君は私の永遠
「君は私の永遠」
雨が降りしきる夜だった。窓の外から聞こえる水滴の音が、部屋の中を満たしていた。古びた木造の家は湿気を帯びて、少しカビ臭い匂いが漂っていた。薄暗い室内には、テーブルに置かれたキャンドルの小さな炎が揺れ、壁に不規則な影を投げかけていた。花瓶には、私が昨日摘んできたスミレが入れられていたが、すでに花びらが落ち始めていて、儚い美しさが色褪せつつあった。
私の視線の先には、彼女がいた。彩花。私の愛しい、愛しい彩花。彼女はソファに座っていて、手首には細い鎖が巻かれていた。鎖は壁に打ち付けられたフックに繋がっていて、彼女が自由に動けないように設計されていた。鎖の長さは、ソファからテーブルまで届く程度。彼女が私から遠くに行かないように、私が慎重に測って選んだものだ。
「ねえ、彩花。今日のご飯、どうだった?」私は柔らかい声で尋ねた。彼女に嫌われたくなかったから、いつも優しく、穏やかに話しかけるようにしていた。今日のメニューは彼女の好きなクリームシチューと、焼きたてのパン。彼女が昔、「梨乃のシチュー、あったかくて好きだよ」と言ってくれたのを覚えていて、それを再現したんだ。
彩花は私を見なかった。長い黒髪が顔にかかり、彼女の表情を隠していた。視線は床に落とされたまま、かすかに唇が震えていた。「……美味しかったよ、梨乃。でも、こんな状況で食べるの、辛いよ」
その言葉が、私の胸を鋭く刺した。辛い? どうして? 私は彩花のために毎日時間をかけて料理を作り、彼女が好きそうなものを選んで、こうやってそばにいてあげているのに。辛いなんて、ありえない。
「辛いって、どういうこと?」私の声は少し震えていた。抑えきれなかった感情が、言葉の端に滲み出ていた。キャンドルの炎が一瞬強く揺れて、彩花の顔に影を落とした。
彼女がようやく顔を上げて、私を見た。瞳は潤んでいて、まるで今にも涙が溢れそうだった。「梨乃、私をここに閉じ込めておくの、やめてよ。私は自由に外を歩きたい。友達に会いたい。こんな生活、普通じゃないよ」
普通じゃない? 私は首を振った。違うよ、彩花。これは私たちの愛の形なんだよ。外の世界には、彩花を傷つけるものがたくさんある。意地悪な友達、冷たい視線、危険な場所——そんなものから彩花を守るために、私はこうしてるだけなのに。彼女にはそれが分からないんだろうか。
「彩花、外は危ないよ。君は知らないかもしれないけど、私には分かるんだ。君を守れるのは私だけでいいよね?」私はソファの横に膝をついて、彼女の手をそっと握った。鎖がカチャリと小さな音を立てて、私たちの間に現実を突きつけた。彼女の手は冷たくて、少し汗ばんでいた。緊張してるんだな、と私は思った。
彩花は私の手を振り払おうとした。でも、鎖がそれを許さなかった。彼女の動きは制限されていて、私から逃げることはできない。「梨乃、これは守るって言わないよ。監禁だよ。私を閉じ込めて、何になるの?」
何になるかって? 私は小さく笑ってしまった。彩花って本当に可愛いな。こんな時でも、私にそんな純粋な質問を投げかけてくるんだから。
「君が私のそばにいてくれるだけでいいよ。ずっと、永遠に」私は彼女の頬に手を伸ばして、優しく撫でた。彩花の肌は柔らかくて、少し湿っていた。涙の跡だった。彼女が泣いていることに気づいて、私の心が締め付けられた。でも、それは愛おしさの裏返しでもあった。彩花が泣いても、私には関係ない。彼女がここにいることが全てだ。
「梨乃、気持ち悪いよ……」彩花が小さな声で呟いた。その瞬間、私の中で何かが弾けた。
気持ち悪い? 私が? 彩花のためにこんなに尽くしてるのに? 毎日彼女の好きな曲を流してあげて、彼女が喜ぶように部屋に花を飾って、彼女が寂しくないようにずっとそばにいてあげてるのに? 私は毎朝、彩花が眠っている間に彼女の髪を梳いて、彼女が目を覚ます前に朝食を用意する。彼女が好きだったスミレを摘みに、雨の中だって出かけた。それなのに、気持ち悪い?
「気持ち悪いって、どういう意味?」私の声は低くなった。自分でも分かるくらい、感情が抑えきれなくなっていた。キャンドルの炎が小さく揺れて、部屋の中が一瞬暗くなった。
彩花は目を逸らした。「ごめん、そういうつもりじゃなかった。でも、梨乃の愛って、重いんだよ。私には耐えられない」
重い? 愛が重いって何だよ。愛ってそういうものじゃないの? 彩花を想う気持ちが強すぎるから、私はこうやってるだけなのに。彼女がそんなことを言うなんて、信じられなかった。
私は立ち上がって、部屋の隅に置いてあった小さな木箱に近づいた。蓋を開けると、中には彩花の思い出が詰まっていた。彼女が昔使っていた赤いリボン、学校で落とした消しゴム、私がこっそり撮った彼女の写真——全部、私にとって宝物だ。私はその中から一枚の写真を取り出した。彩花が笑っている写真。彼女がまだ私を嫌っていなかった頃の、幸せな瞬間。
「彩花、君がそんなこと言うなら、もう選択肢はないよ」私は箱からハサミを取り出した。刃先がキャンドルの明かりに反射して、キラリと光った。冷たい金属の感触が手に伝わって、私の心を落ち着かせた。
彩花の目が大きく見開かれた。「梨乃、何!? やめて!」彼女の声は震えていて、鎖を引っ張って逃げようとした。でも、鎖は短すぎて、彼女をソファに縛り付けていた。
「やめないよ。君が私を理解してくれないなら、君を私のものにするしかないよね。永遠に、逃げられないように」私はゆっくりと彩花に近づいた。ハサミを手に持ったまま、彼女の髪に触れた。長い黒髪が私の指に絡まって、まるで私を拒むように震えていた。
「梨乃、お願いだから! 私、逃げないから! だからそんなことしないで!」彩花の声は震えていて、涙が頬を伝って落ちていた。彼女の瞳には恐怖が浮かんでいた。でも、その恐怖さえも私には愛おしかった。彩花が私を見てくれるなら、どんな感情でもいい。
私はハサミを彼女の髪に近づけた。「彩花、君の髪、綺麗だね。こんなに長い髪、外の世界で見せびらかしたら、誰かに取られちゃうかもしれない。だから、私が預かってあげる」刃が髪に触れた瞬間、彩花が小さく叫んだ。
「やめて! 梨乃、私の髪に触らないで!」彼女は必死に抵抗しようとしたけど、鎖がそれを許さなかった。私はゆっくりとハサミを動かして、彼女の髪を切り始めた。黒い髪が床に落ちて、キャンドルの明かりに照らされて儚く光った。
「彩花、大好きだよ。君は私の永遠だから」私は切り取った髪を手に持って、彼女を見つめた。彩花は泣きながら私を見ていた。彼女の瞳に映る私の姿は、きっと怪物みたいに見えたんだろう。でも、それでもいい。彩花が私のそばにいてくれるなら、私はどんな姿でも構わない。
雨音が強くなった。部屋の中は、私たちの呼吸と鎖の音、そして彩花のすすり泣きだけが響いていた。私は切り取った髪を木箱に戻し、ハサミを置いた。そして、彩花のそばに座って、彼女を抱きしめた。彼女の体は震えていて、私に触れられるのを嫌がっているのが分かった。でも、私は離さなかった。
「彩花、もう逃げられないよ。私と一緒に、ずっとここにいようね」私は彼女の耳元で囁いた。彩花は答えなかった。ただ、静かに泣き続けていた。
窓の外では、雨が止む気配を見せなかった。私たちの小さな世界は、この部屋の中で永遠に続くんだ。彩花がどんなに嫌がっても、私には関係ない。彼女は私のものだから。