七つ時
私には料理の才能がないらしい。
今までの失敗といえば砂糖と塩を間違えた事と包丁で手を切った事がある。でもそれは料理が下手なわけではなく、注意力が無いだけだと思っていた。しかしその注意力が料理の美味しさに関係しているらしい。何回か調理室でアラン達のお菓子作りに参加して、今日やっと自分の料理下手を自覚した。自分たちで作ったお菓子を持ち込んで食べようという話になって、自分の持ち込んだブラウニーが全然食べてもらえなかったのだ。
確かに少し見た目が良くなかった。焦がしてしまったし、形も崩れていた。それに味も少し……いやかなり、パサついていて美味しくなかったと思う。私は全然食べてもらえずにいるブラウニーを隠すように袋に入れた。きっと食べてもらえることは無いだろうから、捨ててしまおうと思ったのだ。
調理室を後にして、私は裏庭のベンチに座り込んだ。恥ずかしいやら、情けないやらで気分が沈み込む。美味しいブラウニーを作ることで、自分もブリジット嬢のようにアランとお菓子の話題で盛り上がりたいと思っていたわけだが、随分と理想の高い夢だったようだ。今更かもしれないが、私はアランの事をもっと知りたかったのだ。
「やっぱり駄目だわ……アランに美味しいブラウニーを食べて欲しかったのに」
ぽつりと言葉が零れ落ちる。ダンスが得意な私と、ダンスが苦手なアラン。料理が得意なアランと、料理下手な私。このかみ合わなさは、神様が「お前たちは結ばれるべきでない」と告げているかのようだ。
「え!?」
「!?」
声が聞こえたことに驚いて、顔を上げるとそこにはアランがいた。
(もしかして今の言葉、聞かれた?)
「……」
私はパクパクと口を動かすも、言葉が形にならない。私の動揺ぶりがアランにも伝わっているようで、何故かアランも気まずげにしながら慌て始めた。
何かを言い出そうとしてもごもごと口を動かすが、それが言葉として出てくることが無い。この様子を見るに、どうやら聞かれていたらしい。
「アラン、どうしてここに?」
私は一息ついて、口を開いた。
聞かれてしまったものはしょうがない。アランの慌てぶりにむしろ、自分が落ち着いた。
私が笑いかけるとアランも落ち着きを取り戻したように、ほっと息を吐きだした。
「……ジゼルが泣いている気がして」
「え……?」
アランは恥じるように目をそらすと、焦ったように言葉を重ねる。
「い、いやそのっ。……ジゼルは泣くとき、いつも花が見えるところで泣くから」
静かなトーンで告げられた言葉から、こちらを気遣っているような色が見え隠れする。
小さい頃、確かに泣いている時にアランが姿を現しては、度々慰めてくれたことがあった。
実際は泣きたいときに庭に出て花を見ながら泣くのではなく、草花に心を癒されたくて庭に出た結果、時々泣いてしまうこともあるだけだ。
そんな私のルーティーンがバレていたのかと思うと恥ずかしいが、アランの優しさを感じずにはいられない。
「ありがとう、でも泣いてないわ」
落ち込んで一人になりたくなって裏庭に出てきたわけだが、泣いていたわけではない。無理矢理口角を上げて笑って見せると、アランは私の前にしゃがんでじっと私の顔を見る。
「……ジゼルの作ったブラウニー食べたいな」
呟かれた言葉に先ほどの熱がぶり返す。聞かなかった振りをしてくれると思っていたのに、アランは真正面からそんな言葉をぶつけてきた。
「そ、それは聞かなかったことにして」
「食べようと思っていたのにいつの間にか無くなっていたんだ。余りとかないの?」
そう言いながらアランは首を傾げる。アランは甘えているという体裁を取っているが、実際には私の方が甘やかされていた。
アランは時々こうして私のことを甘やかした。味見してほしいという口実でお茶会においしいお菓子を持参することといい、たまたま席が譲ってもらえたからと言って私が気になっていた劇に誘ってくることといい、私に遠慮させないようにしながら私の願いを叶えてくれるのだ。
「本当に失敗したの。ちょっと焦げてるし、パサついてて蒸しパンみたいだし……」
「その言い方なら、余りがあるんだよね?」
言い訳じみた言葉を重ねていると、それを遮ってアランは頂戴と言うように手を出した。私は彼とバッグを見比べて、ゆっくりとバッグからブラウニーを詰めた袋を取り出す。
「私、料理のセンスが無いみたいで……」
「全然やったことなかったんだから、上手く作れないのは当たり前だよ」
アランは袋を受け取ると、中からブラウニーを取り出した。
「形も崩れているから、あんまり見ないでほしい」
「確かにちょっと焦げてるし、形も崩れてる。でも俺の為に作ってくれたんだよね?」
アランにはまるで似つかわしくないブラウニーがアランと並ぶ。アランが作るお菓子は皆綺麗な作りをしたものばかりで、あまりにも稚拙な自分のブラウニーが可哀想に見えてくる。こんなものを食べて欲しかったなんて言うことが少し恥ずかしく感じられて、私は控えめに頷いた。
アランは私を見て満足げに頷くと、ブラウニーを手づかみで取り出して齧った。ここにはフォークやナイフなんてものはないから仕方がないとは思うが、躊躇いなくアランがそうしたことに私は目を丸くした。
「ジゼルが初めてお菓子作りした時も、こうして食べさせてくれたよね」
「砂糖と塩を間違えてクッキーを作った時の話ね。あの時は本当にごめんなさい」
青ざめる私を見て、アランはクスクスと笑った。
「俺はあのクッキーも、このブラウニーもすごく嬉しい。ジゼルはクッキーの時よりずっと上達しているよ」
「塩と砂糖を間違えなくなっただけの進歩だわ」そう面倒くさいことを言おうとしたのだが、言い出せそうになかった。
私が何かを言い出す前にアランは私の両手を掴み、微笑んだのだ。
「ありがとう、ジゼル」
瞳をきらきらと輝かせて、まるで宝物を貰ったかのような喜び度合いだ。拗ねて口をとがらせていたというのに、アランにつられて口角が上がる。
お礼を言わないといけないのは私の方だ。今日の事も、この8年間のことも、感謝の言葉を尽くそうにも言い尽くせない。何1つ、当たり前じゃないのだ。アランは一生自分の傍にいるものだと思っていたけれど、そうじゃなかった。自分は無意識の内に当たり前の存在に胡坐をかいていて、その都度感謝の言葉を告げてはいても、その幸福の価値をわかっていなかった。
指から伝わる体温が腕を伝って胸を温める。ぬるいわけでも熱すぎるわけでもない、そんな温かさに癒されて、悩んでいた気持ちがすっかりとなくなっていることに気付いた。
幼馴染や婚約者、恋人へと、世間によって私たちの関係は形を変えてきたけれど、そんなの全く重要ではない。アランへの恋心を気づいたものの、それさえどうだっていい。
『私は優しくて温かな幸せをくれるアランのことを愛しているし、幸せを願っている』
よく考えてみれば8年前からその気持ちだけは変わっていなかった。周囲の人に感化されて焦ったり、独占欲や嫉妬染みた感情を植え付けられて見えなくなっていたが、私にとって大事なことはそれだけだった。
「こちらこそありがとう」
震える声で告げた言葉に、アランは目を見開いてまた笑った。