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第7話 尾花沢

 尾花沢の町に着き、車を下ろしてもらった。


 師匠と空猫は、歩道に立つ。師匠はのんきに伸びをしている。空猫も背中を伸ばして、車外の広さを堪能した。


「大丈夫なのかい、空ちゃん」


 頭上のコガネムシの声にうなずく。


「回復しました」


 疲れはすっかり取れていた。


 空猫は左右を確かめる。魚屋猫のお杉は、尾花沢に行ったら清風猫という化け猫の屋敷に泊めてもらえと言った。しかし、どうやって会えばよいのか分からない。周囲を見回しながら考えていると、コガネムシが頭をとんとんと叩いてきた。


「空ちゃん、あっちを見な」


 目ざとく何かを発見したようだ。空猫は顔を向ける。小道の陰から猫の顔が出て、こちらを窺っている。しわの寄った梅干しのような顔だ。だいぶ年を取っている。老猫と言って差し支えがないだろう。空猫は師匠の足を叩いた。


「ちょっと待っていてください」


「おっ、なんだい?」


「少し猫に会って戻ってきます」


「あいよ」


 空猫は、ととととと、と駆けて老猫の前に立った。


「清風殿ですか?」


「いかにも。お主は空殿か?」


「そうです」


「虫の知らせの蝶が飛んできた。話は、お杉殿に聞いている。私の屋敷に、人間を泊まらせたいということだな?」


「はい。宿代の節約になると思いまして」


 清風猫は、顔をひょいと上げて、少し離れた場所にいる師匠をながめる。


「あれは、何となく憐れでかわいそうな感じの人間だなあ」


「ええ」


「何か世話をしてやらないと、しくじりそうに見える」


「私もそう思います」


「あの御仁、化け猫の声が聞こえるのだな?」


「そうです」


「それじゃあ、それほど困るということもないだろう」


 清風猫は路地から出て、空猫とともに師匠の前に立った。


「お師匠さん、清風殿です」


「やあ、初めまして。この町にも化け猫がいるんだね」


「ふむ。あなた様は、猫と化け猫の区別がつくのですね?」


「まあね」


「私もあなたのことを、お師匠さんとお呼びしてよいですか?」


「ああ、それでいいよ。空たちには、お師匠さんで通っているしね」


 師匠は空猫に視線を送る。空猫はうなずいた。


「でもまあ、お師匠さんは、師匠って顔ではないですけどね」


「へえ、そうかい。じゃあ空には、どんな風に見えるんだい?」


「粗忽者ですかね」


「まあ、間違いない。化け猫相手に俳句の講義をおっぱじめるぐらいだからね」


 師匠は頬をゆるめた。


「それでは、お師匠さん、空猫殿。私の屋敷に行きましょう」


 清風猫は、ひょいと首を傾げて、細道にうながす。この先に行くのかと思い、空猫はとことこと進む。師匠も、てくてくと付いてきた。道を曲がると、桜吹雪がざっと舞った。すると景色がにわかに変わった。これまでの町の景色が消えて、木造の家屋が並んだ一角へと紛れこむ。


「これは何だい、隠し里のたぐいかい?」


 師匠は驚いた様子を見せる。空猫も、その横で面食らった顔をした。


「これで、あれから隠れることができます」


 清風猫は目を鋭くして言う。


「あれって何だい?」


 師匠はのんきに聞く。空猫は影犬のことかと思い警戒する。清風猫は、空猫の顔をじっと見る。


「空殿は気づいているようですね。あれの正体まで把握していますか?」


「そこまでは」


 小さな声で答える。


 清風猫は、空猫に耳打ちしてきた。


「あれは寿命が形を持った存在です。ただの影だったり、その人そっくりだったりします。どういうわけか今は犬の姿のようですね。そいつが追ってきています」


 寿命が形を持ったということは、死に神のようなものなのか。空猫は、そいつに名前を与えて形を作らせてしまった。


「ふつうはですね、あれは見えないぐらいの遠方から、ゆっくりとやって来るものなんです。そして気づかないうちに追いつく存在なんです。それが何度も近くまでやって来ている。そうじゃないですか? お師匠さんから死穢のにおいがします。それも他人のではなく本人の。空殿のお師匠さんは、何をやらかしたのですか?」


「分かりません。お師匠さんのことをもっと知ろうとしているんですけど」


「ふむ」


 清風猫は抜き足、差し足で、隠れ里の景色を進んでいく。空猫と師匠は、あとを追っていく。清風猫は、呪文らしきものをつぶやいた。


「さくら花、散りかひくもれ、老いらくの、来むといふなる、道まがふがに」


「古今和歌集だね」


 背後の師匠が清風猫に言う。


「そのとおりです」


 何だろう古今和歌集とは。空猫には、清風猫と師匠のやり取りが分からなかった。


「歌を、うつし世に重ねて、人口に膾炙した歌の力を借りるって寸法かい?」


「まじないのことわりをご存じのようですね。そして、すぐに思いいたるということは、もしかして感じているのですか?」


 師匠は少し黙って考えこむ。


「何となくだがね。見えてはいないが追われている気はしているよ」


「引き寄せているのは、あなたご自身ですよ」


 師匠と清風猫は、気脈を通じ合わせるように目配せをした。


「ねえねえ、姐さん。どういうことですか?」


 話についていけなかった空猫は、コガネムシに尋ねる。


「つまりね。あんたのお師匠さんは、黒い敵の気配を感じていたけど、見えてはいなかったってことだね。そして、古今和歌集という奴に、そいつを足止めする逸話が載っていたんじゃないのかね。清風殿は、その歌を、うつし世と重ね合わせることで、呪術の力を発揮させた。そして、ここに入って来た痕跡を消した。言の葉には、目の前の景色を変える力があるからね。それが、多くの人に唱えられたものなら、なおさらね」


「なるほど、姐さんは何でも知っているんですね」


「よせやい。私は知識はないよ。この大きさだからね。だから、ちょっと考えてみただけさ」


 コガネムシは、照れくさそうに手をこすり合わせた。


 清風猫の先導で、桜吹雪の舞う細い道を抜けていく。角を曲がると小さな川が見えて、その向こうに大きな屋敷が現れた。大正風の木造多層建築物だ。建てて百年ぐらい経っているのではないか。


「ここまで来れば安心です。あれはたどり着けないです」


 清風猫は、追ってきている相手を、あれとしか言わない。代名詞で呼ぶことで、言及することを避けているようだ。自分のようなしくじりはしない。先ほどのまじないといい、清風猫は呪術に長けているのだろう。あるいは魚屋猫のお杉が立ち寄るように言ったのは、助力を仰がせるためなのかもしれないと思った。


 空猫たちの前の小さな川には橋がある。清風猫の先導で、橋を渡って建物の玄関に入る。建物の木材は年月を経た艶を帯びていた。爪を引っこめてなでると気持ちよかった。


 清風猫は、玄関に置いてある洗面器に足を入れて、ばしゃばしゃと洗う。玄関にはバスタオルがあり、その上で足踏みをして足を乾かした。


「空殿も」


 うながされて、おっかなびっくり足を入れる。そして汚れを落としてタオルで拭いた。師匠は靴を脱いで、そのまま上がった。


 清風猫の先導で廊下を歩く。


「この温泉旅館の持ち主は破産しましてね。無人の建物になったんですよ。その後猫屋敷化しまして、私が主になりました。今は猫たちで共同で管理しています。化け猫たちの宿という感じです。住み着いている者も多いです。お師匠さんは人間ですので、温泉が好きだと思います。浴場に近い部屋を用意しました」


「そりゃあいい。旅館なんて、湯につかるために、あるようなものだしねえ」


「人間は、たいていそうですからね」


 清風猫は、貫禄たっぷりに廊下をのしのしと歩く。その後ろについて、空猫と師匠は旅館の奥まで行った。


 部屋は畳敷きの簡素なものだった。しかしよく見ると、欄間が緻密な彫刻になっている。きっと、かなりの金を使って建てられたのだろう。


「いいねえ、風情があって」


 師匠は上機嫌で、浴場に行くための準備をしている。その足を清風猫が、とんとんと叩いた。


「それで、お師匠さん、当宿に宿泊するに当たって、少しお願いがあるのですが、よろしいですか?」


「なんだい?」


「この宿の化け猫たちが、俳句を習いたいと言っているのです。半年ほど前から、お杉殿に俳句の話を伝え聞いていました。そして、この宿の猫たちは、そんなにはまるものなのかと興味を持っているのです。一晩だけでよいですから教えていただけないでしょうか。膳と酒を用意して宴会形式にします。お酒はお好きな方なんでしょう?」


「ああ、好きだね。それに、みんなで俳句ってのも楽しいね。じゃあ、風呂のあとでいいかい?」


「はい」


 師匠は笑顔で廊下に出て行った。


 部屋には、空猫と清風猫とコガネムシが残された。三匹だけになったところで、清風猫が手招きをして小声で話しだした。


「お杉殿によろしくと頼まれたから万事手配したが、あの御仁は、いったいどういう方なのかな? なぜ化け猫と話ができるのか。なぜ、あれに追われているのか。あまりにも分からぬことが多すぎる。


 あの御仁は、憐れでかわいそうな人間に見える。何とか手助けしてやりたいのだが、どうにもその方法が分からぬ。だが、一つだけ言えることがある。追ってくるあれに襲われるようなことがあれば、そばにいる化け猫が救ってやらねばならぬ。この旅のあいだは空殿だ。戦いの備えはできておるかい?」


「空ちゃんは、何度もあれを撃退しているのよ」


 コガネムシが自慢げに言う。


「しかし、禍根を断つところまではいっていないです」


 空猫は尻尾を下げる。


「いろいろと考えているのですが、あれを倒す妙案がないのが正直なところです」


 もっと力と経験があればよかったのに。自分は、師匠のお供にふさわしくなかったのかもしれない。落胆する空猫の様子を見て、コガネムシが胸を張って手を頭上にかざして話しだした。


「清風殿、空ちゃんを、あまり責めないでやってください。この人は懸命に励んでいるのですから」


 コガネムシは、羽根をぶーんと震わせて威嚇する。


「すまんすまん、責めるつもりはなかったんだよ。言い過ぎた。実はな、備えは私の方でやっておいたのだ。空殿に渡しておきたいものがあるのだよ」


 清風猫は部屋の隅に行き、人間の手の平にすっぽり収まりそうな錦の袋を持ってきた。


「お守り袋ですか?」


「そうだ。ある物が中に入っている。次にあれに対峙し、にっちもさっちもいかなくなったら、袋を破り、中身を取り出すとよい」


「何が入っているんですか?」


「何かは告げぬ。知らぬなら知らぬままの方がよい。空殿が聞けば、使ってみたくなるかもしれぬ。猫には猫の生き方がある。ただ、お師匠さんを救うには、危険を冒さなければならないこともあるだろう」


 いやだなあ、危険なものなのか。空猫は、おっかなびっくり前足で触れる。特に何も起きない。袋には紐がついている。首を通してぶら下げた。その様子を見て、コガネムシが両手をこすり合わせた。


「その錦の袋は、なかなか豪華なものだねえ。空ちゃん、高級猫になったみたいだよ」


「そうですか姐さん。姐さんが言うなら間違いないでしょう」


 空猫は、ちょっと気分が高揚して得意げになった。そしてコガネムシを頭に乗せて、モデルのように部屋を歩いてみた。


 師匠が戻ってきた。浴衣姿で湯気を上げている。


「おっ、何か洒落たものを首からぶら下げているじゃないか」


「どうですか、似合っていますか?」


「高級猫みたいだよ」


「ほらね」


 コガネムシが言う。空猫はぴょんぴょん跳ねながら部屋の中を駆け回った。


 宴がはじまった。それほど広くはない部屋に、化け猫たちが百匹ばかり集まった。師匠は上座に座り、その横に空猫の席も用意された。コガネムシは空猫の背中の毛に潜りこみ、用があったら呼んでくれと言って眠ってしまった。


 師匠は俳句について語る。化け猫たちは思い思いの句を詠んで、師匠に添削を求める。酒肴が運ばれてきた。マタタビ酒に干し魚、木の実、山菜も並んでいる。いつの間にか、猫も人も酔っていた。清風猫は扇を持って踊る。師匠はボールペンを振って季語をぶつぶつとつぶやいている。空猫も杯を重ねる。化け猫たちの多くは、笑ったり転がったりしていた。


 誰もが正気を失って馬鹿騒ぎをしている。空猫は師匠の姿を見た。ちょろりと尻尾が生えていた。あれは殺生石のところで見たものと同じだ。きちんと確かめなければ。しかし睡魔が襲ってきた。眠りの落とし穴に、ころんと落ちる。すうっと意識が遠のいていく。そういえば、今日は頑張りすぎた。あれまあと思いながら、空猫は眠りの世界に取りこまれていった。

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