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馬車は順調に進んだ。安価な運賃で乗れる典型的な乗合馬車だったが、客はリライヴたち三人だけだった。一緒に積荷も運んでいるらしく、リライヴが大きな態度で足を投げ出しているその横に、何やら布袋が山積みになっている。レイズは寝ているのか、目を閉じてずっと黙っていた。ティナは、無言で、馬車の後から顔を出し、変化のない景色を眺めていた。
町といえるほどの集落はないものの、街道沿いや、ずっと遠くの方に、ぽつりぽつりと建物があった。誰か住んでいるのだろうか、何があるのだろうか、そんなことをぼんやり考えるティナの目の前で、景色が流れていく。出発してしばらくはちらほらと目についた道行く人の姿も、日が暮れるにつれ、なくなっていた。
「あー、ケツが痛ぇ。馬車もいいことばっかじゃねえな」
すぐ後で声がして、ティナは振り返った。同時に、ぽんと包みが投げられ、反射的に受け取る。
包みを開けると、なかには固いパンと干し肉が入っていた。リライヴを見ると、すでにパンをくわえている。
「ありがとうございます……」
おずおずと礼をいい、小さくちぎって口に入れた。卵と砂糖の味がする。ティナの表情が緩んだ。
「ずっと景色見て、楽しいか? こっちのおにーさんみたいに、寝ててもいいんだぞ」
「寝てません」
リライヴの荷物から食料の包みを取り出し、間髪を入れずにレイズが否定する。何いってんだ寝てただろお前、いいえ寝てません、と、しばし不毛なやりとりが続く。
二人の様子に、ティナはくすくすと笑った。
「景色……見ていたいです。これが、最後だから。寝るのは、勿体ないです」
はにかむように笑ってみせる。
「最後?」
ティナは、指を三本立てた。
「パパたちがいってました。わたしが見ることのできる、おひさまの数。ぜんぶでみっつです。ひとつめは、パパが死んでしまったとき。ふたつめは、今朝、ベッドのなかで。――あと、ひとつしかないんです」
悲しみや諦めとは無縁の、あたりまえのことをいうかのような口調だった。リライヴとレイズが、一瞬顔を見合わせ、それからすぐにティナに視線を戻す。
「……どういうことです?」
「みっつめのおひさまが昇ったら、わたしはおしまいになるんです。普通のひととは、少し、違っているんです」
全く的を射ないものいいに、レイズは黙ってしまう。混乱している様子はない。真偽は定かではないにしろ、ティナがそう思いこんでいるのは、事実のようだ。
ばかばかしい、といわんばかりの態度で、リライヴが大きく息をついた。
「……なんで昨日の太陽が一つ目だよ。何の基準だよ」
問いかけともいえないようなぼやきがもれる。しかしティナは、だって、とそれに答えた。
「それが、始まりだから。それより前は、わたし、なかったんです」
ますますわけがわからない。リライヴはもはや聞くことを放棄した。
「もう少し、わかりやすく、教えてもらえますか?」
「……ごめんなさい」
ティナは、首を振った。
「パパは誰にもいってはだめといいました。だから、いえません。けど、わたし、お兄さんたちのこと、好きです。だから……みっつめのおひさまが昇るときは、わたしのそばにいないでください。お願いします」
最後だけ少し辛そうに、表情を曇らせる。
「…………」
約束することはできず、レイズは押し黙った。情報を整理しようと思考を巡らすが、どうにも要領を得ない。
リライヴは肩をすくめ、ティナの肩をつかむと、外の景色へと視線を促した。
「着いたぞ。姫ご所望の、デリキアス・シティだ」
鉄製の背の高い壁が、ぐるりと町を囲っていた。まるで町全体が巨大な檻のようだ。外壁の金属はあちこちが錆び、手入れされている様子はない。数メートル間隔で、外壁には形ばかりのエントランスが設けられており、馬車はそのうちの一つの前で止まった。
薄暗い外見とは裏腹に、一歩足を踏み入れると、そこはまぶしいばかりの光の世界だった。
「ここが噂のデリキアスか」
リライヴがおもしろがって口笛を吹く。四角い建物が建ち並び、ちかちかと輝く看板がそこらじゅうに掛けられていた。もう日も暮れようかというのに、昼間よりも明るいかもしれない。ただし、人工的なその光は、あたたかさとは無縁だ。
「……不衛生」
ぽつりと、不機嫌そうに眉をひそめ、レイズが的確な感想をもらす。土がむき出しになっている道から、唐突に灰色の建物がそびえ、調和していないだけでなく、あちらこちらに何かの食べかすやゴミが転がっていた。
建物も、人も、一つ一つがこれでもかと自己主張をしている世界。デルフの町が田舎だっただけに、その洗練されていない無遠慮な演出が余計に目につく。普通の格好をしているリライヴたちの方が、かえって浮いてしまいそうだ。
「さすが、ギャンブルと麻薬の町。いかにもだな」
リライヴの感想に、レイズはため息で答えた。
「……本当なら、近づきたくない場所ですね。特に、誰かさんにとっては毒です」
「ほほー、いうじゃねえか。誰かさんってのは誰のことだ」
挑発するようにレイズを見下ろす。レイズは何事もなかったように首を左右に振り、ティナの手を引いた。
「ここが、あなたの来たがっていたデリキアス・シティです」
ティナは何度も目を瞬かせ、眼前に広がる世界に吸い込まれるように見入っていた。光り輝く町。本当にこんなところにいていいのだろうかと、不安が頭をよぎる。
「護衛の依頼はここまでだったな。俺たちとはここでさようならってわけだ。――これから、どうするつもりだ?」
リライヴの言葉に、レイズが咎めるような目を向ける。それに気づかないふりをして、リライヴはティナの返事を待った。
「……わたしは、すぐ、ここの領主様に会いに行きます。ここまで連れてきていただいて、本当に、ありがとうございました」
幼い身体を二つに折り曲げて、ティナは礼を述べた。さらさらと前に垂れる金髪を目で追って、リライヴはおもむろにその頭を叩いた。
「行けるわけねえだろ、おまえみたいなガキがいきなり領主のところなんて。考えてからものをいえ」
頭を押さえて、ティナが顔を上げる。驚きと、それ以上に疑問符が表情にあふれていた。
「……護衛内容を、ここの領主のところまで、と変更も可能ですよ? と、この不器用なお兄さんはいいたいわけです」
「誰が不器用だっ」
ティナはますます不思議そうな顔をする。しばらくそのまま考えて、意味を理解したときには、その手をレイズに引かれていた。
「あの、でも、わたし……」
「時間がないのでしょう? すぐに向かいましょう。いざとなったら、強行突破です」
優しい笑顔がそう答えた。
「ま、強行突破コースだろうな、これは」
その隣で少しだけ不器用な笑顔が肩をすくめ、ティナはうつむいてうなずいた。