小さなジャンヌダルクの回想
「ももこって歌上手いの?」
「は?」
クソつまらないバラエティ番組の収録終わり。くたくたで楽屋に戻ってきたあたしに、クソ生意気な二代目マネージャーがけろりと聞いてきた。
「いやあ、ほら、私が先輩から引き継いだあとはアイドルらしい仕事は何もしてないじゃん? だからももこの歌って聞いたことないなーと思ってさー」
「たった今そのアイドルらしいクソみたいな仕事をしてきたんだけど」
「あはは。再ブレイク中なんだからもうちょっと謙虚になろうね?」
このいけ好かない、頭お花畑のゆるふわボブ女の名前は新田。この絶世の美少女であり絶賛再売り出し中の超絶怒涛人気アイドル・綺羅めくるの二代目マネージャー。そして悪友。
こいつがあたしの身の回りの世話をするようになってから二ヶ月。そう、たった二ヶ月でこの有様である。会ったばかりの頃はまだ借りてきた猫みたいだったのに。
まあ、先代に遜色ないくらい仕事はできるし、歳も近いし、いつの間にか仕事を取ってきてスケジュールを埋めてしまうその手腕はなかなかのものだが、タレント本人よりも楽屋で横柄に過ごすこの態度……。
「ほらほら、そんなクソデカいため息は禁止だよ。自覚自覚」
労いもせずテレビを見ながらハッピーターンを貪り食う女の注意なんて聞くヤツがいると思うのか。
ところで「悪友」というのは、他に適切な関係性を表す言葉が見つからないがための仮の表現であって、特に深い意味はない。またその字面以上にポジティブでもネガティブでもない。それに親しき仲にも礼儀ありと言うように、本当に仲がいいのなら自分が担当しているアイドルに「歌上手いの?」なんて不勉強丸出しの舐め腐った質問はしないし、まずテレビを消してハッピーターンを食べる手を止める。
要は、「友達」とも「ビジネスパートナー」とも呼べない中途半端な関係なのである。
あたしは大口開けて笑う女の向かいに座り、傍らに積まれた弁当を開けた。冷え切ったご飯を、卵焼きと午後の予定をおかずにして胃に詰め込む。
「あと三〇分くらいで移動だから、ぱぱっと食べちゃってね~」
「わかってるっつーの」
あたしの頭の中は午後の予定のことでいっぱいだった。
波に乗りすぎるのもなかなかに考えもので、近頃のあたしのスケジュールは終わりかけの数独くらい真っ黒だった。いっそ最後の一マスも埋めてやろうかと考えてしまうのが伸び盛り(二度目)の性であるわけだが、そうはいかない事情があたしにはある。
「久しぶりだね、レインダンス行くの」
ようやくテレビからあたしに目を移したかと思えばこのにやけ面である。憎い。
だが新田のその顔が、あたしの心の内を写し取っているのは間違いない。だから悪友なのだ。悔しいくらいに波長が合ってしまう。まるで見透かされているかのように。
「で、どうなの? 歌上手いの?」
「本人に聞くことじゃないでしょ……。ブックオフとか行ってきなよ。百円くらいでCD売ってるよ」
「やだねー。私はそんな中途半端なことしないもん」
三時間の愛想笑いで凝り固まった頬もほぐれるほど熱くなってしまう。
こういう人間なのだ、新田という女は。そしてこういう人間に弱いのだ、あたしは。
◇
レインダンスとは、今やどの街にも数える程しかなくなってしまった純喫茶――のような体を取っているただの寂れたコスプレ喫茶である。(「月刊とびだせ!次世代スターアイドル通信6月号」より抜粋)
あたしが取材に答えた内容をどう捻じ曲げればそんな書き方になるのか、と思いつつ事実そうとしか見えない店なので、大人なあたしは何も言わなかった。
「……酷い言われようね」
とはいえ、よくもまあ人の行きつけの店をここまでこき下ろしてくれたものだ、ということで、もらった見本誌はあえて店に寄贈しに来てやった。
カウンターの中にいる筋骨隆々な店長の真中が、その見本誌をあたしのウエストくらいある片手に持って、眉を寄せて息を吐く。もちろんあたしがそんなことを言うはずがないのは知っている。これは一種の厄落としである。
「これじゃあまた物珍しさでお客さん増えちゃうわね……」
「でしょ? またあたしのおかげで売上増えちゃうな~」
目の前に出されたカフェオレを呷る。金を生み出したあとに飲むこれはたまらない。
大通りからも駅からも少し離れた、静かな路地に面する喫茶店。仄暗く緩やかな時間が流れ、ふわりと漂うコーヒーの香りが鼻をくすぐる。ここがあたしのアナザースカイ。
……なんて言えば聞こえはいいが、それはたぶんあたしが常連だからそう感じるだけであって、ここが落ち着くような人間はどうせ陰険な性格の人間か吸血鬼のどちらか、というくらいには一見では入りにくい外観、仰々しい内装、居着きにくい雰囲気なのである。しかも唯一この店を照らしていた太陽のようなコスプレ女はもういないので、コスプレ喫茶なのにコスプレ要素ゼロ。書かれた内容以下の、ただの寂れた喫茶店。
だが最近はあたしのおかげで繁盛している。繁盛してしまっているのだ。全国ネットでポロッと店の名前を出しただけでファンが軽く押し寄せるくらいには、あたしの人気も回復しているというわけである。
「お客さんも売上も増えるのはいいんだけどさぁ、忙しくなるのが困るのよねぇ」
「それ飲食店経営者としてどうなの。もうちょい年取ってからそういうこと言いなよ」
「ももこ、それブーメランだから」
隣に座る新田のことは無視して、あたしはカフェオレ片手にフロアへ目を遣る。
平日ど真ん中のランチ時を過ぎたこともあって、今日は暇そうなおっさんと主婦ばかりで客が少ない。そしてあたし目当ての客もおそらくいない。わざわざこの時間帯を狙ってスケジュール調整して正解だった。
「今日も午前中はなかなか多かったわよ、あんた目当てのお客さん」
「ふーん」
「最近また頑張ってるものね。こんな雑誌でこんな店に通ってるギャップをネタにされるくらいには」
「すごい気にしてるじゃん」
「うそうそ。でも本当によく頑張ってるわよ。ね、新田ちゃん」
「ええ、褒めてもいいくらいには」
「……」
新田の再三のにやけ面がムカつく。見てはいないが絶対にやついている。店長の言うことはいつも大袈裟なのだ。
ここ数ヶ月の間に、あたしも随分大人になった。
やんごとない事情というのはどの世界にもあるもので、かつてのあたしもまた、そのやんごとない事情に巻き込まれた一人だった。
どん底を味わった。何をどん底と定義するかとか、人によってはどん底じゃないだとか、そういうややこしい話は置いておいて、アイドルとしてそう表現するしかない時期をつい数か月前まで過ごしていた。
それはそれは人気だった昔のあたしと今のあたしとを比べた時に何が違うかと言われると、年齢以外特にないのが実情である。だから、どうしていきなり人気が落ちたとか、どうして再ブレイクできたとか、そんなものは「今と昔で違うから」としか言えない。少なくともあたしはそう思っている。
誰かひとりのせいでも、あたしの生意気な態度のせいでもない。頑張らなかったことなんてない。それでも時期によって求められるものは変わる。「そういう時期だったから」、結局のところはこの一言に尽きるのではないか。
そして裏を返せば、今だって「そういう時期」ということになる。あたしが必要とされて、あたしがもっと頑張ろうと思えて、何よりあたしが楽しいと思えている。様々な事情が上手く絡みあっている。たったそれだけの話。
だから――どこかの初代マネージャーみたいに勝手にあたしに罪悪感を抱くとか、皆みたいに今のあたしを褒めるとか、見当違いもいいところだ。なんて、最近はそう思える。
我ながらこんな思考回路になるなんて思いもしなかった。この店にいるもう一人のただのバイトに影響されてしまったのだろうか。しかし血気盛んだったかつてのあたしとのギャップも、今の忙しさも、こうした物事の捉え方も、まるで元の自分に備わっていたもののように、すっと収まっている。
心地いいくらいに、それがあたしであるとはっきりわかる。
不思議でちょっと悔しいけど、まあ、悪くない。だからこのまま続けばいい。
「そういえば、潤はいないの? クソ忙しい中来てやったのに」
「今外で打ち合わせに出てもらってるわ」
「打ち合わせ?」
「そう。今度商店街主催でお祭りやるのよ。そこにウチも屋台出店で乗っかってるわけ」
「えっ、あのシャッター通りが? ていうかそんなのバイトに任せていいの?」
「いいのいいの。なんかね、都心の有名店があそこに目をつけて、最近ちょっとずつ盛り上がってるみたいよ。地方活性化ってやつかしらねぇ。都内だけど」
「へぇ」
また珍しい栄枯盛衰もあるものだと、素直に感心した。
商店街はちょうどこの店と駅との間にある。少し遠回りだが屋根があるため、雨が降った時はよく人が往来する。あたしも仕事が無い時分は電車で来ていたから何度か通ったことがあるが、まあ、時代の流れに逆らわず見事なシャッター通りだ。
「ももこも行ってくれば?」
「は?」
新田が意味のわからないことを言ってくるので、思わず大きい声が出てしまった。
「最近会ってないから心配してたんでしょ。玲ちゃんも辞めちゃったし」
「別に心配なんか……。ていうか、あたしが行ったら絶対騒ぎになるでしょ」
「そんなの変装すれば大丈夫だよ。ほら、行くよ」
「ちょっ――」
そんなのどこに入っていた、という帽子とサングラスとマスクを懐から取り出して、あたしは新田に腕を引かれてあれよあれよとレインダンスから連れ出されてしまった。
去り際に新田から代金を受け取った店長の、新田が憑依したようなにやけ面が、ものすごくムカついた。なんなら本人よりも。