第二話 変わらないはずの毎日に、君が現れた。
朝、目が覚めた。
──アレが元気だった。
……まあ、男子ならよくあることだ。気分と無関係に起きる、あの生理現象。
簡単に言えば、勃起。
特に気にすることもなく、洗面所へ向かう。
親に見られたら面倒なだけだ。鏡の前に立ち、歯ブラシをシャカシャカ動かす。
ジェルを手に取り、セミロングの髪をひとつにまとめる──俺のこだわりは団子結びだ。
前髪は細く束ね、軽く流す。
首にかけたシルバーチェーン、その先に揺れるリングを指でなぞる。──毎朝のルーティン。
鏡の中の自分をぼんやりと眺めた。
「──よし、普通だな。どこからどう見ても、ただの高校生」
誰に聞かせるでもない独り言を吐き、制服に着替える。
白シャツ、ネクタイ、ブレザー、ズボン。
本棚の前で足を止め、今日の一冊を選ぶ。
「よし、今日はこれだな」
手に取ったのは、最近ハマっているエロゲ系異世界転生小説。
官能小説ほど直接的じゃないし、読んでいてもギリギリセーフ──たぶん。
サイズもちょうどいい。ブレザーの内ポケットにすっぽり収まる。
本をしまい、スマホをズボンに突っ込む。
時間を確認し、カバンを手に家を出た。
──朝食? 食わない。
食ったら午前中に寝落ちしかねないからな。
◆
登校途中、いつもの自販機に立ち寄る。
微糖コーヒーを一本、朝の儀式みたいなものだ。
プルタブを引き、口に流し込む。
苦味が広がり、脳みそに心地よい刺激を与える。
──控えめに言って、最高だ。
エナジードリンク? ナンセンス。
あんなもん常用したら効果が薄れる。ここぞってときのために取っておくに限る。
駅が近づくと、制服姿の学生たちがちらほら目につき始める。
構内からは、電車通学組が波のように押し寄せてきた。
俺は飲み干した缶を駅前のゴミ箱に投げ入れる。
乾いた音が、駅前のざわめきに吸い込まれていった。
そのまま、ある男を待つ。
「おはよう! 慎爺! 待たせたな!」
「そんなに待ってないよ、龍ちゃん。おはよ」
現れたのは富山龍一
俺と同じクラス、後ろの席──ほぼ相棒みたいな存在だ。
身長183センチ。俺より13センチ高い。
明るくてフレンドリー、顔が広く、情報通。おまけに、うるさい。
……そんな龍ちゃんと、俺には“協定”がある。
拳を突き出してくる龍ちゃんに、俺も拳を合わせる。
「なあ、協定、覚えてるよな?」
「もちろん。面白いことがあったら、共有すること」
「そして──関わらず、傍観すること」
ニヤリと笑う龍ちゃん。
「ははっ、なるほどねぇ。お前が巻き込まれた、ってわけだ!」
俺が情報を持ってきたということは、協定の第一条は満たしている。
だが、俺がすでに“当事者”になってる以上、第二条が適用される。
つまり、龍ちゃんはそれ以上深掘りしない──はずだ。
察しのいいやつで助かる。
……そもそも、俺みたいな地味で人付き合い薄いタイプが、
なんで陽キャの龍ちゃんと友達やってんのかって?
答えは、入学直後にある。
あの日、龍ちゃんが他校の不良に絡まれてた。
俺は見かけて、警察に通報して、ただ間に入って時間を稼いだだけ。
喧嘩? してない。
──身を張って、殴られるタイミングをちょっと遅らせただけ。
結果的に「助けた」ってことになった。
それ以来、気づけばこうして拳を合わせる仲だ。
◆
並んで歩きながら、俺は問いかけた。
「なんか面白い情報、あった? 俺のは……まあ、察してくれ」
待ってましたとばかりに、龍ちゃんが身を乗り出す。
「あるある! 昨日言おうと思ってたんだけどさ、お前が先に帰っちまったからさ……俺は部活があったが、お前なら絶対見たかったぞ?」
「見たかった? ってことは、アレか?」
龍ちゃんが意味深な笑みを浮かべる。
「ああ、アレだ。お前の大好物──告白イベント」
俺は思わず、龍ちゃんの肩を軽く叩く。
「早く言えよ。誰と誰だ?」
ガムを噛みながら、龍ちゃんは答えた。
「“恋人にしたい女子、ザ・ワン(天上天下唯我独尊)”鈴谷さんに、同じクラスの佐藤が告ったらしい。俺の部活の先輩が、佐藤の相談に乗ってたんだよ」
「マジか。佐藤ってどんな奴だっけ? 教室ついたら教えてくれ」
龍ちゃんは俺の背中をポンと叩き、笑った。
「一ヶ月経ってもクラスメイト覚えないとか、さすが慎爺!」
俺は苦笑いで頭をかいた。
「顔は覚えてるんだけどな。名前がな……苦手なんだよ」
「相変わらずだな。──ほら、もう校門前だ」
顔を上げると、見慣れた学び舎がそびえ立っていた。
──鵬桜条学園。
名前のインパクトに反して、意外と居心地は悪くない。
自由な校風で、服装や髪型も多少の個性は黙認されるし、校則も「常識の範囲で」って感じ。
体育会系も文化系もバランスよくいて、芸能活動してるやつもいれば、ガチで東大狙ってる奴もいる。
……なのに、不思議と荒れない。トラブルも、陰湿な揉め事も、ほとんど見たことがない。
そういう“雰囲気”がこの学校にはある。
正直、俺にはちょっと眩しいくらいだけど──
なぜ俺がこの学園に入学を決めたのは自分でも謎だ。
◆
校門をくぐり、朝のざわめきに混じって学園へと足を踏み入れる。
前を歩く女子生徒の、スカートから伸びた脚線美に目を細めた。
「……いい脚だな」
ポケットに手を突っ込んだ瞬間、龍ちゃんのチョップが頭を叩く。
「慎爺、おっさんくせぇぞ。自重しろよ」
「冷めたフリよりマシだろ。俺はオープン派だ」
「……限度は守れよな」
バカな会話を続けながら、俺たちは教室へ向かった。
◆
教室に入り、窓際後ろの定位置に着く。
腰を下ろすと、すぐ龍ちゃんが小声で囁いた。
「慎爺、あいつだ。佐藤」
視線を向けると、すぐに見つかった。
──昨日、告白した本人だ。
友人たちに囲まれているが、騒いだりはしていない。
まあ、イケメンだしな。断られる心配はなかったんだろう。
考えに沈んでいると、不意に声がかかる。
「おはよう、慎爺くん。私のこと、覚えてる?」
声の主は、鈴谷未来。
クラスの“ザ・ワン(天上天下唯我独尊)”。
反射的に佐藤の方へ視線を向ける。
……こちらをチラチラ気にしている。やっぱりな。
「おはよう、鈴谷さん。あ、龍ちゃん、紹介するよ──鈴谷さん」
「紹介って、お前な……クラスメイトだろ。おはよう、鈴谷さん」
未来は笑いながら、俺の隣の席に腰を下ろす。
「興味ない人は、本当に覚えないのね」
「驚いたよ。隣だったのに」
苦笑しながら、俺は内ポケットから小説を取り出した。
「え、もう終わり? もっとこう、なんかないの?」
未来が不満げに、龍ちゃんへ助けを求める視線を送る。
「こいつ、マイペースっていうか……話すと意外と面白いんだけどな。掴みどころないタイプ」
俺は肩をすくめた。
「目立ちたくないだけだよ。──ほら、周り見ろ。視線が集まってる」
「慎爺くん、自覚ないんだ……あなた、結構目立ってるわよ?」
「なあ龍ちゃん。鈴谷さんが変なこと言ってる」
「いや、目立つっていうか──浮いてるな」
「……どこがだよ」
「その髪型とシルバーアクセ。あとは、その無駄に整ってる顔?」
「ごめん、何言ってるかわかんないわ」
小説を閉じ、足を組み直す。
「で、龍ちゃん。今日、部活あるか?」
話題を切り替えると、未来が口を尖らせた。
「慎爺くん? 放課後、空いてるよ?」
俺はきょとんとした。
「……は?」
嫌な予感が、じわりと背中を這い上がる。
この日、俺の平凡な一日は──静かに、確かに、狂い始めた。
そしてもう、元には戻らないことを──このときの俺は、まだ知らなかった。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます!
最初は「軽いノリで始めるラブコメにしよう」と思って書き始めたんですが、
気づいたら慎爺も未来も、めっちゃ不器用で、めっちゃまっすぐな奴らになってました。
特に龍ちゃんがいい奴になってて自分でも驚きです。
この作品は、
「あと一歩、踏み出せない」
そんな微妙な距離感を、もどかしく、楽しく、時々バカみたいに描いていくつもりです!
好きって言えない。
でも一緒にいたい。
そんな青くて苦い気持ちを、
少しでも楽しんでもらえたら嬉しいです!
次回も、慎爺と未来の“不器用な青春”を見守ってやってください!
ではまた、次の話でお会いしましょう!