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一つ時

私の婚約者は不器用だ。


「ジゼル嬢、俺とダンスを踊っていただけますか?」


柔らかい金髪がシャンデリアの光を受けて輝く。その下にあるペリドット色の瞳が不安げに揺れたのを感じ取って、私は大きめに一歩踏み出した。


「喜んで」


彼を安心させるために微笑み、差し出された手を取る。

すると彼も「大丈夫」というように、口端を緩く上げた。


「……!」


彼の微笑みに、会場が騒めくのを肌で感じる。

彼はその美しさと優秀さから将来を嘱望(しょくぼう)されている。

そんな彼が舞踏会に足を運んだとあって、明らかに衆目を集めていた。


「右側が空いてるから、あちらで踊りましょう?」

「う、うん」


いざホールの端へと向かおうとした時、彼がつんのめった。繋いだ手をぐっと引いて彼の体を支える。


「っ、ありがとう」


ほっとしたように息を吐いた彼に、頷きで返す。


右端の方に移動すると、息をつく間もなくダンスホールではワルツの演奏が始まった。



私が婚約者であるアラン・セギュールに出会ったのは8年前のことだ。


王朝の初期から国を支え続け、国の北部に広大な領地を持つセギュール侯爵家。そんな由緒正しい家と我がブランシュ伯爵家が婚約を結ぶことになったのは、母親同士が友人関係だったからだ。二人とも同じ女学校に通っていた同級生で、子供が出来たら結婚させようと話していたらしい。


当人である私からすると不思議な感覚だ。母親たちの少女時代の約束が、政略を巻き込んで実現してしまったのだから。


そんなわけで政略結婚することが決まっていた私は、小さいころからアランの様子を聞かされながら育てられた。彼が美しい容貌をしているだとか、勉強熱心で神童と言われているとか、そんな彼の噂を夜な夜な聞いた。


周りの人の評判が高いと、会ったことがないのにその人自身も好ましく思える。両親は私が政略結婚を嫌がらないように、アランを好ましく思えるような印象操作をしていたのだと思う。同年代の男の子と会ったことは無かったし、私の周りから家族以外の男性は排除されていた。そのため両親の努力の甲斐あってか、私は彼らの思惑通り、結婚相手の話を聞くのをいつも楽しみにしていたのだ。


美化された話を聞かされたことで、婚約者像を大好きな本に登場した王子様に重ねて、どんどん婚約者への期待が肥大化していった。当時の私は子供らしく恋に恋する女の子だったのだ。


10歳になってはじめて婚約者の領地を訪ねることになったとき、私のテンションは最高潮に達した。白馬の王子様との出会いに心踊らせて、お気に入りのワンピースを着て色々と迷いながらおめかしをした。


そんな期待を胸にセギュール家に向かったわけだが……私はお気に入りの服を着ていったことを後悔した。


顔合わせの後、子供達で遊んできなさいと両親に言われ、屋敷内をアランが案内してくれることになった。

初めて会うアランは噂以上に綺麗な顔をしていたし、仕草もマナーも完璧だった。本物の王子様のような彼を見て、私の胸は高鳴りつづけていた。


「え゛」


ボチャンッ。私は肌から感じるその冷たさに、最初何が起こったのか分からなかった。夢でも見ているのか、とすら思った。


アランは屋敷の眼の前の池を通っていた時に、何もないところで躓き、池に飛び込んだのだ。手を引かれていた私も引きずり込まれるように池に落ちた。その結果白いワンピースは無惨なことに茶色に染色され、セットした髪はピンが抜けてボサボサになってしまったのだった。


「……」

「……」

 

理解の出来ない事態に私は池から出ることなく硬直し、アランも顔面を蒼白にして動かず、私達は暫しの間見つめあった。


そんなときポトリと雫が吸い込まれるように水面に落ちて波紋を描く。


「アランさま!?」


とにかくギョッとした。雫がアランの目元から溢れ落ちたように見えたからだ。見間違えたのではないかと考えて、アランを見上げる。


彼は泣きながら池から私を引き上げ、崩れ落ちるように私に深く謝罪した。そしてポツリポツリと自分の事を話し始めたのだった。曰くアランは要領が悪いのだという。人の数倍努力しないと人並みになれないし、極度の緊張しいで失敗ばかりしては両親や家庭教師に叱られているらしい。敬語を話すのも苦手で完璧な貴公子の擬態を数百回練習して身につけたのだと告げた。


「こんなこんやくしゃは、いやだろ?」


涙交じりにたずねられた質問に、私は胸が痛くなった。努力が報われない辛さは十歳の私でも分かったのだ。アランからポトリともう一度涙が落ちるのを見て、咄嗟に「いやじゃない!」と叫んでいた。濡れネズミ姿で必死に言葉を続ける私に、アランは最終的に笑ってくれたのだった。


あの日以来、大きく膨れ上がった恋心はすっかり無くなってしまったが、等身大のアランを知ることができた。あれから8年が経ち、私たちは一年後に結婚を控えている。お伽噺の恋人達のように愛し合っているわけじゃないけど、仲は良いと思う。



「っ……」


足を踏まれた痛みに何とか耐えて、笑って躍り続ける。


わざとやっている訳じゃないと知っているから恨みはしない。けど痛いものは痛い。成人男性の体重が細い足に乗っかる激痛たるや推して知るべし。私が柔なご令嬢であれば、今頃足の指の一本や二本折れていたことだろう。


目の前のアランはいつも通りの完璧な笑顔を浮かべている。しかし触れている指先が震えていて、胸の内では苦々しい思いを抱えていることが伝わってきた。陰謀渦巻く貴族社会では、少しの弱味が命取りとなるから一瞬の表情ですら気を抜けないのだ。特に次期侯爵として注目を集めているのでなおさらだった。


(もっとダンスは楽しいはずのものなのに)


アランは血の滲むような努力を重ねた結果、今ではマナーも所作も知識も、同年代では右に出る者はいないほどに完璧だった。唯一ダンスを除いては。


元々アランは同時進行で何かを行うのが得意ではない上に、あがり症なのだ。


だから舞踏会はアランには気の毒な時間だった。私はダンスが得意なので不格好にならないようにフォローできるけど、私以外の女性と踊ってしまうと彼の不器用さは隠しきれない。そのためアランは私以外の女性とはダンスを踊らないようにしている。その理由を邪推されて、私は社交界では悪者扱い扱いされているのだが……。


噂曰く私はアランに執着していて、彼が他の女性とダンスを踊ることさえ許さない嫉妬深い女らしい。アランが社交界で人気があるのも伴って、ご令嬢やご婦人に私は言いたい放題言われていた。アランがその噂を止めようと奔走してくれたこともあったが、彼が行動すればするほど、可哀想なアランと悪辣な私という図が人々の中で定まっていった。


アランの弱点を公にするわけにも行かないし、仕方ないことだ。


私は社交に興味がないし、結婚後は王都から離れたアランの実家であるセギュール家の領地で暮らすことになっている。どうせ結婚後は、噂好きの貴族達と関わることは少なくなるのだ。噂の終わりが見えているため、私は悪評が流れようと放っておいていた。大切な人だけ本当の自分を分かってくれていれば、それで充分だ。


ダンスを踊り終わると、アランを引っ張るように庭に出る。そのままダンスホールに残ってしまうと、アランがダンスに誘われてしまうため、ダンスを踊ったらすぐホールを出て、庭を散歩するというのが私達のルーティーンになっていた。


私はパーティの喧騒が遠のいたことを確認して耳打ちをする。


「ダンス間違えたのは2箇所だったわ」


「……そうか」


アランは気まずそうに私の手を引いて、ガセポの椅子に誘導した。椅子の上の葉をさり気なく払い、彼はハンカチを椅子の上に引く。


その仕草は洗練されていて、見惚れてしまうほどだ。

アランは仕草から細々とした気遣いまで完璧だった。

お姫様のような扱いに気恥ずかしくなりながら、ありがたく用意してくれたハンカチの上に座らせてもらう。パーティではずっと立ちっぱなしで、その上ダンスまで踊ったので足が疲労を感じていた。


「でもアランはダンス凄く上手くなってると思うの。ここ最近動きも随分スムーズになったことだし」


私はアランとずっと一緒に練習してきたが、どんどん緊張が取れて技術が向上していることに気づいていた。必死に練習していたアランを知っているから、少しの変化であろうと、上達が目に見えてわかるのが嬉しい。


私はアランに笑いかけるけれど、アランは申し訳無さそうに眉を下げる。


「踏んでしまったのは自分でも分かった。どっちの足だった?」

「右足だけど。……ちょ、ちょっと!?」


少しひんやりとして冷たいアランの指先が私の足首に触れる。いきなり触れられたことに驚いた私は、のけぞった。


両者ともに幼馴染としての距離感を保っていて、今まで腕は組んだことがあっても、その他の触れ合いは一切無かった。


どぎまぎとしながら、押さえるようにアランの肩に手を置く。


「靴脱がすね」

「アラン待って!」


アランはヒールを脱がせると、私の足の甲に優しく触れた。


「腫れてる」


アランは泣きそうな声でそう言うと顔を歪めた。大事なものを扱うように触れる指がくすぐったくて肩を竦める。


「……大丈夫。こんなのすぐ治るから」


冷静を装ってそう言葉をかけると、アランは頭を抱えるようにして項垂れた。


「全然大丈夫じゃないよ。本当にごめん」

「謝らなくていいって言ってるでしょ。アランが努力を重ねて、どんどん上手になっていること分かってるもの」


慰めるように丸まった彼の肩を叩く。


(まあ少しは痛かったけど)


慣れているとはいえ、驚くし痛いものは痛い。しかし、そんなことを言ったら気にしいのアランは益々萎縮してしまうだろう。


それにアランは自分が迷惑かけたことばっかり気にしているけれど、迷惑をかけるのはお互い様だ。私は8年間一緒にいて、欠点以上にアランには良いところがあることをよく理解していた。


「そんなことよりも例のアレのことなんだけれど……」


畳みかけるならここしかないと、チラチラと期待するようにアランを見る。人の罪悪感を利用するなんて、自分でもいい性格していると思う。でも一度知ってしまった快楽から人間は逃れることなど不可能なのだ。


彼は眉を下げて頷いた。


「……湿布と一緒に今度持っていく」

「本当!?」


小躍りしそうなくらいテンションが上がる。アランに抱き着かんばかりに詰め寄ると、アランは照れたように視線を逸らした。


「時間はあるし、あんなものでいいなら」

「ありがとう。すっごくうれしいわ!」


ゆるんだ口元が抑えられず、甘い妄想が脳内を駆け巡る。そんな私を見てアランは苦笑した。困ったような表情の中に今度は自信の色が見える。柔らかい黄緑色の瞳の中にユラユラと炎が浮かんだように見えて、アランの訪問がますます楽しみになった。


「こっそりホールに戻らない?私このパーティーのためにお昼ご飯抜いてきたから、お腹空いてきちゃった」

「ええっ、早く言ってよ。お腹空いて倒れたら大変だから、さっさと食べに行こう」


当たり前のように目の前に手が差し出される。私も当たり前のように手を重ねた。昔は変に照れて不格好だった動きが、今は息を吸うかのように自然になった。当たり前のようにこうして手を繋いで隣に立つ。それが私達の日常だった。



会場に戻り夢中で用意されたデザート類を食べ漁っていると、不意に背後から名前を呼ばれた。


「ジゼル嬢」


隣にいるアランが固まったのを見て、後ろを振り返る。そこには帰国したばかりのエリック王子が立っていた。


「ジゼル嬢はダンスが得意だと聞く。一曲お相手願えないだろうか?」


目がかすむほど眩しいシャンデリアを背後にして、王子は挑むような目で私を見る。当然というように差し出された手に、私はくらりと眩暈(めまい)がしたのだった。



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