耐性、無し
電話……?
でも今は例の端末は持っていないはず。一体どこから?
あたりを見回しても電話のような機械もないし、移動しても聞こえ方が自分に対して絶対的であるような。心に直接語りかけられているみたいな不思議な感覚だ。
それにさっきから喉が渇いたり汗をかいたり、足が少し疲れたりといったようなことが起こっている。死んでからさっきまでいた空間では疲労のような感覚は一切感じなかったので、本来当たり前のことであっても妙に思った。
シュッ
突然視界に赤と緑の球が現れた。いや球と言うべきか、違う方向を見てもそれは視界から消えず、視界の外縁に対して相対的な位置を保ったままでいる。
もしかしてこれ、僕の神経に直接影響しているんじゃ……
うわっ、急に汗が冷えてきたな。
プツッ
どうすることもできず、その音とともにその赤と緑の何かは視界から消えた。
これ、もしかして電話に出るかどうか選択するはずだったのでは……
赤が切断で緑が応答、十分ありえる。
僕がホテルにいないのを確認したミヤがかけてきたのかもしれないし、ひとまず戻ろう。結局は徒歩で移動出来なさそうだし、いいタイミングかも。
建物の中へ入り、来た道をそのまま戻ることにした。
それにしても長い。それに商業施設でもなく、こじんまりとした大学の研究棟の廊下のような雰囲気だ。どう言った目的の建物なんだろうか。人っ子一人いないんだぜ?
ピピピピ、ピピピピ
出入口が見えなくなったあたりで、さっきと同じ音が聞こえてきた。今回は応答しようというしかし肝心の応答の仕方が分からない。あの赤と緑のマークのだし方が分からない。
「おりゃっ。ふっ!ふっ!」
周囲に誰もいなかったので、僕は体をねじったり飛び跳ねながら手を左右に動かしたりと、意味のわからない動作を試してみた。しかし、人間というものは人目を気にしているだけで、意味不明な、このように傍から見ると少し恐怖をも感じ取れるような動作を、意外としているのではないかと思う。
さてそのように瞬時に考えられる動作を夢中でしていると、先程のマークがシュッと出てきた。結局どれが正解なのか分からなかったが、これは迷うことなく緑の方を押す。
「おーい。今そっちに向かってるから、そこから動かないでよー」
ミヤの声が聞こえる。やはり電話だったか。
「向かってるって、今1階の廊下の途中にいるんだけど、ここで待ってればいいの? ……あれ、もしもーし」
返事がない。切るのが速すぎる。あちらからしてみれば、僕はどこに行くか分からない子供のような認識なのかもしれない。大人しく待ってますか。
僕はその場に腰掛けた。歩いている時は気づかなかったが、細かな砂や小さな汚れが目立つ。ひんやりとした床の温度は衣服を通しても僅かながらに感じ取れる。
このような静かで落ち着いた、なんなら少し薄暗いような廊下には風情を感じる。僕にはこのように全くの1人で静かに過ごす時間が必要だ。などと重要視し過ぎたら組織内で孤立してしまう訳だが、これからの対人関係はどうするべきか。いわゆる友達のような関係は実現するのか疑問だ。というのも、ミヤですら320年を経験しているので、時間感覚に差が生じるのは必死といえるだろう。そのなかで満足のいく関係を築くことが出来るのか……
「おーい!」
遠くの方から聞こえたようなこの声だが、なぜかこの短い感嘆詞の初めと終わりで、随分と聞こえ方が違うと感じた。振り向いてみると、なんとミヤがあの空飛ぶ板のバイク型みたいなもので猛スピードで近づいてきている。ここ、建物内なのに……
「ミヤどこ行ってたの? 起きたら1人だったから訳わかんなかったよ」
「いやそれはこっちのセリフ……っても無理ないか。置いてった私も悪かったよ。でも私だって3時間ぐらいは待ったんだよ?」
「え、なんかごめん。僕ずっと寝てたのか」
「うん。でも確か最初は目覚めるまでに何時間もかかって、段々と早くなっていくはずだから大丈夫だと思うよ」
慣れれば早くなるのか。ミヤと3時間以上も差があるのは面倒だ。出来るだけ多く回数をこなしていこう。
「とりあえず乗って」
手を後部座席に置いて、ここに座れということらしい。そのバイクへ近づくと手は退けられた。どうやらそうらしい。普通逆な気がするが。実年齢はミヤの方が16倍以上といったところだが、見た目12歳の女の子にリードしてもらうのは、何か脳の中で齟齬が生じる。もともとプライドのようなものは持ち合わせていないので、問題はないわけだが。
「んしょっと」
あら、後ろに乗ってみると想像以上に近い。大型バイクの割とゆとりのある2人乗りぐらいの距離感で挑んでみると、これがまたミヤの体が小さかっただけで、実際には小さめの125ccのようなサイズだ。まともに座ろうとすると、彼女の小さなおしりを僕の太ももで挟むことになり、更には胴体も非常に近い。加減速するとなれば、密着することになるかもしれない。これは大丈夫なのだろうか。
「よーし、しっかり掴まってて」
「あ、いや掴まれと言われましても」
「ほらこういう感じで」
ミヤは前から僕の手首を掴むと、それをシートベルトのように自分のお腹の方へとまわしていった。手には柔らかい感触があり、更に胴体は近づく。
いきなりこんな大胆なこと……
実年齢は332歳ぐらいだから、もしかしなくても僕の方が子供として認識されてるのか。
少しドキッとしているのは僕だけだろう。手がじわりと湿りはじめ、腕には力を抑えようと余計に変な力が入る。しかし12歳の見た目に少しとはいえ、鼓動をも速めてしまうのは如何なものだろうという葛藤は生じた。いや、見た目は12歳でもミヤはかなりの高齢者なんだから、全く問題無いはずだ。……そうでもないかもしれないが。
「よし。出発するぞ」