悲劇の英雄
『今回はひどく騙された。何が英霊の記憶を宿した指輪だ。はめて魔力を注いでも効果がなければ魔力も薄い……他の触媒も大して役に立っていない。怒りで次商人に会ったらぶん殴ってやりたくなった。いつまでこの生活を続けなければならないのか』
俺は記述された日付を確認する。最初に記録された時から、五年の歳月が経過していた。
『だが私は諦めていない。必ず私を追放した者達に復讐してみせる。この研究を完成させ、奴らの全てを破壊する。その時が来るまで、この怒りを抱えながら突き進んでみせる』
……記述はそこで終わっていた。この後、彼の身に何かが起こって砦からいなくなったのだろう。山の中で滑落でもしたか、それとも野生にいる魔物に襲われたか。
俺は最後の文章、決意表明のようなものに目を通した時、小さく息をついた。復讐――彼がこんな場所に居座り研究を続けた原動力はそれだ。
どんな境遇だろうと、復讐心であらゆる感情を塗り潰し、五年も研究を重ねた……彼が何をされたのかはわからない。ただ、そこには破壊衝動さえ生まれた出来事があったのは間違いない。
「復讐……か」
本を閉じ、俺は考える。双子の弟として生を受け、圧倒的な才を持つ兄に一度も勝てることなくここまで来た。それでも俺は、何不自由なく暮らすことができて幸運だっただろう。けれど今、俺は兄か父の謀略によってここにいる。
もし力を手にしたなら、ここにいた魔術師と同じように復讐を果たすだろうか? 一度考えてみて、俺は小さく首を振った。
今の状況に対し、恨みがないと言えば嘘になる。なぜこんな仕打ちをするのかと、怒りだって無論ある……でも、だからといって本当に果たそうなどと思わなかった。むしろ、こんな馬鹿げたことをしでかす兄達を止めなければならない。そんな風に思った。
きっと兄や父は、未来自分の家を大きくするために謀略に手を染めながら突き進むだろう。それにどれだけの人が犠牲になるのか……。
俺に力があるならそれを止めるのが役目かもしれないと思いながらも、どうしようもなかった。いずれ来るであろう魔物を討ち果たす力がない。ここで俺は、死ぬしかない。
ここで木箱に入った物を見た。研究の触媒……その中で唯一、綺麗に残っているのが金属製の指輪。
「英霊の記憶を宿した指輪……か」
記憶を物に封じ込めるなんて聞いたことがないけれど、魔法によってそういうことが可能なのだろうか? 俺は手に取り、はめるのに丁度良い場所を探して……左手の中指に綺麗にはまった。
けれど何も起きない……当然か。淡い力は感じ取れるけど、魔術師だって検証はしたみたいだし、その結果あんな手記を書いたのだから。
そう思いながら左手に魔力を流した。魔力を少しでも引き上げるとか、そういう効果があれば――そんな意図を込めたものだったが、変化が起きた。
突如、目の前が真っ白になる。え、と内心で驚愕している間に、俺の意識は白に包まれた――
「――まさか、ここに来るとは思わなかったよ」
次に気付いた時、見たこともない景色が広がっていた。そこはまるで王城にある舞踏場。広い空間の中央に、声を上げた存在が立っていた。
剣を腰に差し、黒衣に身を包み、肌は病的に白い銀髪の男性……ゾクリとさせるような美貌を持ち、この世のものとは思えない存在感を放っている。
「君にはもう、戦う理由がないはずだ。僕は謀略で君に汚名を着せた。君の同僚……騎士殺しの汚名をね。それで君は全てを失ったはずだ。成り上がったその地位も、手に入るはずだった栄誉も。そして国を追われ、逃げるしかない……そのはずだ」
喋る相手を見て、俺は二つのことに気がついた。一つは目の前の存在がどういったものなのか。ただの人間ではない。発する気配は暗く、澱んでいる……魔物を使役し、世界に荒廃と破壊をもたらす存在――魔族。
もう一つは体が動かないこと。声を発することも、身じろぎすることもできない。まるで、誰かに乗り移っているような感覚がある。そういう自覚をした時、俺は気付いた。
これは……指輪に封じられた記憶を見ているのか?
「なおかつ、君は戦う理由さえなくなった。君を牢獄に入れ処刑しようとする国の人々のために、ここへ来てわざわざ戦う理由はないんじゃないか?」
「……戦う理由を失ったとしても」
自分が声を発した。いや、乗り移っている人間自身が口を開いたのだ。
「お前を放置しておく理由はない」
「自分にしかできないから、戦うと? この戦い、何も得るものがないというのに?」
「ただ俺は責務を果たすだけだ。言葉により俺を動揺させることはできないぞ」
力強い声だった。そこには鉄の意志――魔族を倒すという強い決意が存在している。
それで魔族は押し黙り、無表情となった。先ほどの余裕は崩れ、今はただ自分を滅ぼそうとする脅威を見据え、警戒している。
「……いいだろう。ならば僕の実力を思い知らせてあげよう。そして君を倒してから、この国を平らげる」
「そうはらない。お前はここで滅びるんだからな」
セリフと共に剣を抜く。同時、発したのは燃えるように噴き上がる魔力。まるで自分の腕が焼かれるような――凄まじい感覚が、腕を通して伝わってくる。
魔族はここで笑みを浮かべた。相手もまた魔力を噴出し――それは奈落の底へ叩き落とそうとする、漆黒の気配。戦いが始まる……過去に繰り広げられた死闘が今まさに始まる。
そして魔族が駆け両者の剣がぶつかりそうになった時――魔物の雄叫びが聞こえた。
はっとなった。気付けば元の部屋。声からして魔物は相当近づいている。俺に残された時間は少ない。
左手を見た。中指にはめられた指輪を見て、俺は半ば呆然と呟く。
「悲劇の……英雄……」
記憶の中にいた人物は、全てを失った。それでもなお、彼は魔族と戦う道を選んだ。それは歴史には残らない戦いだろう……けれどきっと、彼の戦いによって救われた国がある。
この道具はどうやら、ちゃんと記憶を宿していたらしい……ここにいた魔術師には効果が発揮できなかったけれど、俺には発動した、ということなのか。
しかし、一体どういう理屈で……疑問に思った時、俺はあることに気付いた。
「え……?」
先ほどまで感じ取れなかったもの――大気に満ちる魔力が、把握できるようになっていた。そして俺を狙う魔物がどこにいるのかも、まだ距離がありながら明瞭にわかる。
加え、先ほどの光景を思い返し……俺が乗り移っていた英霊が持っていたもの。言わば技術……それが、俺の身に宿っていることに気付いた。俺はすぐさま剣を抜く。同時、頭の中で理解した。どう剣を振ればいいか。そしてどう魔力を剣に注げば戦えるのか。
「何だ、これ……?」
ただ記憶を見せるだけではない。記憶を通して、英霊の力を得ることができる道具……理解した途端、再び魔物の咆哮が聞こえた。それを耳にした瞬間、俺は弾かれるように体を動かし、砦の外へ出るため走り始めた。
魔物と戦えるかもしれない、という感覚……ではなかった。それは明瞭な確信。足は軽く、疲労に満ちていた体も自由自在に動けている。魔法による身体強化……それが自然と俺の全身を包み、躍動していたのだった。