第一話 はじめましては、最悪だった。たぶん、俺のせい。
放課後、朱色に染まる体育館裏。
静まり返った空気を破るように、震える声が響いた。
「初めて会った時から好きでした! 僕と、付き合ってください!」
女子はほんの一瞬だけ目を見開いたあと、かすかに首を横に振った。
「ごめんなさい。……私、好きな人がいるの」
振られた男子は笑顔を作ったが、目が笑っていなかった。
「そっか。いきなり呼び出して、ごめん。……俺、行くわ」
そう言って、彼は踵を返し、夕焼けの中に消えていった。
ーーその一部始終を、俺は体育館裏の階段の影から見ていた。
手を合わせ、心の中で合掌。
振られた彼に、俺なりに最大限の敬意を捧げる。
なぜ敬意を? 理由は単純だ。
彼も、彼女も、俺と同じ一年生。
入学してまだ一か月。
これから三年間、顔を合わせ続ける間柄だってのに、そんなリスクを背負って告白した。
その勇気だけで、十分だろう。
しかも、彼女は言った。“好きな人がいる”と。
つまり、この恋は報われない可能性が高い。
もしその“好きな人”が、彼の友達だったら──友情にヒビが入る未来すらある。
誰かを好きになる。それを伝える。
つまり俺が言いたい事は告白した事によって、人間関係の歯車が動いたと言う事だ。
それでも挑んだんだ。すげぇよ、マジで。
これをネタにして騒ぐ連中もいるだろうけど、俺は違う。
俺はただの傍観者。
手を合わせて、去りゆく背中を見送るだけだ。
傍観者として、静かに階段に座っていた。
……静かに、終わるはずだった。
「はぁ、また告白された。付き合えるわけないじゃん。私、これでもバーチャルで活動する歌い手なんだから。しかも結構人気あるし」
……聞いてしまった。
独り言。
俺は慌てて、ブレザーの下に着たパーカーのフードを被り、身を隠す。
バレたら面倒だ。息を殺し、気配を消す。
彼女が立ち去るまでここに居よう。
だが、彼女はその場を離れる気配がない。
しびれを切らした俺は気付かれないよう、まるで忍者のように超スローで階段を降りた。
一段、また一段。
驚くほど慎重な動きに、自分でも感動する。
俺……こんな動きが出来るのか!
そして最後の段を降り、顔を上げた時――
「……聞いてた?」
彼女が、すぐ目の前にいた。
その目は、殺意すら感じるほど鋭い。
「な、何を……ですか?」
額に汗。必死にとぼける俺。
正直に言うと、告白は聞いてた。でもその後の独り言は……たぶん、聞いてない。
ゾーンに入ってた。たぶん。
「ゾーンに入ってたから、たぶん何も聞いてないと思う。いや、聞いてない!」
「ゾーン? 意味わかんない。絶対聞いてたでしょ、白状しなさいよ!」
一歩、彼女が詰め寄ってくる。
ちょっと待て、この子……俺のこと知ってる感じだな。誰だっけ?
……やばい。名前が出てこない。顔は見たことある。多分クラスメイト。美少女枠。
でも名前がマジでわからん。
「マジで聞いてないって! 聞いてたのは告白だけだから!」
ポケットに手を突っ込み、反射的に一歩下がる。
「はぁ? 告白を趣味で盗み聞きとか、最低なんだけど!」
「違ぇよ! 趣味じゃねーんだわ! なんなら先に俺が階段に座ってたわ! 告白の最中に階段から降りて邪魔した方がタチ悪いわ!」
大げさなジェスチャーで弁明する俺。
彼女は面食らった顔をしながら、さらに言い返す。
「仮に先に階段に座ってたとして、告白を聞くのは非常識じゃない? 人として最低! 人の心は持ってないの!? 本当に最低!」
「そっちこそ! そんな声で“私バーチャルで活動する歌い手なんです”とか独り言言うなよ!」
俺の反論に、彼女は明らかにむっとした。
なるほど、プライド高め系女子ね。
……これはさっさと引き下がった方が良さそうだ。
「俺は、君がVTuberだかVSingerだろうが何だろうが、興味ないから。正体をバラすつもりもない。活動名も、知らないし、知りたくない! 面倒事はごめんだからな! じゃ、そういうことで!」
背を向けて歩き出す俺を、彼女が慌てて引き止める。
「ちょ、待って!そこ重要だから!待ちなさいよ!」
肩を掴まれ、渋々立ち止まる。
「言っとくけど、俺は傍観者だ。人の秘密に深入りしない。誰にも話さない。興味も持たない。君の名前も知らないし、知るつもりもない。それが、俺のルール」
ルールその一、人の秘密に関わるなら、深く関わらない。
ルールそのニ、秘密をバラすな。
ルールその三、何かするなら先を考えろ。
これが俺の“傍観者三原則”。
真剣に告げると、彼女はジト目で睨んできた。
「私たち、同じクラスなのに? 一ヶ月経ってるのに? 何が"俺は君の名前を知らないし、知るつもりもない"よ。失礼過ぎない?……信じらんない」
「おっと、失礼。はじめまして、俺は鶴留慎爺です」
軽く会釈すると、彼女は信じられないという顔で言った。
「本当に失礼すぎ。私は鈴谷未来! 覚えときなさい、バカ!」
黒いセミロングに、絶妙な丈のスカート。そしてニーハイ。
そこから伸びる太ももが、なんというか、まぶしい。
……俺、今めっちゃ観察してるな。
いつの間にか俺は腕を組み、片手を顎に当てて観察していた。
「ちょっと、どこ見てんのよ」
「違う。絶対領域の観察だ」
「変態ね……」
俺は人差し指を立てて鈴谷さんを黙らせる。
そして、観察を続行した。
「違ぇよ。勉強。俺は絶対領域と言う言葉の意味を知りたかっただけだ。目を見て話すのも、太もも見て話すのも、情報量としては似たようなもんだろ」
ニーハイと太ももの絶対領域と言う言葉の意味を知りたかっただけだ。何が絶対領域なのか? 俺にはわからない。
だからこそ、その意味を知りたかった。
「違うわよ!!」
鈴谷さんは頭を抱えて叫んだ。
「もういい、疲れた……帰る」
彼女が背を向けたとき、俺はふと声をかける。
「鈴谷さん、独り言には気をつけた方がいいぜ?」
「気をつけるわよ……良い人生勉強になったわ」
そう言い残し、彼女は去っていった。
「大丈夫、絶対言わないから! ここに誓う! 喋ったら屋上で、空を自由に飛びたいなーってやってやるよ!」
そして俺はその背中を見送りながら、静かに思った。
ーーこれが、鈴谷未来との最初で最後の関わり。
帰り道、ふらりとゲームセンターに寄った。
UFOキャッチャーを一通り眺め、特に欲しいものもなく店を出る。
駐車場脇の自販機でお茶を買い、ベンチに腰を下ろした。
人通りが少ない場所。
気疲れせずに、ただぼんやりと過ごせる時間が、今は何よりありがたかった。
ひと息ついたあと、家に帰る。
夕食を済ませ、風呂に入り、ようやく自室へ。
俺の部屋には、ベッドがひとつ、二人掛けのソファがひとつ、勉強机がひとつ。
机の上にはノートパソコン、隣には小さな本棚。
取り立てて特徴もない、至って普通の部屋だ。
時計は、午後九時を回っていた。
ベッドに倒れ込み、天井を見上げる。
今日一日の出来事が、ゆっくりと脳裏をよぎる。
──鈴谷未来。
できれば、これ以上は関わらずにいたい。
ただの傍観者でいられれば、それでいい。
俺にはルールがある。
踏み込まない。
秘密を守る。
先を読む。
明日からも、そのルールに従って、静かに日々を見守るだけだ。
目を閉じる。
次第に意識が遠のいていく。
そして──朝が来た。
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます!
「傍観者でいたい男子」と「秘密を抱えたヒロイン」の、ちょっとズレた青春ラブコメ、楽しんでいただけたでしょうか?
作者的には、慎爺くんの「いや俺関係ないし!」ムーブと、
未来ちゃんの冷静っぷりをニヤニヤしながら書いていました。
最初は「静かな青春を書こう」と思ってたのに、
気づけば太ももだの絶対領域だの観察しはじめていて、
「……これ大丈夫か?」って不安になりつつも、何とか第一話を書けました!
まだ始まったばかりの物語ですが、
慎爺と未来、そして周りのみんなが、どう成長して、どんな”ゼロセンチ”の距離を埋めていくのか──
これからも、ぜひ見守っていただけたら嬉しいです!
次回も、自重しつつ書きます!
またお会いしましょう!