夜のテディはおしゃべり
「ママ! あたし、この子がいい!」
一目惚れだった。
その自分とそう変わらない大きさのテディベアを抱き上げると、美香は愛を叫ぶように声を上げた。
お客は他にニ組だけだった。リサイクル・ショップの暗い店内を明るく照らすような美香の声は、古いものばかりの中でまるで新品のイルミネーションライトのようにキラキラと輝いた。
「だめよ。せっかく7歳のお誕生日にそんなもの……」
ママはため息をつく。
「大体、今日はあなたのプレゼントを買いに来たんじゃないの。物置の踏台の安いのを探しに来たんだから」
「やだ! やだ! やだ!」
美香はテディを抱き締めて、駄々をこねる。
「あたし、この子がいいもん! この子じゃなきゃ嫌だもん!」
「ぬいぐるみだったら新品のいいのを買ってあげるから。そんな薄汚れたクマさん、置いときなさい」
「やだ! この子、連れて帰りたい!」
「そんなに気に入っちゃったの?」
「それどころじゃないもん! もうミカ、この子と仲良しだもん!」
「どうせすぐに飽きちゃうくせに」
ママの長い説得の末、テディベアはワゴンの中に戻された。美香は頬に涙の筋を作って振り返りながら、ママに手を繋がれ店を出た。
顔のデッサンが歪んでいた。体毛も少し剥がれ、所々に布の生地が覗いていた。その汚いとも言えるテディベアに、美香はとても感じるものがあった。運命の出逢いだと思った。
もちろん今まで何度も運命の出逢いを感じたことは他にもあって、それが手に入るたびに飽きてほったらかしにして来た。運命なんて本当はないかもしれないと、だんだん気づきはじめていた。でも、今回だけは、あのテディだけは──。そんな気持ちで枕を濡らした。
7歳の誕生日にはパパもママもにこにこで、ケーキに立てられた7本のロウソクもにこにこ輝いていた。プレゼントがクローゼットから取り出された。特大の包み紙を目にして美香は、期待した。もしかして──その大きさは──
逸る手つきで包み紙を剥がしきらないうちから美香は絶叫を上げはじめた。
「くまさんだ!」
斜めについた黒いボタンの目が現れ、美香を見つめておどけた。
「あのくまさんだー!」
アンゴラヤギの毛皮に包まれた身体を抱き締めて撫でまわすと、あったかい感触が返ってきたような気がした。
「パパ! ママ! ありがとう!」
「それだけじゃあんまりだから、プリッキュアの変身セットも買ってあるのよ」
「そのくまさんはオマケみたいなものなんだがなぁ」
両親が呆れながら微笑む前で、美香はプリッキュアの変身セットには目もくれず、テディを抱き締めてくるくると踊った。
ベッドに連れて入って一緒に寝た。小学校入学のお祝いにもらったばかりの自分の個室で、二人きりだ。
「テディくん、今日から毎日一緒に寝ようね」
「うん。ぼくも美香ちゃんと一緒に寝られて嬉しいよ」
一人二役で美香はテディとお喋りする。
「テディくんがいたらあたし、一人で寝るのもさみしくないよ。今までほんとはさみしかったけど」
「ぼくも美香ちゃんがいてくれたらさみしくないよ。今までずーっとさみしかったんだ」
「ずーっと一緒にいようね」
「うん。ずーっと一緒だよ」
満月はあかるく、白骨のような色をして窓から二人を覗き込んでいた。
一年が経った。美香は変わらずテディと一緒に寝て、毎晩眠るまでお喋りをしていた。
「ねぇ、テディは生きてるんだよね?」
「そうだよ。身体の中にはコットンが詰まってるんだけどね」
「こっとん……って、なあに?」
「綿のことだよ。僕の中にはそればっかりさ」
「苦しくないの? かわいそう」
「大丈夫。だからこそ僕はこんなに長く生きられるんだからね」
「ふぅん? テディって、すごいんだねぇ」
「ありがとう。美香ちゃんもすごい子供だよ」
「あたしって、すごいの? やったぁ!」
「もちろんさ。だって、僕の魅力に気づいたんだからね」
小学校5年生になっても美香はテディと一緒に寝ていた。
毎晩、彼とお喋りして寝るのが相変わらずのナイト・ルーティンだ。
「今日、はなちゃんと喧嘩しちゃった」
「原因は何だったの?」
「あたしがユラちゃんとばっかり仲良くしてるのが嫌だったんだって」
「それは仕方がないよ。美香ちゃんの心は自由だもん」
「だよね? あたし、意地悪なことなんてなんにもしてないよね?」
「当たり前さ。美香ちゃんが心から優しい子だってことは、この僕がよく知ってるよ」
「ありがとう、テディ! やっぱりあなたはあたしの一番の理解者よね」
「僕は美香ちゃんのこと、なんでも知ってるよ」
美香は14歳になった。
思春期らしく好きな男の子もいる。ただ悩み事が多すぎて、いつも大抵ピリピリしている。鼻の上にニキビができただけでパパに冷たく当たる。
去年お迎えしたジュウシマツのシロちゃんには愛想がよくて、学校から帰るといつも真っ先に挨拶する。
「シロちゃん、ただいまー」
何も言わずに首を傾げる可愛い小鳥ににっこりすると、キッチンに入った。ママの姿を見た瞬間に笑顔が消える。
「お帰り、美香」
「うん」
それだけ返事して自分の部屋へさっさと行ってしまった。
嫌な気分だった。今日は特別嫌なことがあった。
ベッドの上にお座りして、テディがこっちを見ていた。7年が経って、元々くたびれていた外見がさらにくたびれ、今にもボロボロに崩れ落ちそうになっている。彼は夜にならないと喋り出さない。
夜、寝る前にテディに聞いてもらおう。そう考えたら少しすっきりしたので、夕飯の声がママからかかるまで、部屋でゲームをして遊んだ。
「美香ちゃん、どうしたの? 学校でなんかあった?」
テディのほうから聞いてきてくれた。
「うん。じつはさ……。前に好きな男の子ができたって話したよね?」
「覚えてるよ。慎之介くんだよね?」
うなずくテディと顔を合わせて、美香は一筋、涙を枕に垂らした。
「あたしのほうが先に好きだったんだよ?」
「誰より先に?」
「紗絵梨ちゃん。クラスの女子の中でも人気トップの子だよ」
「え。美香ちゃん、その子に慎之介くんを取られちゃったの?」
「まだわかんない……。でも、紗絵梨ちゃんが、あたしが慎之介くんのこと好きだって知った途端に、彼とベタベタするようになって……」
「それ、意地悪してるんだよ。美香ちゃんが嫌な気持ちになるように、わざとだよ」
「でもさ……。あたし、慎之介くんのカノジョじゃないし。彼の気持ちは自由じゃん? だから、あたし、何もできなくて……」
「だめだよ、美香ちゃん。彼を奪い取るぐらいの気持ちで行かないとそれは。彼を紗絵梨ちゃんに取られちゃったら嫌だろう?」
「……やだ」
「そうだろう? 奪えよ。奪うんだよ」
「でも、紗絵梨ちゃんは美人だもん。あたしなんかが勝てるわけないよ」
「わかった。じゃあ、紗絵梨ちゃんに呪いをかけよう」
美香は泣いていた目を開け、テディの顔を見た。
その顔は月明かりを受けて妖しい表情を浮かべている。
「呪い……?」
「うん」
テディはうなずいた。
「僕は100年生きてるからね。呪いを使うことができるんだ。紗絵梨ちゃんを一緒に殺そう」
「だめだよ! 殺すなんて、そんなこと……」
「慎之介くんを彼女に取られてもいいの?」
「……やだけど……」
「だろう? やるんだ。僕は美香ちゃんの味方だ」
「どうすればいいの?」
「生け贄を使うんだ」
美香はテディに言われるがまま、玄関へ行き、ジュウシマツのシロちゃんを鳥かごから出して、連れてきた。
ベッドの上に大きなビニール袋を敷き、カッターナイフを手に持つ。
窓から白骨のような満月が覗き込んでいる。
「首を切り落として、シロちゃんの血を、ここへ」
テディがビニール袋の上に広げた魔法陣を目で示す。
「できないよ……」
「彼を取られてもいいの?」
「やだ」
「じゃ、やるんだ」
自分を信頼しきって手の中で大人しくしているシロちゃんの首の後ろに、美香はカッターナイフの刃を当てる。
「切り落とせるのかな……」
「念じるんだ、強く。念の力が加護をくれる。憎らしい紗絵梨ちゃんの顔を思い描きながら、『死ね』と念じてみて。そしたら、できる」
美香はぎゅっと目を瞑った。手の中のシロちゃんのことは忘れ、頭の中に紗絵梨ちゃんの憎たらしい顔を思い描く。その顔が、勝ち誇ったように笑った。自分の頭を上履きで踏みつけて、バカにするように、笑っていた。テディが何やら呪文を唱えているのを聞きながら、カッターナイフを動かすと、まるで何の抵抗もないように刃がするりと動き、魔法陣の上にぽとりと何かが落ちる音がした。
「できたね」
テディの嬉しがる声が聞こえた。
「これで美香ちゃんは僕のものだ」
目を開けると、自分の部屋ではなくなっていた。
暗い屋根裏部屋のようだった。枯れ果てて幽霊のようになったフリースが壁にいくつもかかり、蠟燭の炎が一本、灯っている。それは祭壇のようなところに置かれ、ふと自分の姿を見ると、美香は白骨のような色のウェディングドレスを身に纏っていた。
「ずっと好きだったんだ、美香ちゃん」
テディが言った。
「この結婚式が済んだら僕と旅をしよう。南の国へ行って、二人きりで幸せになろう」
自分は奪われたのだとわかった。テディは呪いの儀式だと偽ってまで、騙してでも自分のことが欲しかったのだ。
「紗絵梨ちゃんは?」
美香は聞いた。
「どうなったの?」
「死んだよ。今、彼女の部屋で、首が胴体から落ちたところだ」
美香はにっこりと笑った。