sideA
そこは、『カフェ』などという御大層な呼び方で通っていたが、その実態は職員食堂だった。
一階まで降りれば一般見学者も利用できる洒落た店もあるのだが、不特定多数の出入りもある。
その点こちらは部内者しか出入りできない分、人目をあまり気にすることもないのではないか。
不器用なりにもデイヴィットが導き出した結果だった。
「あの……本当に、あの時は、お世話になりました」
向かい合わせに席に着くなり、改まってクレアから切り出され、デイヴィットは現実に引き戻された。
沈黙が続かないよう、彼は慌てて言葉を継いだ。
「そんな……自分達は任務を遂行しただけです。あれから連絡が無くて心配していたんですが……。それよりお元気そうで良かったです。ですが、どうしてこちらへ?」
当然と言えば当然の疑問である。
現にクレアの身分証にはマルス支局、と記されており、テラ特派員とはなっていない。
「実は、無理を言って支部長さんに着いて来たんです」
「え?」
ではやはり、歩く好奇心の塊であるカスパー・クレオ氏もこちらへ来ているのか。
これは大変なことになりそうだと予測して、デイヴィットは気付かれないようにため息をつく。
そんな彼をよそに、クレアは苦笑を浮かべながら言葉を継ぐ。
「テラで一波乱あるかもしれないって……。どうしても自分で行くと言い張って。とても嬉しそうだったんですが、逆に少し心配で」
確かに、テラ惑連取材にあの支部長一人では、何が起こるか解らない。
いや、何も起こらなければ何かを起こしかねないと言っても過言ではない。
クレアの選択は正しいと言える。
しかし……。
「でも、どうしてわざわざ支部長クラスの方が出向いて来るんですか? ……あ……」
ある事実を導き出し、ぽん、とデイヴィットは膝をたたいた。
そう、惑連では今、上を下への大騒ぎになっていたのだ。
「はい。……父の裁判の件で。この間、倫理委員会が開かれたそうですね」
「……随分記者らしくなってきましたね……」
その手には乗りません、と、鹿爪らしい表情を作って見せてから、ふとデイヴィットは視線をさ迷わせた。
Mカンパニーによる人道に外れた兵器開発に伴う裁判で起訴されたクレアの父、ニコライ・テルミン博士。
その裁判の過程で、彼が惑連で携わっていた『Doll計画』が明るみに出ようとしているのである。
クレアに関わる記録は惑連情報局により巧妙に隠匿されており表沙汰になることは無いのだが、計画自体はいかんともし難かった。
慌てて惑連は倫理委員会を開き、そこにはデイヴィット達の生みの親が連日呼び出されている。
「だからと言って、わざわざご自分から辛い事を思い出すような行動をされなくても……」
デイヴィットの言葉に、クレアは首を左右に振り、顔を伏せた。
「でも、どうしてももう一度、お礼とお詫びが言いたくて……」
「お気持ちはありがたいんですが、自分達は公には存在しない『モノ』なんです。ですから、何もそこまで改まって頂かなくてもいいんですよ」
言ってしまってから、デイヴィットは慌てて周囲を見回した。
見えない支部長に対する警戒心が働いたためだ。
「けれど、ちょうど良かったです。この間、ルナから戻ったばかりで。今偶然こっちでデスクワークに就いているんです」
一度言葉を切ってから、実は、と改まってデイヴィットは告げた。
「少佐殿ですが、あれから起動……、任務に就いていないので、まだ会えていないんです。なので、例のお手紙は、まだ……」
一瞬、クレアの顔に意外そうな表情が浮かんだ。
だが、すぐに納得したようにそれを収めると、急ぐことではないから、と言って笑った。
それからしばし、重い沈黙が、続く。
そんな彼を気遣ってか、クレアは不意に話題を変えた。
「実は……その事以外に少し、ご相談したい事があって……」
「……相談、ですか? 自分がお役に立てる事でしょうか?」
想定外の展開に、彼は姿勢を正した。
おそらく『支部長さんが心配』というのは建前で、本題はこちらだろう。
だが、テラにまで彼女を来させるまでの出来事とは、一体何なのだろうか。
デイヴィットは不謹慎とは理解しながらも、僅かに興味を抱いた。
「この向こうに、真っ白な建物が、ありますよね?」
不意にクレアが指さす方向を見やり、デイヴィットは一瞬身動ぎした。
確かにその方向には、彼らが『生まれ』、事実上の本拠地となっている建物が存在した。
正式名称は惑連軍情報局研究棟。
通称『白亜の迷宮』。
外壁も内壁も、加えて廊下さえも真っ白に統一された、一見不気味な建物である。
「実は私、昔そこにいたんです。そして、とてもお世話になった方がいて……。いつも豪快に笑っているような……ほとんど覚えてはいないんですが……」
彼らの生みの親、ジャック・ハモンドかもしれない。
何故かデイヴィットは確信した。
確かにこんな相談は、親代わりを自負するとはいえカスパー氏にはできるはずがない。
けれどもそれを顔に出さぬよう、彼は一つ頷いた。
「あと、もう一人……。口数は少ない方で、多分その方も研究員さんだと思うんですが、いつもお忙しいのに遊んで下さったのを、あの後、急に思い出して……。でも、夢なのか、現実なのか、自分でもはっきり解らなくて」
はて、とデイヴィットは首を傾げる。
そちらの方にはどうもデータが無い。
しかし、初期の開発メンバーなら、あらかたジャックに聞けば消息ははっきりするはずだ。
それにしても失敗した。
どうして一階にあるカフェテリアに行かなかったのだろう。
そちらに足を運べば、張本人に出会える可能性が高かったかもしれないのに。
今更ながらデイヴィットは、自分の下した決断を悔やんだ。
「あの……中尉さん? 私、何か気に障るようなことでも……」
「いえ……。後の研究員らしき方は解らないですが、一人は心当たりがあります。夢でも幻でもないですよ」
おそらくそれは、情報局が使う記憶操作薬品の効力が切れ始めたせいではないか。
そう付け加えてから、もしかしたら今ならすぐにその人に会えるかもしれない。
デイヴィットはそう告げた。
「本当ですか?」
思わず立ち上がるクレアに、では、と言いかけた時だった。
無機質な電子音が、No.21の脳裏に響いた。
今度こそ彼直通の、情報局から発令された緊急命令である。
「まさか……」
彼が腰を浮かしかけた時だった。
突然照明が僅かに落とされ、フロアは前触れもなく薄暗くなった。
同時にけたたましいサイレンが、本部ビル全体に反響する。
「な……何ですか?」
突然の事に戸惑う戸惑うクレアに、デイヴィットは固い声で告げた。
「非常事態宣言の発動です。何があったんだ……?」
見回すうちにも、所々で重い音がする。
各部署をブロック毎に区切る障壁が降りているのだ。
これはただ事ではない。
ともかく、これでは先へ進むことも、もといたプレス関係者の談話室に戻ることもできない。
そんなデイヴィット……No.21に与えられた『特務』としての命令は、ごく簡潔な物だった。
「……その場で通常任務を果たせ、か……」
しかし、何の説明が無い分、逆に不気味である。
だが、一般の回線を通さず、直接自身に送られてきた命令は、何よりも優先する。
取り敢えずは……。
「大丈夫です。自分が貴女を守ります。……少佐殿には遠く及びませんが」
場の空気を重くしないよう、多少茶化して言うデイヴィットに、クレアは笑いながら頷いた。