第十五話 球技大会---試合前の雑談---
今日は、未来と佳織の機嫌がなんだか良い。
朝は確かに怒られた。かなり、怖かった。
でも、それ以降はやけに優しい。
昼飯のおにぎりを渡されたあたりから、明らかに雰囲気が柔らかくなっていた。
(……いや、女心って本当にわからん)
そんなことをぼんやり考えているうちに、グラウンドでの開会式が終わろうとしていた。
気づけば、校長先生の長い話は終わっていて、
選手宣誓の声だけが風に乗って耳に入ってくる。
グラウンドの中央に、整列した生徒たちの影が長く伸びていた。スピーカーから割れ気味の声が流れ、春の少し湿った風がシャツの裾を揺らす。
けれど、俺の頭は、妙に空っぽだった。
朝の激しい運動のせいか、カフェインの効果か、
あるいは、女子たちに囲まれて説教された動揺のせいか――
いずれにしても、目の前の時間が、ふわふわと遠かった。
やがて式が終わり、生徒達は各種目の競技へと向かう。
体育館へ向かう途中、後ろから声がかかった。
「慎爺! 気合い入れていこうぜ!」
振り返ると、そこには同じバスケチームの坂本和正の姿があった。
名前をちゃんと覚えてるってことは、それなりに仲良くなった証拠だ。
バスケの練習を通じて距離が縮まり、今では普通に会話もする。
和正は、龍ちゃんに次ぐバスケチームの主戦力。
バスケがめちゃくちゃ上手いのに陸上部だ。
クラスでは佐藤と一緒に中心になって騒いだり、イベントを盛り上げたりする、いわゆる人気者だ。
「よろしくな。できるだけ足引っ張らないように頑張るわ。バスケのセンスなさすぎて自分でも引いたし」
俺が苦笑いで言うと、和正は笑いながら俺の肩をポンと叩いた。
「大丈夫だって! ただの球技大会だぞ? 楽しもうぜ!」
明るいその言葉に、少しだけ気持ちが軽くなった。
……とはいえ、俺のバスケスキルはなかなかのものだ。悪い意味で。
まず、ボールのキャッチに確率が発生するレベルでキャッチできない。
ドリブルとパスはギリできる。
シュートは練習なら入るけど、ディフェンスが前に立つとさっぱり決まらない。
それでも、俺は最初から最後まで、ちゃんと練習をやり切った。
ボールが指先になじまない感覚にイラつきながらも、何度も何度もドリブルを繰り返した。体育館の床に響くバウンド音と、自分の息遣いだけがずっと続いていた。
熱心に続けていたら、龍ちゃんや和正が根気よくコツを教えてくれた。
最初は距離を感じていたクラスメイトたちも、少しずつ普通に話しかけてくれるようになった。
龍ちゃんは、そんな俺を見て笑いながら「見た目で損するやつって、案外一番頑張ってたりするんだよな」と言っていたが、俺にはよくわからなかった。
……と、話が随分と脱線してしまった。
そんなことを思いながら、ふと気になって、和正に訊いた。
「ところで、俺らの相手と試合って何時から?」
「え? お前、知らないの? あんだけ練習してたのに?」
そんなに驚くことか? 確かに自分でも驚いてるけどさ、その未確認生物を見たみたいな目やめてくれる?
俺と和正の間に、変な沈黙が流れる。
それを破ったのは、後ろから聞いていた龍ちゃんだった。
「和正、こいつは何を考えてるかわかんねぇ、掴みどころがない奴なんだ。な? 慎爺」
「な? じゃないんだわ、そんで、いつ試合が始まるんだ?」
試合前にエナジードリンクもう一本キメたいから、早めに把握しておきたかった。
「次の試合がうちの番だよ。相手は一年だけど、現役バスケ部が何人もいる強敵」
マジかよ、負けるじゃん。
俺はグラウンドの隅に置いておいた自分のバッグへ向かい、エナジードリンクを取り出す。
飲もうとしたところで、龍ちゃんと和正が後ろからついてきていた。
「二人とも、準備はいいのか?」
「準備ったって、することねぇしなぁ。和正も準備することあるか?」
「いや、俺もないけど、それより慎爺、そのエナジードリンクはなんだよ?」
「そのエナジードリンクはなんだよって、エナジードリンクはエナジードリンクじゃん?」
「それをどうするって話だから、エナジードリンクは見りゃわかるわ」
「どうするって、飲む以外あんの? 教えてよ」
龍ちゃんがそのやりとりを見て、呆れ気味に笑う。
「お前ら、バカの会話だな。レベルが低い争いしてるわ〜」
俺たち男子三人がグラウンドの隅でコントじみたやりとりしていたせいか、周りの視線が刺さるように集まっていた。
俺たちは顔を見合わせて軽く咳払いし、足早に体育館へ向かった。
その途中で、俺は立ち止まる。
「二人は先に行っていいから、俺はエナジードリンク、キメときたい」
「……歩きながらでも飲めるだろ?」と龍ちゃんが首を傾げる。
「まあ、いいや。数秒待っててくれ」
俺はエナジードリンクの底の側面に鍵で穴を開ける。
開けた穴に口をつけて、缶を縦にして、プルタブを引く。
シュッと音を立てて一気に飲み干し、ショットガンをした。
開けた瞬間、金属音とともに炭酸の刺激が一気に喉を焼いた。胃の奥に火が走り、カフェインが全身に駆け巡る感覚に、俺は気合いを入れる。
「よっしゃ! 行くか!」
「何だよ! その飲み方! すげぇな! 数秒で飲んだな!」
「ショットガン。俺の得意技のひとつだ」
空き缶を潰してバッグに押し込むと、龍ちゃんが半ば呆れた顔でため息。
「絶対そのうち倒れるからな。せめて自分の体は大事にしろって」
「大丈夫だって、それより早く行こうぜ」
そのやり取りの最中、俺の言葉で龍ちゃんが思い出したように手を打つ。
「やべっ、もう始まる時間じゃん! 急げ!」
俺たちは慌てて体育館へと駆け出した。