憎悪の視線
鍔迫り合いとなる状況の中、俺を見据える兄の瞳からは様々な感情が読み取れた。困惑、憤怒、驚愕――指輪に眠っていた記憶により把握できる。それと共に、俺はある確信を抱いた。
(……まだ、諦めてはいない)
シャルレード家のこと、そして俺を消そうとすること――その両方のことだ。兄の視線からは言い知れぬ憎悪が確かに宿っていた。そして同時に、俺を通してメイリスのことを見ている節がある。
なぜそこまで――そんな風に考えながら俺は兄の剣を押し返した。兄がそれによって数歩後退すると同時、今度は俺が攻勢に出た。
一歩踏み込んで一閃すると、兄はそれを受け流そうとした……ガアン! と大きな金属音が生じる。同時、兄は明らかに体勢を崩した。
俺が放った剣戟の衝撃を殺しきれなかった……好機と悟った俺は、追撃を仕掛ける。さらに迫ろうとする俺に対して兄は厳しい表情を示しつつ、応じる構え。
その目から、兄が「負けるわけにはいかない」という意思が伝わってくる……弟であり、出来の悪い俺に負けることが屈辱なのか、それとも完璧を目指す以上は例え模擬戦闘であっても負けることは許されないと思ったのか。
どちらにせよ、兄は次の剣戟を防ぐのは難しいと感覚的にわかっている様子……結果、兄は俺から大きく距離を置いた。こちらの剣は空振りに終わり、俺とセオは仕切り直しという形となる。
ただ、周囲の人は間違いなく俺が優位に立っているのを理解しただろう……ザワザワと周囲から声が聞こえる。そうした中で少しの間俺と兄は対峙し続け……やがて、教官が声を上げた。
「よし、ひとまず終了といこう」
俺はふう、と息をつく。一方のセオは無言で俺をことを見据える。
勝負は引き分けだが、戦い続けたらどうなっていたかは周囲の人にもわかった様子。これで兄はどう動くのか。
俺が一礼し引き下がった時、教官が別の生徒を指名。新たに模擬戦闘をする準備をし始めたのだった。
以降、俺とセオが絡むことはなく、教練は終了。訓練服を着替え直してから、メイリスと合流した。
「次の授業はあるか?」
「今日は終わり。アルフは?」
「俺もなし……服を返してから、寄りたい所があるんだけど」
「図書館?」
先読みした彼女の質問に俺は頷く。
「ああ……指輪に記憶が宿っていた人物達の詳細がわかれば、と思ったから」
「騎士、狩人はさすがに難しいだろうけど、王子……国が滅ぶような状況だから、調べれば出てきそうだよね」
「指輪の制作者のことは気になるけど、それ以外にも記憶で俺が見た人物のことも調べたいからな」
「手伝うよ」
「ありがとう、メイリス」
その後俺達は訓練服を返却し、図書館へ。そして歴史に関連する書物を集め、机の上に並べた。
「とはいえ、世界中の大陸から調べないといけないし、年代だってわからない……すぐに調べて出てくるようなものではないだろうな」
「明日も授業が終わったら調べる?」
「……明日も、学校へ来るのか?」
「当然でしょ?」
それはそうか、と思いつつ俺は今後どうすべきか考える。
「このままメイリス達の世話になるのも……」
「でも将来有望ということでシャルレード家が従者に要望とかすれば、長居はできるけど」
「……メイリスはそれでもいいのか?」
「うん」
あっさりとした返答だった。俺はそんな彼女の態度に頭をかきつつ、
「……なんというか、長い付き合いになりそうだな」
「かもね」
「ま、明日のことは屋敷に戻ってから考えよう。とりあえず持ってきた本で情報集めだ」
その言葉と共に、俺とメイリスは作業を開始。意気揚々と書物を読み始めたのだが……歴史書というものは元来興味がないことに加え、他国の歴史などは見知らぬ地名なども出てくるため読み解くのが難解である。滅んだ国、という基準で調べるにしても人の世は栄枯盛衰が繰り返される以上、消えた国なんてものは数多くある。
とりあえず滅んだ国……という基準で調べ始めたのだが、いくつかの書物を確認したメイリスが一つ言及した。
「たぶん国を脅かす存在によって王子の国は壊滅した……けど、そこで歴史が途絶えたというわけじゃないのかも」
「……国は無茶苦茶になったが、存続した?」
「可能性はある。そう考えると単純に滅んだ国ばっかり調べても正解に辿り着かないかも」
「うーん……そうなると調べる量がさらに膨大になるな」
ただ、焦る必要性はない。暇を見つけては調べるくらいの気楽なものだ。
「ま、別に急いでやるべきことじゃないし……メイリスも飽きたら作業を止めていいよ」
「わかった」
返事を聞きつつ、俺は別の本を手に取って読み始める……のだが、ここで作業を妨げる脅威が襲来した。
「ん……」
それは睡魔。慣れない文章を読んでいるためか、徐々にまぶたが重くなってくる。
メイリスを見ると、彼女もまたどこか眠たそうだった……これだけの量、歴史書を読み込むなんてさすがの彼女もやっていないだろう。よって俺達は作業の手が止まりがちとなり、やがて俺は意識を手放しそうになる。
目は文面を追っているが、意味を理解することが困難となり……その時、左手の指輪が僅かに熱を持った感覚を抱きつつ――とうとう意識を手放した。
――コツ、コツと靴音が響く。そこは夜で窓から月明かりが差し込む廊下。魔法の明かりなど一つとして存在せず、視界の大半は漆黒の闇で覆われている。
そんな中を俺は淡々と歩いている……やがて、一枚の扉の前へやってきた。自分の手が勝手に動き、ドアノブに手を掛ける。どうやら鍵は開いているようで、ゆっくりと扉を開け中へ入った。
そこもまた、月明かりしかない暗い部屋。ただ視界には輪郭しかわからないが調度品が置かれていることがわかる。壺らしき物や、胸像と呼ぶべき物まで――
そんな場所へ俺は――この記憶の持ち主は何をしようとしているのか。やがて俺の視点の真正面にベッドが見えた。
夜、誰もいない廊下を進みここへ到達した以上、狙いは……。
ベッドに近寄ろうとする。だが次の瞬間、眠っている誰かが起き上がった。
「モーニングコールにしては早すぎるな」
年齢を重ねた男の声。それと共に、暗がりの中で侵入者を見据える。
「ふむ、巷を騒がせている暗殺者か」
「冷静なんだな」
そう応じたのは自分――否、暗殺者。
「殺される自覚があるというわけだ」
「当初は私の恨む者の仕業か、と思った。私の部下ばかりが狙われていたからな……ただ、その動機は正解だとしても、私や部下を狙う理由は違っていたようだ」
刹那、ベッドの上にいる人物が身じろぎをした。するとその背に――漆黒の翼が生えた。
「私達が人間とすり替わっていると気付いた上で、暗殺を仕掛けたな?」
「その通りだ……今宵、お前を斬ることで全てを終わらせる」
「本来の当主……私が入れ替わったこの男が率いていた、魔族専門の特殊部隊……その残党か。そいつらは始末していたと思っていたが、生き残りがいたわけか。ふん、そうした者の中に大切な人でもいたか?」
暗殺者は問い掛けには応じず短剣を抜く。同時、ベッドの男が右手を掲げ――光を生み出した。
「一瞬の勝負だな。この私の魔法が貴様を貫くか、その短剣が私の心臓を貫くか」
「……必ず、勝つ」
その言葉はとても小さかったが、恐ろしいほどの覚悟と決意を秘めていた。彼はどういう経緯でここにいるのかわからない。だが、間違いなく俺が今まで見てきた記憶と比肩する悲劇を抱えているに違いない。
暗殺者が駆ける。それに漆黒の翼を持った存在は哄笑と共に迎え撃ち――俺の意識は、覚醒した。




