sideA
「一口に非常事態と言っても、何段階かに分けられているんですが」
相変わらず薄暗いカフェに、デイヴィットの声だけが響く。
とりあえずクレアに『現状の説明』をしているのだが、その内容の一部には、はっきり言うと惑連の機密事項に触れる物がある。
だが、クレアの存在自体が惑連の最重要機密の一端でもある。
ならば今更悩んでも仕方がない、そう判断したのである。
開き直るとはこういう事なのか、とデイヴィットは理解した。
「電力及び動力のセーブと、ブロックごとの隔壁作動、と言う点から察するに、今回は第一級非常事態です。通常の館内コントロールシステムは完全に無視され、別系統にあるセキュリティシステム網が現在全館を管轄している状態です」
「その……。具体的に言うと、どんな時にそうなるんですか?」
疎くてすみません、とクレアは頭を下げる。
無理もない。
一般人がそのような事に詳しい方がかえって不自然だ。
さて、どの程度噛み砕いたら良いものか。
しばらく計算してから、デイヴィットは再び口を開いた。
「つまり、その……危険の原因を隔離して、他の場所に飛び火しないようにする、という事になりますので……例えば内部で火災が発生したとか……」
しかし、言いながら彼は首をひねった。
この建物では、一部の喫煙所及び調理場を除き、火の気はない。そして、スプリンクラーはそれこそ数えきれぬほど設置されている。
仮に火災に伴って有毒ガスが発生したとしても、直ぐ様酸素マスク着用指示がでるはずだが、それもない。
この際、火災の線は捨てても良さそうだ。しかし……。
言いよどむデイヴィットに、クレアは遠慮がちに問う。
「どこかに爆発物が仕掛けられた場合は、それに入りますか?」
なかなかクレアは飲み込みが早い。
内心舌を巻きながらデイヴィットはうなずく。
「そうですね。火災よりもその可能性の方が大きいでしょう。重点的に隔離されている所が解れば……。ちょっと待って下さいね」
早速デイヴィットは、彼らを統括する『特務』のメインシステムにアクセスを試みた。
しかし……。
「どうか、しましたか?」
「変だな……返事がない……?」
嫌な予感がする。
虫の知らせ。
胸騒ぎがする。
そういった慣用句は正にこういう状況を指すのだろう。
先ほどの異様に素っ気ない指令も、妙に引っ掛かる。
何重にも巡らされた障壁によって、回線が混乱しているのだろうか。
が、その可能性をデイヴィットは否定した。
惑連最中枢のシステムだ。
それこそ地下深くのシェルターに閉じ込められたならまだしも、防火・防弾障壁程度で遮断されるようなやわな物であるはずがない。
「……訓練、ということは、なかったよな……」
念のため、デイヴィットはここ数日間の予定を反芻してみる。
だが、残念ながらそれにあたるような事例はない。
それ以前に、予定表に公開されていたら、非常訓練にはならないじゃないか。
何より、自分自身が一番混乱している。
その結論に達し、彼は大きく息をついた。
無理もない。
稼働してからこれまで、緊急事態に遭遇したときには必ずと言って良いほど『特務』の先輩がおり、そのサポートを得ていたのだから。
今回は、自らの力のみでこの状況を打破しなければならない。
とりあえず、落ち着け。
デイヴィットは、自分に言い聞かせた。
「……支部長さん、心配してるな……」
遠慮がちなクレアの声が、沈黙を遮った。
「え? 出てること、お伝えしていないんですか?」
驚いたように聞き返すデイヴィットに、クレアは申し訳なさそうにうなずいた。
「何だか、こちらにいるお知り合いに会いに行くとかで……」
支部長が席を外しているその隙を見計らってここに来たと言う。
確かに、惑連の職員と個別に会うなどと口にすれば、あのクレオ氏のことだ、黙って送り出すはずがない。
小さくため息をついてから、クレアはわずかに苦笑いを浮かべた。
「これじゃ、中で何があったんだって、質問攻めにあいそうですね。支部長さん、帰ってきても入れませんから」
テーブルに置かれたクレアの手が、僅かに震えている。
無理もない。
けれど、こんな状況下に置かれているにも関わらず、気丈にも彼女は笑って言った。
「でも、本当に一人でなくて良かった。プレス室にいても、皆さん出払っていたから……。それにまだ、あまりお話できる方、いませんし」
逆にあの部屋にいた方がよほど怖かったかもしれません。
そう言うクレアにうなずいて同意を示してから、改めてデイヴィットは周囲を見回した。
動き回って隔壁の様子を実際にその目で確認したいのは山々だが……。
「動かない方が、良いですね。何が起きているか解らない以上」
そう言うデイヴィットを、クレアは不安気に見つめた。
「でも、中尉さんは戻らなくて大丈夫なんですか? お仕事の方は……」
「自分は、現在面会人の貴女に会うため席を外していると、上にも承認されていますから。それに……」
クレアの疑問にデイヴィットは片目をつぶってみせた。
「何より『惑連職員』として、居合わせた民間人の方をお守りするのは、当然の任務です」
生真面目な表情でそう言ってから、デイヴィットは自らの言葉に破顔した。
つられてクレアも笑い出す。
「ごめんなさい。……いつも私、助けられてばっかりで……」
「自分は『モノ』です。先ほども申し上げた通りです。そんなに気を使わなくても良いですよ」
もっともこれは少佐殿の受け売りですけれど、と言いながら、デイヴィットは再び笑う。
だが、そう言いつつも、デイヴィットはあらゆる事態を想定する。
とにかく何か情報が欲しい。
そして無事、乗り切らねば。
「状況によっては、一部通常システムが復旧する頃合いです。何か説明があるかもしれません。とにかく待ちましょう」
やや頼りなげに言うデイヴィットに、クレアはうなずいた。