第五話 不器用な友情
朝。
いつものブレザーに袖を通し、内ポケットにお気に入りのエロゲ系異世界転生モノの小説を滑り込ませる。
自販機で微糖コーヒーを買うのも、変わらないルーティン──
昨日までは──そんな平凡な朝だった。
スマホを開いたとき、画面に未来からの【おはよ!】が浮かんでいた。
朝イチでの、あの眩しいメッセージ。
俺のスマホは普段、音楽と動画のためだけにある。
連絡なんて、龍ちゃんと遊ぶ予定を決めるときぐらいだったのに。
戸惑いながらも、【おはよー】と返して。
それだけのことなのに、胸の奥が妙にざわついていた。
コーヒーをひと口。
苦味と朝の冷気が頬をなぞる。
駅までの道を歩きながら、俺は小さな違和感を抱え続けた。
変わらない景色の中、ほんの少しだけ、世界が色づいて見えた。
駅に着き、いつものように龍ちゃんを待つ。
しばらくして、構内から彼が駆けてきた。
「おっす! 慎爺! 相変わらず早いな!」
「おはっすー。朝から元気だな、おい」
言葉を交わした瞬間、龍ちゃんの様子が違うことに気づく。
目が、妙にキラキラしてるし、肌もテカテカしてる気がする。
──なんだ、これ。
戸惑う俺に、彼は興奮を押し殺すように笑って言った。
「なあ、気づいたか? 俺、今、モテ期来てっから!」
「……歩きながらでいい?」
「もちろん!」
龍ちゃんは腕を組むようにして歩きながら続けた。
「実はな? 昨日、告白されたんだよ、女子バスケ部の子にな! しかも、めっちゃ可愛い!」
「マジかよ! やったじゃん! お前、バスケ部同士で趣味合うし、最高じゃねえか!」
嬉しくなって、俺は龍ちゃんの胸を軽く拳で小突く。
「やべぇな、俺……見てる側も楽しかったけど、当事者になると、これまた違うんだな!」
龍ちゃんの顔は、今にも爆発しそうなぐらい輝いていた。
はしゃぐ龍ちゃんを見ていると、俺も嬉しくなった。
あいつが幸せそうだと、こっちまで浮かれてくる。
ああ。
こういうのを見るのは、悪くない。
「よし、今度初デートの話、たっぷり聞かせろよ!」
「おう! 任せろ!」
そんな軽口を叩き合いながら、教室へ向かう。
教室に入ると、各自の席へ。
龍ちゃんはすぐにスマホに夢中になり、彼女とのやり取りに没頭し始めた。
俺はブレザーの内ポケットから小説を取り出す。
パラリとページをめくれば、いつもの静かな世界に沈み込める──はずだった。
「おはよう、慎爺くん!」
聞き慣れた、けれど胸に刺さる声。
顔を上げると、未来がいた。
朝の光のような、あたたかく柔らかい笑顔で。
思わず胸が跳ねる。
「おはよー。昨日ぶり」
軽く返して、小説に視線を落とす──ふりをした。
未来の笑顔が、視界の隅で揺れていた。
それが、どうにも気になって仕方ない。
どうして、こんなにも意識してしまうんだろう。
ページをめくる指先が止まる。
心臓の鼓動が速くなった気がする。
……クソっ、なんだよ…これ…
ふと、目を向けた瞬間、未来も同じタイミングでこちらを見ていた。
目が合った。視線が、ぴたりと重なる。
息が詰まった。
一瞬、教室のざわめきが、まるで遠くの波音みたいにぼやけた。
頭が光速で回転する。
──どうする?
──目を逸らすか?
──いや、逸らしたら変に意識してるって思われる!
迷った俺より早く、未来がふいっと視線を逸らした。
真っ赤になった耳を隠すように。
その仕草に、胸が、ぎゅっと鳴った。
胸の奥が、ほんの少しだけ、あたたかくなる。
俺は、小さく息を吐き、自然に声を出した。
「昨日は楽しかったな。……またパフェ食べに行こうぜ。未来と一緒に食べると、なんか、特別に美味かったからさ」
「……特別」
未来は、そっと、その言葉をなぞった。
小さな声。
でも、確かに心に届く声だった。
うっかり放った”特別”の一言に、俺自身が戸惑う。
──あれ。
俺、今、何言った?
特別って。
そんなつもりじゃ、なかったはずなのに。
未来はうつむいたまま、震える呼吸を整えている。
それでも、俺の口は止まらなかった。
「今度、昼飯も一緒にどうだ? 今のところ……二人きりになっちまうけどさ」
「……二人きり」
未来は胸に手を当て、深く息を吸った。
その仕草が、手が少しだけ震えていた。
……もしかして、無理させたか?
不安が胸をよぎって後悔しかけた。そのとき──
「おい、鶴留」
不意に割り込んだ声。
佐藤だった。
「鈴谷さんを困らせるなよ。勝手に呼び捨てして、今度は二人きりで昼飯? 彼女のこと、考えろよ」
……めんどくせぇ、昨日の仕返しかよ…
まあ、好きな相手に言い寄る男は気に食わんだろうな。
でも、今は波風立てたくない。
俺は肩をすくめると、素直に頭を下げた。
「そうだな。ごめんな、未来。忘れてくれ。……俺、ちょっと歩いてくるわ」
そう言って立ち上がろうとした、その瞬間。
未来が、俺の手を掴んだ。
かすかに口を噛んだ、と一緒に、未来は声を絞り出す。
「謝らないで……。お昼、どこで食べようか……。そ、そうだ、慎爺くんが決めて……よ」
その声は、震えながらも、まっすぐだった。
その言葉に、心臓が一瞬止まった。
──なにも、言えなかった。
佐藤が何か言いかけたが、すでに耳には届いていない。
未来の手のぬくもりが、すべてをかき消していた。
俺は、彼女との連絡に真剣な龍ちゃんを見る。
「龍ちゃん、彼女について相談したいって言ってたよな?」
机の上に手を置いて、話しかける。
「鶴留、お前、どこまで鈴谷さんに甘える気だよ」
佐藤が少し苛立ちを露わにした瞬間。
「んあ?」
唐突に振った言葉に龍ちゃんは、スマホから顔を上げ、間抜けな声を漏らした。
龍ちゃんの「んあ?」が絶妙なタイミングで場の空気をズラした。
「いや、んあ? じゃなくて、相談があったんだろ?」
俺は口パクで「合わせろ」と指示する。
慌ててうなずく龍ちゃん。
「あ、ああ! 相談! あるある!」
「ほらな。未来も付き合ってくれるってさ!」
「な、なにが!?」
混乱する未来を引き、俺と龍ちゃんは教室を抜け出す。
廊下に出た瞬間、三人同時に、深く息を吐く。
未来はまだ、俺の手を握ったままだった。
そっと手を離すと、彼女はさらに真っ赤になった。
ふと隣を見ると、なぜか龍ちゃんも深呼吸している。
「……なんでお前まで深呼吸してんだよ。どこで心乱してんだ」
龍ちゃんの横腹を突きながら、笑った。
未来も、くすっと吹き出した。
気づけば、三人で、小さな笑い声を交わしていた。
泣きそうな顔で笑う龍ちゃんが、どうしようもなく可笑しくて。
さっきまでの緊張も、嘘みたいにほどけていく。
「で? 今の状況、詳しく教えてくれよ」
龍ちゃんが、目を輝かせながら言った。
──やれやれ。どこから話せばいいんだか。
肩をすくめながら、俺は未来を見る。
彼女は、まだ頬をほんのり赤く染めたまま、優しく微笑んでいた。
そして俺は、内心で思う。
(……マジで、どう説明すりゃいいんだよ。付き合ってもないし、未来と俺は…….友達……だよな?)
胸の奥が、静かに熱を持ったまま。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
始まったばかりの高校生活、何が起こるかお楽しみ下さい!