第三話 破りたくなんてなかった、俺のルール
放課後
放課後のグラウンドに、俺の足音だけが一定のリズムで刻まれていた。
部活帰りの生徒たちが楽しげに声を上げる中、
その隙間を縫うように走る俺は、ただ無言で、ひたすらにペースを保ち続けていた。
──この学園のグラウンドは、広い。
空は高く、風は軽い。思考を削ぎ落とすには、ちょうどいい場所だ。
どれくらい走った頃だったか。
遠くに座るひとつの影に気づいた。
体育座りでこちらを見ていたのは──鈴谷未来。
「慎爺くーん! まだ走ってんのー? そろそろ疲れた頃じゃないー?」
明るくて、どこか気の抜けた声が、夕方の風に乗って届いてくる。
俺は視線を向け、軽く手を振る。“もう少し”のジェスチャーを添えて。
ペースは変えない。まだ、走り足りない。
走りながら、昨日のことが頭に浮かぶ。
──偶然、彼女の独り言を聞いてしまった。
「バーチャルで活動してる」と、自分の口で言っていた。
たぶん、今日こうして俺を呼び出したのは、その口止めが目的だろう。
けど、昨日のうちに俺は伝えていた。
「興味ないし、誰にも言わない」って。
それでも、わざわざ会いに来る。
……気になるのか。俺が、本当に“興味ない”のかどうか。
この学園の“ザ・ワン(天上天下唯我独尊)”と、放課後にどこ行くんだ? カフェ? ファミレス?
いや、たぶん──行き先は、彼女が決めるんだろう。
息が整うのを待たず、俺はそのまま彼女に近づいた。
「で? このあとどこ行く? ってか、話があるなら連絡先くらい交換しようぜ」
未来は一瞬きょとんとしたあと、やや慌ててポケットからスマホを取り出した。
「あ、うん……そうね。連絡先、交換しよっか」
どこかぎこちない。
いつもの堂々とした彼女からすれば、随分とトーンが違う。
その隙をつくように、俺はシャツの裾で額の汗をぬぐう。
露出した腹筋に、彼女の視線がすっと吸い寄せられた。
……見たな。
すぐにスマホに目を戻したが、頬がほんのり赤い。
「お前さ、男の腹筋見て照れるって……中学生かよ。かわいすぎだろ」
「べ、別に!? 見てないし! 自意識過剰なのはどっちよ!? ていうか、早く着替えてきなさいよ、風邪引くわよ!」
動揺の火種は、耳の先まで燃え広がっていた。
視線を合わせず、早口で返してくるその様子は──まあ、わかりやすい。
俺は彼女の隣に腰を下ろし、スマホを操作して連絡先を交換した。
日が傾き、グラウンドに吹く風が涼しさを帯び始める。
「で、要件って?」
彼女は少し前を見たまま沈黙したあと、ぽつりと口を開いた。
「──昨日、言ってたよね。“傍観者”って。どういう意味?」
……来たか。
俺は一瞬だけ目を閉じ、それから立ち上がり、彼女の正面に立つ。
「教えてやるよ」
そう言って、ポケットに手を入れたまま、彼女に告げる。
「──俺はさ、自分の恋愛より、他人の恋愛を見てるほうが楽しいんだよ」
「……は?」
彼女の眉がわずかに寄る。
「自分で恋をすれば、きっと楽しい。たぶん幸せにもなれる。でもな、それは同時に、盲目になるってことでもある。好きな相手しか見えなくなって、世界が狭くなる。だから俺は、そこから一歩引いた場所で、傍観してるのが性に合ってるんだ」
俺は空を仰いで、言葉を継ぐ。
「告白、すれ違い、爆死……青春の恋って、ほんとよくできたドラマだろ?眩しくて、切なくて、時々、こっぱずかしくて。でも、だから面白い。俺にとっては、それが一番のエンタメなんだよ」
風が吹いて、汗の残る首筋をなぞる。
思わずひとつ、くしゃみが出た。
「……言った通りじゃない。早く着替えてきなさいよ」
少し呆れたように笑いながら、未来は立ち上がる。
「それと──お腹、空いた」
「了解。すぐ戻る」
俺は軽く手を振り、小走りで体育館へ向かった。
◆
着替えを済ませた俺が戻ると、彼女の前にもうひとりの男子がいた。
佐藤。昨日、未来に告白して、フラれた男だ。
「鈴谷さん、好きな人って……鶴留のことだったの?」
「ち、違うってば! あいつなんか、なんとも思ってないし!」
「そっか……じゃあ、さ。昨日はいきなりだったけど、せめて友達からってのはどう?このあと、ちょっとだけでもどこか──」
彼女の目が泳ぐ。困っているのが一目でわかった。
「佐藤くん、ごめんね。友達ってのはいいけど……二人きりは、ちょっと……」
佐藤はそれでも引かない。隣に腰を下ろし、なお食い下がる。
「じゃあさ、二人きりじゃなければいいんだろ? 何人かでさ──」
──俺は“傍観者”だ。
でも、“友達”が困ってるなら、話は別だ。
未来が俺を友達だと思っていなくても、俺はそう思っている。
その気持ちに、理屈はいらない。
俺は肩にかけたカバンを整え、ポケットに手を突っ込んで歩き出す。
「未来、お待たせ。腹痛くてさ、トイレ行ってた。……お、佐藤じゃん。話、混ぜてくれよ」
佐藤の目が鋭くなる。
「……鶴留、お前、鈴谷さんのこと呼び捨てにしてんの? いつからそんな仲?」
俺はにこりともせずに答える。
「勝手に呼んでるだけ。お前もそうすりゃいいんじゃね?」
返事をする前に、口を開いたのは、未来だった。
「佐藤くん。私たち、友達からってことで合ってるよね?……下の名前で呼ぶのは、もう少し仲良くなってから、かな」
佐藤の肩が、わずかに落ちる。
俺はその横顔を見ながら、未来の表情を確かめた。
……ふうん。助かったって顔、するんだな。
そして俺は、心の中で呟いた。
──やっぱり、他人の恋は面白い。
でも──
関わるのも、案外悪くない。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
傍観者だった慎爺が、ちょっとだけ踏み出してしまった第三話でした。
未来との距離が少し縮まったようで、でもまだまだぎこちないふたりです。
次回も、彼らの不器用な青春を、ぜひ見守ってあげてください!