四つ時
これまでもアランに好意を寄せる女性は沢山いた。アランは優しいし、それでいて顔も家柄もいい。不器用なところも私は可愛いと思うが、他の人にはそう言った部分も知られていない。そうなると人々は婚約者がいてもお構い無しだ。中には私を押し退けてアランと話したがる人もいたし、婉曲的に「邪魔だ」と告げてくるような人もいた。
その度に抗い、私はアランの隣を死守してきた。それはアランもそう望んでくれたからだ。まだマナーに不安が残るアランは、私以外の人と社交の場で長く一緒にいることを好まなかった。
学園に入ってから色々な人と関わるようになったものの、やっぱり完全に気を許せる相手はいないようだ。私はその姿を見て少し心配しながらも、『アランはお父様とは全然違う』と確かめて安心していた。
私のお父様は良き人であり、良き父だ。でも良き夫ではなかった。お父様には愛人がいるのだ。それも私が生まれる前からの付き合いの女性だ。
物心付く前から当然のように父は本邸と別宅を行き来していた。そんな夫を持ちながら母は底抜けに明るかった。恨み言や文句を一言も言っているのを聞いたことがない。
だから父と母の仲は良好だった。でもその関係が、母の努力という薄氷の上で成り立っていたのだと知ってしまったのだ。
いつものように父が別宅へ行った日、寝苦しくて夜に目を覚まして母の部屋を通りかかった時、噛み殺すような泣き声が聞こえた。母は気丈に振る舞っているが、自分だけを見てくれない夫に長い間傷つけられていたのだ。
お母様のように苦しみながら笑い続けるなんて、自分には到底出来ない。
だからこそ強く思う。結婚相手には自分だけを見て欲しいと。
アランは浮気なんて出来るような器用なタイプではないし、人を傷つけるようなことは絶対にしない。そんな所もアランの好きな所の1つだった。
◇
「アラン様と仲良くなりたいです!」
彼女が告げた言葉を理解して、少し頭が痛くなった。思い出されるのはアランがブリジット嬢を抱きとめたシーンだ。
(あんなにドラマチックな出会いをしたんだもの。興味を持ってもおかしくないわ)
アランはそこら辺にはいないような美形だし、良い男だ。そんな人物に命を救われたとあれば、好意を抱くのも仕方ないことのように思われた。
「仲良く?」
アランはブリジット嬢の勢いに、酷く困惑しているようだった。
「そうです。まずはお友達になっていただけないでしょうか」
「申し訳ないけど俺には婚約者がいるから、女性と仲良くするのは出来ない」
アランは婚約を理由に申し出を断った。アランの誠実さを見せつけられて、私はほっと息を吐き出す。緊張が緩み、息がしやすくなったようにすら感じる。
ブリジット嬢が既にアランに惚れていることは表情から見ても分かる。そんな女性が「お友達になりたい」と言うなんて、下心が無いわけないのだ。
「ああ、噂の婚約者様ですか……婚約者様はアラン様が女の人と話すことも許さない心の狭い方なんですか?」
「いやそういう訳じゃ……」
ブリジット嬢の勢いにアランがたじろいだ。
(アラン……そこでうろたえないでよ)
別に私はアランの自由を縛ろうという気持ちは全くない。寧ろアランは私以外の人ともっと関わりを持つ方がいいとさえ思っている。狭いコミュニティの中で生きていくのは、アランの為にはならないだろうから。
だけど下心満載の女の子は別だ。そもそもアランに近づく女の子は殆どが、アランに惚れている。だからといって「話すのはやめろ」なんて言ったことはないけど、気分は良くない。
「心の狭い方じゃないなら、アラン様の決定に口を出したりなさらないですよね」
「それは、……そうだね」
アランは困った顔をしながらも頷いた。
「なら私と友達になっていただけますか?」
「……」
黙り込んだアランをブリジット嬢は覗き込むようにして見た。
「アラン様の婚約者様は——」
その時校庭で運動する生徒達の歓声が被さって、ブリジット嬢の声が遮られる。アランはハッとしたような表情を浮かべ、ゆっくりと頷いた。
「……まあ友達くらいなら」
喧騒の中でその言葉だけははっきりと聞こえた。
「……」
私はその後、談笑を始めた二人を背に、静かに教室へと戻った。教室へ戻ると友人達が駆け寄ってきて、心配するような言葉を私に投げかける。そこで自分の顔色が酷く悪いことに気がついたのだった。
◇
ブリジット嬢とアランがドラマチックな出会いを果たしてからというものの、それからの日々は転がり落ちるように変化した。
どうやら二人共お菓子作りという共通の趣味があったようで、すっかり意気投合したのだ。
中庭のベンチに仲良く座る男女の姿が見える。
最近は噂にあがるくらい、ブリジット嬢とアランが一緒にいる所をよく見かけるようになっていた。アランがあんなふうに女の子と一緒にいるのは、今までなかったことだ。
私達は仲のいい幼馴染のような関係だ。けれどアランの婚約者でもある。アランとブリジット嬢が仲良くなっていく所を目の当たりにしては、立場と自分の感情を持て余して、最近の私は悶々とすることが多かった。
「私はどうしたらいいんだろう」
婚約者らしく嫉妬して二人の間に割り込んで見せるべきなのか、それとも大人の女性らしく寛容な心で彼らを見守るべきなのだろうか。
周囲の人が私の一挙手一投足に注目しているのも知っていた。私は社交界ではアランに執着する婚約者として有名だから、私が嫉妬で何をやらかすのかと好奇の視線にさらされていたのである。
「婚約破棄したらどうだ?」
廊下の窓に肘をついて外を眺めていると、唐突に暴言にも似た言葉を投げかけられる。
「殿下……?どうしてここに」
振り返ると、そこにはこの学園の制服を着こなしたエリック殿下が立っていた。
「留学から帰って来てすぐ、転学したんだ」
「そうでしたか」
自分の声のトーンが露骨に落ちたのを感じる。取り繕うこともしなかった。
「なんだ、嬉しくなさそうだな」
「いえ、そんなことは」
(あるけど)
心の中で悪態をつく。お近づきになりたくないのに、そういった人ほど近づいてくるのはどういった原理なのだろうか。
「まあいい」と言ってエリック殿下は廊下の窓縁に腰掛けて、足を立てた。相変わらず王族らしくない振る舞いである。
「君の婚約者は他の女性と随分仲が良さよさそうじゃないか」
エリック殿下は中庭のベンチに座るアランとブリジット嬢に目を向ける。アランの表情はこちらからは見えないが、ブリジット嬢は嬉し気に何らかをアランに話しかけている。
「はあ、そのようですね」
「なんだその気の抜けたような返事は。自分の婚約者のことだろう」
自分の婚約者の事だが、現実味がないから仕方がない。アランがこんな行動を取ることが今までなかったから、対応をしかねていた。
「アランからは何も聞いていないので」
アランが何も言わないから、どんな行動をとればいいのか分からずにいる。
アランに好きな人が出来たら、私に一番最初に告げに来るものだと思っていた。婚約者という立ち位置だからというのもあるし、一番親しい友人としても一番に教えてもらえると思っていた。
それ位私達は親しいはずなのだ。
「へえ、信頼しているわけだ。じゃあ彼から婚約破棄を告げられたら頷くのか?」
エリック殿下は先ほどから婚約破棄という言葉を軽く使う。婚約は両家を結ぶためのもので、おいそれと破棄出来る類のものではない。
「婚約破棄ですか……」
私だけの問題ではないから、自分だけで答えが出る問題ではない。それに生まれた時からの婚約者なのだ。結婚相手はアラン以外に考えられないというのが、正直なところだった。
でもアランが本当に恋に落ちたというなら、親に反抗してでも私に婚約破棄を告げるというのが一番ありえそうなケースだった。
言いよどむ私に、エリック殿下はずいっと肩を乗り出す。
「あんな男はやめてオレにしておけばいい。オレは女性を悲しませることだけはしない、女性の足を踏む真似もな」
「……っ!」
一気に近づいた距離に、私は身を引いた。
殿下にはアランがダンスを苦手としている事がバレているらしい。
「社交界で噂の悪女を見れば、婚約者を守るために踏まれた苦痛に耐えて笑っていた。その姿を見てから、君のことを目で追っていたんだ」
舞踏会の日に踊れなかったのは残念だったと続ける。その瞳には私への好奇心が覗いている。平凡な女が、彼の目には婚約者のために尽くす健気な女にでも見えていたのだろうか。
(婚約者のいる女に興味を持つなんて、趣味が悪いわ——)
「自分に尽くしてくれる婚約者がいるのに、ポッと出の女に目移りするような男と結婚したら、この先ずっと苦労することになるぞ」
「……」
エリック殿下の言葉は、自分に思いっきり刺さった。私は浮気する男性を夫にもつ苦労など、身にしみるほど知っている。それに――
「……目移りじゃないです」
アランは私を幼馴染みとして、そして婚約者として、大切にしてくれるし、尊重してくれる。でもそこには、恋愛感情なんてこれっぽっちもない。
アランが私に向ける感情には、火傷しそうになるほどの熱は無くて、陽だまりのように穏やかな信頼があるだけだ。きっとその感情が一生涯変わることはないだろう。だからアランのブリジット嬢に対する感情は、「目移り」なんかじゃなくて「初恋」というものだ。
「……っ」
「ジゼル嬢……?」
胸が痛む。溺れているかのように、苦しい。ずっと傍にいた人に置いていかれる寂しさから来る感情だと、自分を誤魔化してはいたものの、それが限界であることを悟った。
私もアランに抱くのは、アランと同じように穏やかな感情だと思っていたのだ。8年前にアランと一緒に池へ落ちた時、私の熱は池に吸い込まれてしまったのだと勘違いをしていた。
でも全くの勘違いだったのだと、ブリジット嬢という存在が現れてようやく気付かされた。自分がアランへ向ける感情は、愛なんていう神聖な物ではなくて、もっとドロドロとして、情けない形をしていた。恋を自覚した瞬間に失恋が確定するなんて、神様は酷い。
中庭のベンチに座るアランは、離れているのに私の姿を見つけたようで、手を上げた。
その姿に苦しかったのが嘘のように、心が晴れる。胸が擽られるような気持ちになって、笑ってしまった。軽くアランに手を振り返す。
アランがドラマチックな運命の出会いを果たそうと、優しさと可愛さも併せ持つブリジット嬢にどれだけ興味を持っていようと——
「それでも、まだ私はアランの婚約者です!」
それだけはまだ揺らぐことはない。
私はエリック殿下にそう言うと、足早に廊下を駆け抜けた。
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