二つ時
社交界で嫌われている私に声をかけてくる人間はいなかったので、完全に油断していた。
「ジゼル嬢はダンスが得意だと聞く。一曲お相手願えないだろうか?」
そう言ってエリック殿下は私に手を差し出した。
エリック殿下は我が国の第二王子だ。性格は良く言えばアクティブで、悪く言えば奔放だった。真面目な第一王子とは正反対で、王族という枠に囚われない言動が目立ち、社交界では問題児として扱われていた。最近まで留学しており、数日前に帰国したと聞いている。
(エリック殿下が今日のパーティに出席されていたなんて知らなかったわ……)
彼の立ち振る舞いには余裕があって、いかにも自信に溢れているのを感じる。蜂蜜を煮詰めたような甘い色の瞳が、挑むような色を帯びて私を見た。
その余裕がやけに癪に障る。不敬なのは百も承知だが一旦そう思ってしまうと、「そもそも初対面なのに名前呼びってどうなの」とか、「断れない状況で女性をダンスに誘うのはどうなの」と次々不満が湧いてくる。
(それに望んで目立ったりしたくない。ただでさえ悪女だと思われているのに)
そんな私の感情が伝わったのか、アランは動かずにいる私を隠すように進み出た。
「殿下、お初にお目にかかります。彼女の婚約者のアラン・セギュールと申します」
流れるようにアランはお辞儀をする。殿下を前にしても余裕があるように見える美しい所作は、アランが何万回と練習することで身につけたものだった。
よく見ると彼の手は小刻みに震えているのだが、きっとそこに気づく人はいないはずだ。それほどまでにアランは涼し気な顔をしていた。
「先程彼女は足を痛めてしまったので、踊るのは少し無理があるかと」
確かに足を痛めてしまったというのは嘘ではない。先程アランに踏まれた足は未だにヒリヒリとして痛む。まあ踊れない程ではないけれど。
私はアランの言葉にうんうんと首を縦にふる。
「でも先程から見ていたが歩けているじゃないか」
「それは……」
(何で食い下がるの!?)
私に婚約者の存在があることを知りながらも、殿下は何故か諦めなかった。アランが一瞬言いよどむのを感じ、彼の背にそっと後ろから触れて、私はゆっくりと進み出た。
「歩くので精一杯で、そろそろお暇させて頂こうと考えていたのです」
周りからチクチクと視線を感じる。スキャンダルを嬉々として探すような視線だ。それがいつもより2割増しくらい、チクチクとしていて地味に痛い。主に殿下のせいだ。王族というのはどこにいても目立つものだから。
「そうか残念だが……それなら仕方ないな」
私の言葉を聞いて、不服そうな顔をしながらもエリック殿下は頷いた。
(何なのよ、その不服気な顔は……)
今まで会った事もなかった人間から興味を持たれているという状況に、私は心底げんなりとする。ましてや相手は一国の王子なのだから、尚更面倒くさい。
そのあと私は美味しい食事にあまり手を付けられないまま、後ろ髪を引かれる気持ちですぐにパーティ会場を出た。アランに手を引かれて、呼んでいた馬車に乗り込む。
「アラン、さっきはありがとう。目立つのなんて懲り懲りだったから、アランが庇ってくれて助かったわ」
「それならよかった」
口ではそう言いながらも、アランは悩ましげに目を伏せた。アランが下を向くと長いまつ毛がますます強調されて、まるで一枚絵のように美しい。その顔面の破壊力にも慣れたものだが、未だに時々見惚れてしまうことがある。社交界で人気が高いのも頷けるほど、私の婚約者は綺麗な顔立ちをしていた。
「でもジゼルは本当は踊りたかったんじゃないの?殿下は王子様なわけだし」
(王子様と踊りたがるようなミーハーと思われているのかしら)
窓の外をちらりと見ると、濃紺の空の中で煌々と輝く月が見える。
「殿下と踊るのなんて、目立つから嫌に決まってるわ。もっと社交界の腫れ物になっちゃう」
「ごめん。俺が上手くやれないから……」
アランを庇えば庇うほど、社交界で人気の高いアランを独り占めする私の評判は地に落ちる。けれども私は自分の評判より、アランの方が大事だ。小さい頃から一緒にいるから、家族を超えて私たちはもはや運命共同体なのだ。
「いいの。私が大事な人だけ自分のことを分かってくれれば、それで充分よ」
「そう……」
安心させるために微笑んだ私を見て、アランは困ったように眉を下げた。アランは優しいが故に人を気遣いすぎるところがある。それに不器用さも相まって本人をネガティブに見せる。
ずっと一緒にいるから慣れたものだけど、アランの他人行儀さは私を寂しい気持ちにさせた。もっと我が儘になってくれても良いのに。我が儘で周囲を困らせるアランは想像がつかないけど。
それでも我が儘を言ってくれたのなら、何でも叶えたいと思っていた。
それ程に私にとってアランは大切な人間だった。
◇
「~♪」
今の私はすこぶる機嫌が良い。なんたって今の時刻は午後3時。
私は24時間の中で、午後3時が一番好きだ。理由は単純でお菓子が貰えるから。私はお菓子が3度のメシより好きだった。
庭先に置かれたテーブルへ座り客人を待つ。メイドに導かれて、アランが此方に向かってきた。その右手には白い箱がある。その形状は大きさからタルトだろうと当たりをつけた。
その甘美な味を思い浮かべて、はしたなくも、ついヨダレが出そうになる。
「アラン!いらっしゃい!」
「こんにちは、ジゼル」
挨拶も早々に箱に目が釘付けになっている私を見て、アランは笑うと私にその箱を差し出した。
「今日はいちごのタルトを持ってきたんだ。気に入ってくれると良いけれど」
「気に入るも何も、アランが作ったお菓子なら何でも大好物よ!」
そう。アランはお菓子を作ることができる。それもとても美味しく、正直プロ並み……いやプロを超える程のお手前だ。
現在この国では階級による差別は少なくなってきたとはいえ、まだ人々の認識の上で貴族と平民の間に隔たりはある。貴族が厨房に入るのも珍しいことで、アランの両親もアランが手づからお菓子作りをすることに始めは眉を潜めていた。しかしアランの作ったケーキを食べて、皆意見を変えた。
アランは不器用な面を多々持つけれど、ことお菓子作りに関しては天才だったのだ。
お菓子の大好きな私は、だからアランの婚約者としての立場を利用しない手はなく、ことあるごとにアランの手料理をせびっていた。ダンスで足を踏まれても、こうして美味しいお菓子が食べられるのなら安いものだ。アランの罪悪感に漬け込んでお菓子をせびるのはズルいことだと分かっているが、アランのお菓子を味わってしまうともう理性は彼方へ飛んでいってしまうのだ。
「うーん、このタルトおいしい!何個でも食べられちゃいそう」
「健康に悪いから1個までだよ」
アランは「残りは家族や使用人に渡してね」なんて言って、タルトの残りを箱に収めた。その表情は柔らかく、どこか誇らしげにも見える。
この8つ時の時間が好きなのは、アランの自信満々な姿を見ることができるからという理由もあった。いつもは自信なさげにしていたり、完璧な貴族の仮面を被ってすました顔をしているので、この時間の生き生きとしたアランを見られるのはとても貴重なのだ。
ふわふわとして上機嫌な私は、アランに再びお願い事をしてみることにした。
「ねえ、アラン。私達のウェディングケーキはアランが作ってくれる?」
「っ……」
アランは目を見開いた。そして何故か頬を赤らめる。アランのあまり見たことがない表情に私は首をかしげた。
「そ、そうだね。うん、俺が作るよ」
アランは顔を赤くしたまま頷く。そうすると色づいた耳がよく見えた。
(照れてるのかしら?)
でもどこに照れる要素があったのかが分からない。私達にとって結婚するのは当たり前のことだし、私がアランの作るお菓子を大好きなことも知っていると思っていた。
じっとアランを見つめるも、その答えにはたどり着けそうもない。
アランに直接聞こうにも顔の赤さを指摘すれば、きっとアランは慌てふためくだろう。その姿を愛でて楽しむ趣味の無い私は、何も言わないでおくに限る。
「楽しみがひとつ増えちゃった」
甘酸っぱいイチゴを丸ごと口に入れて頬張る。淑女のすることじゃない、とお叱りが飛んできそうなものだが、ここには生憎とアランと私しかいないのだ。誰も文句は言わなかった。
◇
我が家での二人だけのお茶会が終わり、庭園を散歩する。私がいつも3時のお菓子を食べ過ぎてしまうから、アランは食後の運動に付き合ってくれるのだ。
そこそこうちの庭園は広い。バラ園を突っ切っていった先にあるガセポで私たちは一休みすることにした。
「足見せて」
アランは先日と同じように私の足元にしゃがむ。
「も、もう治ったから」
「治ったのを確認したいから見せてほしい」
真剣な目で見られて、私は断り切れずおずおずと靴下を脱いだ。
「やっぱり痣になってるじゃないか」
そっと指が緑色の痣の上をなぞる。その感覚がこそばゆくて私は足を引いた。
「そんなに痛くないから大丈夫よ」
じっと見つめられてついつい顔をそらす。アランは変なときに距離感が近い。前だって急に足に触れてきたし。手を引かれる形のエスコートやダンスはしてきたから、ボディタッチが少なかったわけではないけれど、最近は特に多かった。
「でも痣がなくなるまでは湿布を貼っておいて」
アランは湿布を取り出すと、足の上に張る。
「冷たい」
ひんやりとしたその感覚に肩をすくめると、アランはふっと笑って、暖めるためなのか私の足を両手で包み込んだ。
「足小さいね」
「……そりゃあアランよりは小さいわよ」
(やっぱりアランは距離感がおかしい)
将来的に結婚するのだから距離感も何も無いかもしれないが、今までが幼馴染としての距離感だったから何だか焦ってしまう。
「もう湿布暖まったから平気よ」
「ああ。うん」
彼は残念そうにしながら私の足を下ろした。どうしてそこで残念そうなのか。
アランの事が最近良く分からない。
見知ったはずの彼が、知らない男の人に見えることがあるのだ。