、並んで弁当を広げていたはず。
……なのに、目の前にいるのは、にやけた面を張りつけた龍ちゃん。
背中に「ドヤァ」って擬音が浮かんで見えるのは気のせいか。
助けられた恩もあるし、俺たちには「協定」がある。
ひとつ、面白いことは共有する。
ふたつ、基本は傍観者に徹する。
けれど今日だけは、そのどちらにも当てはまらない。
完全な、例外だ。
今の俺は、龍ちゃんのアドバイスが欲しかった。
未来と俺は、まだ付き合ってはいない。
互いに意識している……たぶん、そんな、もどかしい距離。
俺だけの勘違いかもしれない。
でも、未来も少しくらいは──そう、思いたい。
確かな証拠なんて、ない。
けれど、未来は今も大切に持っている。
中学の文化祭で、俺が歌ったライブ映像を。
そして、俺とのツーショット写真を。
未来にとって、あの日の俺は──少しだけ、特別だったのかもしれない。
「龍ちゃん。未来とは、実は中学の文化祭で会ってたんだよ」
「……へえ? てことは前からの知り合いってことか?」
「いや、そうじゃなくてさ。俺のバンドライブ見て、“人生変わった”って言ってくれてさ」
未来の“もうひとつの顔”──Vsingerのことはもちろん伏せた。
言えるわけがない。けど、あの日の出来事だけは、嘘じゃない。
「はぁ!? お前、バンドやってたのか!? ライブ!? うわぁ、見たかったわー!」
大きなリアクションをしながら、興味津々の様子だ。
未来が小さく笑ってスマホを取り出す。
無言で再生ボタンを押すと、スピーカーから、控えめな音量で、過去の俺の歌声が流れ出す。
「うぉっしゃ来たぁあああ! 慎爺のライブめっちゃ気になる」
龍ちゃんは叫ぶように声を上げ、未来のスマホを覗き込んだ。
最初は「想像通りだわ」「この時から髪長ぇな」と茶化していた龍ちゃんも、やがて黙り込む。
真剣な目で、画面を見つめる。
やがて、映像が終わると龍ちゃんは、ゆっくり顔を上げる。
「……マジで上手いな、お前。そりゃ、人生変わるわけだ」
その声は、意外にも真剣だった。
茶化すこともなく、バカにすることもなく。
だからこそ、むずがゆくて、俺は思わず苦笑した。
「世辞はいいって。なあ、未来?」
そう言った俺に、未来はスマホを胸元にぎゅっと抱き寄せ、真っ直ぐな瞳で答えた。
「慎爺くんのライブ……今まで聴いた中で、一番だったよ?」
未来の言葉は、まっすぐだった。
だからこそ、余計に恥ずかしい。
「あ、あざす……」
小声で礼を言いながら、ぎこちなく目を逸らした。
そんな中、龍ちゃんが身を乗り出して言う。
「なぁ、未来ちゃん! その映像、俺にも送ってくれよ! マジで欲しい!」
未来はちょっと驚き、すぐに笑って頷いた。
「いいよ、龍ちゃん。連絡先、交換しよ?」
ふたりはスマホを突き合わせ、楽しそうにやり取りを始める。
俺は少しだけ、置いていかれた気分になりながら、それを見つめていた。
(もし、連絡先交換の相手が龍ちゃんじゃなく佐藤だったとしても、未来は笑っているのかな……)
転送が終わった後、龍ちゃんは俺に顔を向ける。
「つーかさ、普通こういうの見せられたら『やめろよ〜』って言うもんじゃね?」
確かに普通はそうだけど、特に嫌とかそう言う考えはなかった。
二人だったら、俺は気にしない。
そんなことを思ってると未来が気まずそうに俺を見る。
「ご、ごめん……嫌だった?」
俺は軽く手を振った。
「別に。……思い出だろ? 未来にとっても、龍ちゃんにとっても。持っててくれるなら、俺も嬉しい」
本音だ。無名のバンドだったし、ライブ映像とか、思い出としては最高にカッコいい気がするからな。
大人になったら話題にもなると思うし、無問題。
「やっぱ慎爺は優しいな! な? 未来ちゃん」
「うん。本当に優しい」
未来は安心したのだろうか、肩の力が抜けたように見えた。
その笑顔に、ほんの少しだけ、視線を奪われた。
「ライブの後もすごかったんだよ。観客は少なかったけど、みんなバンドの人たちと写真撮ってたの」
興奮気味に、少し懐かしい思い出を語り始めた彼女に俺は思わず苦笑した。
龍ちゃんは信じられないと俺を見た後、バンドの話をもっと知りたいと楽しげに反応する。
「マジかよ!? それ、すげぇじゃん! なんでバンドやめたんだ?」
ふいに、胸の奥がちくりと痛んだ。
「……バンド仲間と、ある女子をめぐって揉めたんだ。どっちが悪いわけじゃなかったが、親友の好きな子が、俺のファンだった。俺は友情を選んで親友のために動いたんだけど、それがダメだったんだ。結局、バンドは解散した」
親友の顔が、今でも女を見る度に浮かぶ。あの頃のようになるのが嫌だった。友情と恋愛を天秤にかけた――つもりだった。
でも、あのとき俺が選んだのは、ただ誰にも嫌われたくないって逃げ道だったのかもしれない。
だったら最初から関わらなければいい……
「そっから、俺は人と関わらずに見る側になったんだよ」
空を仰ぎ、逃げ場を探すように笑った。
未来は弁当箱の端を指でなぞりながら、ぽつりと呟いた。
「……そういうの、優しいと思うよ。ちゃんと、誰かの為に何かできるのって」
「ありがとうな、少し気が楽になった」
未来も、龍ちゃんも、それ以上は訊かなかった。
少し沈黙が流れた後、俺は話題を変えた。
「ところで、龍ちゃんの彼女って、どこのクラス?」
龍ちゃんは弁当箱を広げながら、にやけた顔で答えた。
「隣のクラスだ。仲谷凛恵ちゃん! 普段は超おとなしいけど、バスケ部じゃマジでバケモンみたいに強い!」
知らない名前に俺は考える仕草をする。
女子バスケ部……誰だ?
俺の反応とは裏腹に未来が驚いて身を乗り出す。
「凛恵ちゃん!? うそ、付き合ったの!? おめでとう、龍ちゃん!」
「だろ!?」
龍ちゃんは鼻を鳴らす。
「控えめな子が、本気出すと破壊力やばいって……ギャップ萌え、最強だわ!」
未来も笑いながら頷いた。
「わかる〜。凛恵ちゃん、すごく努力家だし」
未来の反応からするに友達か、未来も顔が広いな。
その横で俺は、まだ名前を覚えきれずに、素直に訊いた。
「で、どう書くんだ? 凛恵って」
龍ちゃんは空中に指で字を書く真似をする。
「『凛』に『恵み』の恵!」
「……へえ。名前からして可愛いな」
俺は、ふっと笑って指を掲げ、今度は自分の名前を空に書くふりをする。
「俺は、慎ましい爺だけどな? なんだよ、慎ましい爺っておかしくね?」
言った瞬間、龍ちゃんが腹を抱えて吹き出した。
「な、なんだよ、慎ましい爺って!」
未来も、口元を押さえながら震えている。
俺は真顔でピースを作った。
「これが俺の必殺ギャグだ。これで笑わなかったやつはいない」
屋上に、笑い声が広がる。
未来もとうとう堪えきれずに吹き出した。
◆
──そして、ようやく、俺たちは弁当に手を伸ばした。
俺はコンビニの栄養バーを取り出す。
俺の好物でもあり、昼飯だ。一本だけだが、昼飯には丁度いい。
未来は、きれいに詰められた小さな弁当箱を開ける。
栄養バーを見た未来が心配そうに俺を見る。
「慎爺くん、それだけ? 少なすぎない?」
「昼はこれで十分だ。栄養さえ取れりゃいい」
俺は軽く笑って、栄養バーを口に運んだ。
確かにこれだけじゃ栄養は十分に摂取できない。
あくまで補助役の栄養バーだ。
未来が箸を止め、真剣な顔で言う。
「昨日も……それだけで、あんなに走ったの?」
龍ちゃんが代わりに答える。
「未来ちゃん、こいつ、朝と昼は超最小限にしてんだよ。そっちの方が調子いいんだと、もしかして、慎ましい爺ってここから来てるのか?」
「なんで、高校生活の食習慣を事前に把握してんだよ。怖いだろ…」
滑ったボケに軽くツッコミを入れたあと、栄養バーを指でつまみ、最後の一口を食べる。
「体質ってやつだな。夜の食い方次第で、次の日の体調が変わるんだよ」
未来はまだ心配そうな顔をしていたけれど、それ以上何も言わずに、弁当に向き直った。
そのとき、龍ちゃんのスマホが鳴った。
電話に出ると、いつもと違う声で話す。
彼女からだな。声でわかる。……もしこれが男だったら、正直ちょっと引くかもしれない。
短い通話の後、龍ちゃんが俺を見た。
「慎爺、来週の日曜、空いてるか?」
「空いてるけど……なんだ?」
「凛恵ちゃんの友達が、遊びたいらしい。未来ちゃんも来て欲しいってさ」
なんだか、声からして嫌な予感しかしないと言うより、確信していた。
未来も誘うってことは、遊ぶ時のメンツがわかる気がする。
凛恵ちゃんの友達は知らないけど、男子はあいつだな。
未来も、ぴくりと反応した。
「……ねぇ、龍ちゃん。まさか、佐藤くん……絡んでたりしないよね?」
龍ちゃんは渋い顔で頷いた。
やっぱりな、龍ちゃんは悪くないから仕方ない。
「あー……絡んでる。佐藤が凛恵ちゃんに頼んだんだ」
しばらく黙ったあと、俺は栄養バーを食べ終え、静かに言った。
「断ること、できるか?」
少し考えた結果、龍ちゃんに聞くだけ聞いてみた。
俺に敵意剥き出しの佐藤だぞ?
面倒事になりそうだし、
未来に近づくために人を利用してるやつだ。
龍ちゃんは電話相手に俺の躊躇を伝える前に、再度冷静に考えた。
でも、未来が行くなら。だったら、もう仕方ねぇよな。
俺は両手で顔を塞ぎ、数回、大きく深呼吸した後、覚悟を決める。
「……まあ、遊びに行くだけならな」
そう口にして、自分に言い聞かせる。
これはただの、遊びだ。
未来と過ごす、普通の時間だ。
そう、普通の、友達としての時間だ。
……たぶん。
俺の昼休みは、今日も結局“休み”にならなかった。
でも、それでよかった気がする。
未来の笑顔があったなら、それで十分だ。
俺は今日も、“慎ましく”騒がしい爺だったな。
読んで頂きありがとうございます!
果たして、慎爺に突如発生した日曜日。
彼にどのような事が待っているのか。
お楽しみ下さい!!
わっすーでした!!