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陽炎輝夜 ~真夏のかぐや姫~  作者: 月親
第三章 満月のかぐや姫
15/16

14.そして君と巡り合う

「やっぱ鍵は公園なんだな。ってことは何だ、お前の行きたい行き先のバスが今夜発で、俺の家はバスの待合室みたいもんか」


 所々街頭の消えた夜道を行きながら、軽口を叩く。


「なかなか快適でした」


 その軽口に、並んで歩く美月が乗ってくる。

 けれど俺はそこから返す言葉が見つからず、美月もそうなのか会話は途切れた。

 しばらく、お互い無言で歩く。


「ね、泉さん?」

「うん?」


 公園を目前に、ようやく会話が再開される。

 タタッと美月が数歩駆け、俺を振り返る。彼女と正面から向かい合う形になる。


「泉さんが好きです」


 両手で握りこぶしを作った美月が、しっかりと俺を見据えて言う。


「泉さんが好きですよ。ラブレターと同じ言葉でボキャブラリー無いですがっ」

「……別に、構わないさ」


 俺がそう答えれば美月が微笑み、それから彼女は月を見上げた。

 俺も倣って、月を見上げる。


「満月、か」


 美月と出会った夜は、新月だった。

 何かが始まる予感のような期待は今日で満ちて、


「見つけました。私の還る場所」


 そして――後は欠けて行く。


「そうか……」


 園内に足を踏み入れる。戻れない一歩を。


「お前は本当、『美月』って感じだな」


 言いながら手近なベンチに腰掛ければ、美月が俺の右隣に座る。


「何ですか、いきなり?」


 月を背にした美月を見る。

 泉《ヽ》に映る姿は幻。本当は遠い遠い場所に在る、そんな美しい月。

 美月の頭の後ろに手を回し、彼女を通り過ぎて俺だけを照らす月の光を遮る。

 それから俺は、美月の唇に自分のそれを重ねた。

 触れられはしない。けれど確かに重ねたといって正しかった。

 熱い。

 これが錯覚だとしたら、実在の人間でさえ良く出来た錯覚に思えた。

 唇を離し、美月を見る。

 目を丸くした美月がそこにいて、次いでその目が嬉しそうに細められる。


「今からお前を電撃結婚させてやる」


 その微笑さえ今は痛みに感じて、俺はらしくない雰囲気を払拭するように冗談めかして言った。

 俺のいきなりな申し出に、「はい?」と美月が再び瞠目――を通り越して目が点になる。

 美月が固まっているのをいいことに、俺はズボンのポケットを探った。実家の帰りに街で買ってきた指輪を取り出し、ベンチに置かれた美月の左手薬指の位置に合わせて置く。


「結婚……指輪?」


 正気に戻った美月が自分の左手を見下ろして呟く。それから彼女は右手を胸に当て、「嬉しいです」と目を閉じた。


「きっと私はここで泉さんと出会ったのではなく、泉さんと出会うためにここにいたんです、そう思います。だってやっぱり泉さんの傍は切ないけれど楽しくて、そして……とても幸せだから」


 目を開けた美月が、俺を見る。


「俺の傍にいることが……幸せ?」

「はい」


 俺の問いに、俺を見つめたまま何の迷いもなく美月が答える。そのことに俺は美月とは逆に、決めたはずの覚悟が揺らいだ。

 俯き、さらに目を伏せる。せめて顔だけは美月に見せないように。


「……かぐや姫は、どうして月に帰ったんだろうな」


 目を伏せても煌々と眩しい満月の光に、昔一度読んで二度と開かなかった本を思い出す。


「月に、何を見つけたんだろうな」


 俺が失くすことでしか知ることが出来なかった幸せを、お前は今知っているのに。


「幸せな日々に別れを告げて、それ以上に大切な何を……月に見つけたんだろうな」


 矢継ぎ早に問いかけ、再び美月を見る。


「み、づき……?」


 そして俺は、そこにあった光景に言葉を失った。

 今までも少し透けていた美月の身体が、今はもうほとんど景色と一体化していた。美月の少し困ったような表情が、かろうじてわかるくらいにまで、消えていた。


「時間が……来たみたいです」


 穏やかな声がそれに反して激しく俺の頭に響く。


「泉さん」


 煩いほどの動悸に、声が出ない。


「どうか忘れないで下さい。泉さんの傍にいることが、私の幸せです」

「美月!」


 そしてようやく声が出たときにはもう、満月だけが輝いていた。

 かぐや姫を連れ去った、満月だけが。


「……泉は月を映せはしても、決して手には入れられないんだ」


 月が滲む。

 俺の無能な手は、情けない男の顔を覆うぐらいにしか役に立たない。涙を拭うことも出来ず、ただ覆うことしか。



 バサバサッ



「!?」


 突如耳元で鳥の羽音が聞こえ、俺は反射的に辺りを見回した。

 バサバサッ

 それはもう一度聞こえて、見れば何かが俺の周りを大きく円を描くように飛んでいた。


「……鳥?」


 羽音の主は、セキセイインコだった。インコが俺を見上げてから、ベンチに置かれた指輪を首輪のように潜って身に付ける。


「あ、鳥だ」


 今度は人の声が聞こえた。気付けばやたら間近に少年が立っていて、インコを見下ろしていた。

 スポーツバッグを肩にかけ直した少年が、インコを両手で包み込むように持ち上げる。


「待て、その指輪は――……え?」


 少年を制しようとした手が空を切る。彼が避けたわけではなく、俺がそこにあるはずの腕に触れられなかった。


「この指輪お前のか? あ、内側に何か彫ってある。えっと、M、I……」


 指輪を手に取った少年が、月明かりで照らすように掲げる。

 何だ? この場面、どこかで……


「わかった、これローマ字だ。隣の兄ちゃんからこの間教えてもらったぞ。MIDUKI……ミヅキ。そっか、お前はミヅキっていうんだ」


 少年が言って、インコに視線を戻す。それを待っていたかのように、インコは少年の腕を上って肩に止まった。


「ん? 何だお前、うちの子になりたいのか?」


 まさか……まさか――――


「よし、じゃあ今日からお前は木原ミヅキだ。俺は泉、よろしくな!」

「ミヅキ――美月!!」


 俺の声に少年の肩に乗った美《ヽ》月《ヽ》が振り返る。そしてまるで手を振るように一度大きく片翼を広げてみせた。

 少年がミヅキに指を差し出すと、ミヅキがそれに移って少年を見上げる。幸せそうな顔をした少年が歩き出すと、彼とともにミヅキの姿は薄れていって……そして消えた。

 『かぐや姫は、どうして月に帰ったんだろうな』

 『月に、何を見つけたんだろうな』


「幸せな日々に別れを告げて、それ以上に大切な、何を……」


 掠れた声が、俺の喉から出る。

 俺の最も幸福だった時間ときに還った美月。そして彼女は飛《ヽ》ば《ヽ》な《ヽ》い《ヽ》で、いつも俺の傍にいた。


「美月、俺は……お前といて幸せだった!」


 もう夜の静寂しかない空間に、俺は思い切り叫んだ。


「幸せ……だった」


 彼女と出会って、初めて幸せを知った。

 雨の中、彼女を失って初めて、幸せだったことを知った……。


「は……ははははっ……」


 幸せは失くしてから気付くのだと、物知り顔で言っていた自分がおかしくて、苦しい胸がさらに苦しくなるほど声を上げて笑う。


「全っ然、教訓が生かされてないでやんの」


 ミヅキに伝えたかった、一緒にいて幸せだったと。ミヅキに尋ねたかった、君はどうだったのかと。なのにそれが叶ったかと思えば、こんな結末だ。


「美月に……お前に伝えたかった……一緒にいて、幸せだったと」


 項垂れて暗い地面を見る。月の光から逃れるように。

 けれどその抵抗も空しく、光は俺に容赦なく降り注いでいた。


「じゃあ、今度会ったら伝えないとね」


 不意にその光が陰る。

 でも俺はそのことにも、頭上から急に降ってきた声にも驚く気力は無く、葵ちゃんの言葉に項垂れたまま苦笑するのが精一杯だった。


「あいつの行き先は十六年前だ。いくら俺でもこの遠距離恋愛は遠すぎってもんだ」

「二度あることは三度あるって、泉はいつもぼやいてる」

「なら、もし今度会えても俺はまた気付けな――痛っ」


 突然頭を結構な力ではたかれ、さすがに葵ちゃんを見上げる。するとそこには膨れ顔の葵ちゃんが立っていて、「ようやく顔上げた」とさらに頬をつねられた。


「泉、十五年前の八月十七日は何の日?」

「……ミヅキが死んだ日だ」

「以前の泉なら、私の生まれた日って答えたよね、きっと」

「……え?」


 葵ちゃんが俺の頬を解放し、その手で自分を指差す。


「ほらね、また会えた」


 そして驚きに動けないでいた俺に、にこりと微笑んでみせた。


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