逃亡の先
「はあ……! はあ……!」
森の中を進み、川に辿り着いた時、俺はようやく立ち止まった。限界を迎え足がガクガクと震える。剣を握りしめていた腕も限界を迎え、どうにか鞘に収めた。
一歩も動きたくなかったが……遠くから魔物の咆哮。俺は疲労感をどうにか押し殺しつつ、川岸に座り込み水を飲む。
喉を潤し、ようやく落ち着く……が、どうすればいいのかなんて見当もつかなかった。
このまま立ち止まっていればいずれ魔物に追いつかれる。ならば逃げ続けるしかないが、どうやら魔物は俺の魔力か何かを頼りに追い掛けてきている。つまり、永遠に追いかけっこをしなければならない。
選択肢は……戦うのは論外である以上、手段は二つ。一つは山の中で隠れて時間を稼ぐ。あれだけ派手に街道をばく進していた以上、騎士団が駆けつけてくるだろう。その応援がここに来るまでどうにか耐える……だが、果たしてその時間はいかほどか。
「街道の人が魔物の発生を連絡して、騎士が動き始め……森の中に消えた魔物を捜索。魔物の姿からして数人ではやってこないだろう……なら王都から騎士が派遣される……準備を考えたら、下手すると半日は掛かりそうだな」
そう口にした瞬間、無理だなと悟る。隠れるにしたって物理的に身を隠すだけでは駄目だ。俺の魔力を頼りに追い掛けてくるのであれば、それをどうにか閉じなければいけないが……そんな制御法を俺は学んでいない。
もう一つの手段は、魔物の索敵範囲から逃げること。魔物は魔力を探り俺を追い掛けているが、その感知範囲は無限ではないはず。ならば索敵範囲を脱してしまえば逃げ切れる……わけだが、これも魔物に追いつかれないだけの動きをする必要があるわけで、
「どう考えても、不可能か」
再度、後方から雄叫び。俺は歯を食いしばり、せめてもの抵抗として歩き始める。川岸に沿う形で、山の頂上を目指すように歩を進める。
その道中、俺は考える……なぜ魔物は俺を執拗に狙うのか? その理由は一つだ。魔物と対峙した時、本能的に分かってしまった。その理由は、
「セオ……」
兄の名を呟く……いや、父の仕業かもしれない。
どちらにせよ、俺という存在を消すためにあの魔物を寄越したのは間違いないだろう……なぜ、という以前にどうやって魔物を、と疑問に思うところではあるのだが、俺にとってさして驚くことではない。
父は日々政争に明け暮れている人であり、様々な人間や組織と繋がりがある。そうした中に表には出せないような……そういう存在もいて、今回手を組んだのだろう。
父の仕業なのか、それともセオが動いたか……そこはわからないが、俺を亡き者にしようと考えた結果、今がある。ここでもし俺が死んだ場合どうなるのかを考えてみた。
――俺が死ねば、今までの扱いなど忘れ去ったかのように、盛大な葬儀で弔われるだろう。そしてセオは弟を殺めた魔物を恨み――恨んだ振りをして、自身もまた魔物討伐などに参加しようとする……それはきっと、学園の食堂で噂されていた聖剣の継承者に繋がることを意味するだろう。
そこまで想像してから、もしセオが計画したのであればこう思っているだろうと確信する――邪魔者を排除するだけではない。自身の栄達のために、利用させてもらおう。
魔物の声がまた聞こえた。近づいているのか遠のいているのかわからないが、確実に自分の死が迫っているのは間違いない――俺は必死に足を動かす。歩くだけで精一杯。全力で駆けるような体力は、もう残っていない。
そして川岸から離れ再び森の中に入ろうとした時、木々よりも上に建物があるのを見て取った。
「あれは……?」
そういえば御者が世間話で語っていた。今いるこの山には砦があると……俺はそこへ引き寄せられるように歩き出す。
御者はそこに魔法使いが住み着いていたとも語っていた。もしかすると、何か戦いに使える物があるかもしれない……正直、一縷の望みすらない状況だとは思ったが、今の俺にはどれほど可能性が低かろうとも、それしか生き残る道はない。
疲労感が全身を襲う中で、俺はとうとうその場所へ到達する。魔物を倒すために建てられた砦……あまりに無骨で、城壁すらない山の中の砦は、外観から荒れ放題だった。
「……期待はできなさそうだな」
けれど、他に手段はない。入口の扉は開け放たれており、俺はゆっくり中へ入る。
砦の中は外からあまり光が入ってこない構造らしく暗い。俺は扱える魔法の一つである明かりを生み出して探索を開始する。
とはいえ時間的な余裕はほとんどない。いずれここに魔物がやってくる……それまでに何かを見つけなければ、終わりだ。
中も荒れ放題であり、ある部屋を見たら様々な器具が散乱している光景があった。ここに住んでいた魔術師が残した物だろう……単なる石造りの床が青く染まっていたりとか、壁の一部分が真っ黒になっていたりしており、実験でもしていたか。
「魔法の道具くらい残っていれば可能性はあるけど……」
期待薄だろう……そう思いつつも一部屋一部屋確認していく。その全てに壊れた器具が存在し、やはり何も……そう思いながら、俺はある部屋へと辿り着いた。
「ここは……」
扉を開けると、そこは寝泊まりをする部屋……埃っぽくはあったが壊れた物はなく、魔術師が使用していた私室のようだ。
他の部屋とは異なり、きちんと整頓された部屋の中を俺は調べる。ここがおそらく最後……何もなければ俺が待つ運命は死、あるのみだ。
遠くから魔物の雄叫びが聞こえる……恐怖を感じながら部屋の中を調べていくと、
「……ん?」
机の引き出し、その一番上を開けると一冊の本を見つけた。本棚は別にありその全てが専門書の類いで、今の俺には役に立たない物だが……引き出しの中には本に加え、小さな木箱がある。
なんとなく木箱をつかんで開ける。そこには様々なガラクタが入っていた。折れた短剣、ボロボロの宝石。あとは金属製の指輪が一つ。それは宝石なども取り付けられていないのだが、淡い魔力がこもっているのがわかった。
「魔法の道具……か?」
言いながらも俺はどんな物かわからないのでひとまず木箱を机の上に置く。次に本を手に取り中を見ると、最初のページに肉筆でこう書かれていた。
『私を裏切った人間共。この場所で私は全てを取り返してみせよう。待っていろ、必ずお前達に私自ら制裁を喰らわせてやる』
殴り書きで、呪詛のような言葉から始まったそれは研究記録だった。日付が飛び飛びなので成果があった日や、何か気になったことがあった日などが記録されている。
『今日は魔物に知性を持たせることに成功した。だが小動物クラスの個体であり、大型は無理だ。資材が足らず、編み出した技法を試すことができていない。とにかく資金集めと、後は商人と交渉し可能な限り費用を抑える必要がありそうだ』
「魔物……」
この場所では魔物を生み出す実験をしていたのか? ページをめくるとどうやら正解の様子。
『資材の高騰により、また別対応を余儀なくされた。魔法の道具を購入し、それを触媒として活用する手も考えよう。ただ、以前役に立たない道具を買わされたこともある。資金に限りがある以上、注意しなければならない』
道具――木箱に入った指輪はそれだろうかと考えつつ別のページを読む。
『とある戦士が魔族との戦いで使用した短剣。これは非常に良い触媒となった。しかし、魔力を宿した鉱石はほとんど役に立たない。魔物の生成には単純な魔力ではなく、思念や記憶などが宿っている方が良いのかもしれない』
木箱に入ったガラクタは、そうした道具か……推測しつつ俺は次のページをめくると、今度は怒りの記述が飛び込んできた。