sideA
テラでは平穏な日々が続いている。
テラ惑連総務部の事務室で日々何と言うこともないデスクワークを続けていると、初めて稼働してからこの数ヵ月の慌ただしさがまるで嘘のように思われてくる。
だが、彼が今まで関わってきたことは、いずれも悲しい現実である。
Mカンパニー関連の裁判は佳境に入っているし、ルナ支局では先頃全て書きかえられたパスワードなどの復旧作業で青息吐息の毎日らしい。
それら、一連の経過報告文書に目を通し終わってから、デイヴィット・ローは不謹慎にも大きく伸びをした。
各地での事後処理は未だ終わってはいないものの、表面上はとりあえず平和が保たれているようだ。
何よりそれを裏付けるように、彼は次の出向先が見当たらずテラで事務方の後方勤務についているのである。
それは『特務』が形成されて以来、異例とも言える出来事だった。
それはそれで良いことなのかもしれない。
本来、彼らが必要とされない世界こそがもっとも望ましいのだから。
だが、そうすると、自分達の存在意義とは何なのだろうか。
デスクワークにつきはじめてから何度となく浮かび上がった疑問に、再び彼は突き当たった。
『哲学的』に言うところの『自己の存在矛盾』である。
考えても仕方がない。
自分の運命は、自身の手にはない。
そう解ってはいるのだが、思わずにはいられない。
やれやれ、とデイヴィットは小さくため息をついた。
平穏であると言うことは、どうやらいらない事にまで気を回す原因となるらしい。
苦笑を浮かべるデイヴィットの端末機に、ランプが点灯した。
着信があったらしい。
一瞬良からぬ事態を予測したが、その可能性はまずない。
万一非常召集であれば脳裏に直接届くはずで、こんな長閑に命令が送られてくるはずが無いからだ。
「お、面会人か? カノジョだろう?」
それを隣から覗きこんだ同僚が、軽口を叩いた。
冗談はやめて下さいよと受け流してから、はて、とデイヴィットは首をかしげた。
面会人。
そう言われても、まったく心当たりが無い。
「そういやお前、今まで家族や友達の話、全然しないよな。それが一体、どういう風のふきまわしだ?」
それとも大本命はどこかに隠していたのかと、ここぞとばかりにまくしたてる同僚達に、彼は曖昧な笑みで返した。
確かに人当たりも良く、付き合いも悪くないにも関わらず、その手の話がまったく無いのは妙な事だと思われても仕方がない。
だが、実際問題として彼には家族と言った物自体が存在しないのだから、聞かれても話をしようがない。
「……自分も、まったく見当がつかないので……。何かの間違いでしょうか?」
「さあな。でも、間違いならサボりの良い口実になるじゃないか。とりあえず行って来いよ」
かくして、極めて建設的な同僚の意見に従って、彼は事務室を後にした。
※
惑連関係者以外の一般人が入れるのは、二階のロビーと指定された見学通路だけのはずだ。
だが、彼の面会人が待つのは、そのどちらからも外れた十五階にあるプレス関係者の溜まり場になっている喫茶室だという。
報道関係。
そこまで限定されると、まったく心当たりが無いと言うのは嘘になる。
けれど、先方は自分の事を忘れているはずだ。
幾ばくかの不安を感じながら、彼は指定された場所へと急いだ。
様々な事件も一段落ついた感もある今日この頃、普段は貪欲なプレスの面々も流石にネタを拾う気力も尽きたのか、談話室兼喫茶室は閑散としている。
現金な物だ。
戸惑いながら足を踏み入れ、いぶかしげな表情で周囲を見回す彼の視線が、ある一点で止まった。
一人の女性が彼に気が付いたのか、静かに立ち上がり一礼した。
目を丸くするデイヴィットに、彼女は笑いながら歩み寄った。
「ご無沙汰しています、中尉さん。お元気ですか?」
「あなただったんですか? どうしてここへ……?」
さしずめ『ヒト』であれば、苦い思い出に心を痛める所だろうか。
この時ばかりは、彼は自分が生物学上のヒトではないことに感謝した。
返す言葉に詰まりながら視線をさまよわせるデイヴィットに、彼女は首から下げられた身分証を示す。
そこには、やはり見覚えのある単語が並んでいた。
「恒星間通信社マルス支局記者、クレア・T・デニー……じゃあ……?」
驚くデイヴィットに、クレアは嬉しそうに一つうなずいた。
「あれから、支部長さんの所で修行しているんです。まだまだ見習いと言っても良いくらいなんですけれど……」
そこまで言って、ふと、クレアの言葉が止まる。
きょとんとした表情で二、三度瞬くクレアの様子に、デイヴィットは何気無く後ろを顧みた。
「……皆さん、何をしていらっしゃるんですか?」
半ばあきれたようにデイヴィットは言う。
壁や自販機の影に隠れるようにしてこちらの様子をうかがっていた彼の同僚の面々は、照れ笑いを浮かべながら、頑張れよ、と意味不明な言葉を残し気まずそうに去っていった。
「……ったく……」
憮然とした表情を浮かべて見せるデイヴィットに、クレアはくすくすと笑った。
「髪を下ろしていらっしゃるせいかもしれませんが……何だかあの時と全然印象が違いますね」
笑って言えるほど、クレアの中で『傷』が昇華されつつあるのだろうか。
人間とは強いものだ。
少し安堵してから、デイヴィットは切り出した。
「ここじゃあ何ですから、下のカフェの方に移動しませんか? 味はあまり保証できませんが……」