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日常

作者: 埃川 彼芳乙


夏のホラー2021に投稿しようと思って作った作品です。

テーマを全く見ていなかったばかりに没になってしまいました…orz(笑)


このままお蔵入りするのも勿体無かったので、投稿することにしました。


本当に悔しいです(´;ω;`)(笑)




 俺は目の前の現実から逃げるように単車(バイク)疾走(はし)らせる。

 吹かすアクセル。(うな)るエンジン。耳を(かす)める風切り音。誰も居ない直線道路。それを照らす西日。全てが溶け出していくみたいに過ぎていく景色。夏風(なつかぜ)と一体になって、飛んでいるかのような錯覚を覚える。最高に気持ちが良かった。

 でもそれもすぐに終わりを迎える。赤信号が行く手を(はば)んだからだ。ギアを一速に入れて信号を待つ間、先程までの夕立で濡れた地面をぼんやりと眺める。




 いつも我慢の連続だった。


 生まれた時から、長男なんだから明人(あきひと)が我慢しなさいだの、男なんだから我慢しなさいだの、口(うるさ)く言われてきた。

 俺には三つ上の姉貴と一つ下の妹が居る。一番の年長者は姉貴なのに、いつも俺ばかりが男だからという理由で理不尽を受け入れさせられていた。


 大学を卒業してからは単身、名古屋への就職を決めた。やっとここから俺の自由が始まると期待を膨らませていた。

 だけど手にしたのはサビ残当たり前の社畜根性と少しばかりの金。それと単車だ。


 出向く客先によっては朝の五時に出社し、帰宅するのは決まって午前(れい)時過ぎ。天辺(てっぺん)を過ぎて帰っても翌日の出社時刻は早朝に変わりない。休みも隔週に一回あるかどうか…。

 それでも仕事を続けていけていたのは、(たま)の休みにドラッグスター400クラシックを疾走らせて現実逃避出来ていたからだった。いつかは八十五年式のV-MAX1200に乗ることを夢見て、俺は仕事に励んだ。


 そうやって彼是(かれこれ)八年の月日が過ぎていた。

 気付けば主任という立場を任され、負う責任も膨大になっていった。

 でも俺は分かっている。主任クラスが負うべきで無い責任まで負わされて、自分より役職の高い者たちが粗末にした仕事の尻拭きをさせられていることを。

 主任でそんなことをしている人なんて俺は見たことが無い。周りからは、榎木(えのき)はそれだけ期待されているんだよ、なんて気休めの言葉を掛けられるが、そうじゃない。単純に上司陣に嫌われているだけの話だ。


 そんな()()めみたいな生活の中、俺は一筋の希望を手に入れた。

 当時付き合っていた彼女と四年の交際期間を経て、めでたく結婚を果たした。子宝にも恵まれ、俺は幸せを噛み締めていた。絶対に負けてたまるものかと、強く誓ったりもした。


 でもそんな幸せも使命感も長くは続かなかった。


 会社での横暴な扱いは日に日にエスカレートし、その度に愛車であるドラッグスターを唸らせてはストレス発散をしていたのだが、妻がそれを許してはくれなかった。


 近所のどこどこのお父さんは家事を手伝ってくれているだの、保育園への送り迎えも他の子のお父さんはしているだの、休日には家族を連れて遊びに行ってくれるだの……。とにかく周りのイクメンとやらを見習えと、そう妻は言った。


 正直、頭に来た。

 専業主婦なんだから家事はお前の仕事だろ、などと物の弾みで言い返したのだが、それが不味(まず)かった。

 互いに口数は減り、会話しても子供を通しての間接的で味気無いものばかり。お弁当も冷凍食品が増え、洗濯物も洗っているのか洗っていないのか分からないような杜撰(ずさん)なものへと変わっていった。

 (きわ)め付けは愛車であるドラッグスターを売れと言われた。偶にしか乗らない単車の維持費が無駄だという事らしい。


 何とか交渉の末、車検を通さなくても良い二半の単車なら持っていても良いということになり、ドラッグスターと引き換えにレブル250を購入した。俺のV-MAXへの夢はどんどんと遠ざかっていく。

 次第に生きていく意味や働いていく気力、家族への愛も遠く薄れていった。




 蒲郡(がまごおり)市の市道から山の方面へ続く国道へと入っていく。

 日はほとんど沈み、辺りは夕闇に包まれていた。生い茂る木々が影を落とし、より一層暗く感じさせる。いくつものカーブをスピードを出しながら曲がっていく。直前にある”スピード落とせ”の看板が見えたが従う気など毛頭(もうとう)無かった。死のうが死なないがどうだって良いとさえ、この時は思っていた。


 何本目かのカーブに差し掛かった時、暗闇の中に人の姿が見えた。

 大きく手を振っているようだった。

 こんな時間に何してるんだ。少し疑問に感じたが、自分には関係無いとそのまま近付いていく。徐々にその姿がハッキリと見えてくる。

 手を振っていたのは警備員のような格好をした男性だった。その警備員の後ろにあるガードレールは(いびつ)(ひしゃ)げて、崖に向かって身を投げ出していた。交通事故か何かがあったのだろう。特に珍しいことでは無い。


 交通整備なのかは分からないが警備員も大変だなと、ちらと見やる。警備員は何かを叫んでいるようだったが全く(もっ)てその声は聞こえない。

 ただ警備員が居たという事と交通事故現場を目撃したという事もあり、俺はスピードを緩めてそのカーブを曲がる。

 チッ、タイミングわりぃな。人が気持ちよく疾走ってたって言うのによ。内心で吐き捨てるように舌打ちしてそのまま通り過ぎようとした時、()れていた路面にタイヤを少し持っていかれる。


「お──ッ!」


 ちょっとのスリップだったので転倒することも無くそのまま走行できたが、冷や汗がどっと噴き出した。

 九死に一生を得たなと、ほっと胸を撫で下ろす。あの警備員に感謝しないとな。少し冷静になった俺はそこからは安全運転を心掛けてツーリングを楽しんだ。




 帰宅したのは深夜を回ってからだった。

 明日──というよりも、もう今日なのだが──仕事があるにも関わらず、この時間帯を選んだのは妻に煩くどやされたくなかったからだった。

 どうでもいいと思っているのに結局、いつも通り帰ってきてしまう。行く(あて)なんていくらでもある。

 会社をサボって、家族も捨てて、自由にいつだって好きなところに行ける。でもそれをしないのは何故なんだろうか。


 そんなことを考えながら寝床である居間のソファに寝転がる。(おもむろ)にスマホを手に取り、ニュースサイトを開く。

 その小さな画面に列挙されるニュースの中に俺の目を引く一文があった。


『蒲郡市の国道で落下物回収作業員とトラックの交通事故』


 俺はそのリンクをタップし、表示された画面を眺めて目を疑った。

 事故が起こったのは今日。それは別に驚くことでは無い。問題はその後、事故の起きた場所があの拉げたガードレールのあるカーブだったこと。そして、事故の起きた時間帯が俺があの道を通るちょっと前の時刻だった、ということだ。


 俺はてっきり事故が起きてから時間の経ったものだとばかり思っていた。だから警備員がいるのだと。そしてそう思ったからこそ素通りした。しかしあの時、あそこで手を振っていた警備員は警備員ではなく事故に遭った作業員だったのではないか。彼は助けを求めていたのではないだろうか。そう思うと途轍(とてつ)もない罪悪感が押し寄せてきた。


 震える指先でニュース記事の続きを開く。

 崖下に転落した作業員とトラック運転手はいずれも病院に搬送されたが死亡が確認された、と書かれていた。


 脳が思考停止する。


 どういう事、だ?


 崖下で遺体が発見された?じゃあ、あの時俺に手を振っていた人は…何だったんだ……。


 背筋に薄ら寒いものを感じる。


 まさか、な…。俺は生まれてからこの方、()()()()()など視たことが無かったし、そもそもそんなものが居る事自体信じてはいなかった。


 でも状況からして間違いなく、そうだとしか思えなかった。

 だとしたらやっぱり……。

 ピーッ、と居間のデジタル時計が電子音を響かせる。その音のお陰か意識が現実へと戻ってくる。

 嫌な汗が全身に纏わり付いていた。


 時計を見やると午前二時だった。

 (うし)()つ時…随分(ずいぶん)とお膳立てが上手いことで。俺は内心で皮肉を吐いて強がって見せた。べっとりと張り付く恐怖から目を背けたかったからだ。


 ゴソゴソ、と隣の寝室から物音がした。

 一瞬、息を吞む。しかし少し経って冷静になった頭が、妻が起きたのかもしれないと現実的な答えを導き出した。俺はすぐさま目を(つむ)り寝たふりをする。

 数分経ったが誰も来やしない。なんだ、ただの寝返りか…。俺は何してんだろうな、なんて情けなくも感じた。まぁ良いや、馬鹿馬鹿しい。もう寝よう。




 目を閉じてからどのくらい時間が経過したのか。時計を見たら(かえ)って眠れなくなりそうだから見ないようにする。眠ろうと思っているのに中々寝付けないでいた。


 拉げたガードレール…手を振る作業員……何かを俺に訴えていた…。


 どうにもあの作業員の姿が脳裏から離れなかった。


 あんなにハッキリと視えるものなんだな。そういった類のものとは全然思いもしなかった。


 彼は俺に何を叫んでいたのだろうか。やっぱり助けを求めていたのだろうか…………いや、俺に危険を教えてくれていた、とか?


 突き破られたガードレールの前で手を振る作業員の姿を思い出す。やっぱりそうなんじゃないか。

 あの時、あそこで作業員が居なかったら俺はスピードを落としていなかった。あのままあの速度でカーブに入っていたら……。

 スリップした記憶が鮮明に(よみがえ)る。

 いつの間にか浅くなる呼吸。大きく脈打つ心臓。もしかしたら死んでいたかもしれない、そう自覚すると急に全身が震えた。

 死ななくて良かった。生きてて良かった。俺は自分の体を抱き締めるように抱え込んだ。



 あの作業員は他の人が事故に遭わないように死んでも(なお)、職務を全うしていたのだろうか。

 そう考えると目頭が熱くなるのを感じた。果たして俺が逆の立場なら、そんなことができるだろうか。


 きっと無理だろう。

 だって今のこの生活にさえ不満を漏らして、逃げようとしている情けない奴なんだから。死んでも良いと命を軽んじていたのに、いざとなったら手の平を返すような投げ()りな男なのだから。


 そんな俺なんかを助けてくれたことに罪悪感にも似た遣り切れない思いが込み上げてくる。

 自分ばっかりが被害者面して、何を逃げてんだ俺は…。こんなんじゃ駄目じゃないか。仕事とも、家族とも、もっとしっかりと向き合っていかないと…。



 俺はあの時の作業員に感謝した。

 こんな自分を助けてくれたことに。生きていることが当たり前では無いことを教えてくれたことに。今の生活にもう一度向き合う勇気をくれたことに。

 

 なんだか体中に力が(みなぎ)るような感覚がして、今この瞬間にも何かしたい衝動に駆られるが、時間も時間なので明日から頑張ろうと心に決める。明日からはきっと…。





「ちょっと、いつまで寝てんの」

「んぁ…」


 妻の一声に目が覚める。

 不機嫌そうな妻の横顔、テレビを見る子供の後ろ姿。何の変哲(へんてつ)もない、いつも通りの日常。だが昨日までとは違って見えた。


「その…いつもありがとうな」


 起き抜けに発した言葉に妻は少し目を見開いて驚いた表情を浮かべる。


「……なに急に。気持ち悪いんだけど」

「いや…ちょっと言ってみただけ」


 いきなり態度を改めたって周りは混乱するだけだよな。俺は内心苦笑しつつ、これからちょっとずつ(わだかま)りを(ひも)()いていこうと思った。


「今日、仕事早目に切り上げてくるから。香織は俺が迎えに行くよ」

「…あそう。じゃあお願い」

「おう。じゃあ行ってきます」

「………」


 相変わらず妻は素っ気無い。

 けど今日から少しずつ変わっていけばいい。V-MAXの夢なんてもう良いじゃないか。俺には(まも)らなければならない大切な家族がいるし、食いっぱぐれないように働いていかなければならない。


 当たり前のように続く日常は当たり前ではなく有り難いもので、日々に感謝して生きていかなきゃいけないものなんだ。


 日常の一つ一つに感謝して生きていこう。俺は心にそう誓った。









『お昼のニュースです。

 愛知県名古屋市の国道○×号線の交差点で乗用車とトラックが衝突する事故が発生しました。

 県警に()りますと、事故が遭ったのは名古屋市***区の国道の交差点で、〇〇日午前七時頃、右折しようとしたトラックが対向を直進してきた乗用車と衝突しました。

 この事故で乗用車に乗っていた男性の榎木(えのき)明人(あきひと)さん(31)が病院に搬送されましたが、間も無く死亡が確認されました。

 県警はトラックを運転していた名古屋市***区の55歳男性から事情聴取すると共に、事故現場の状況を詳しく調べています。

 続いては──────』





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