11.刻の訪れ
美月が居着いてさらに数日。まだ未練は以下略。
「ただいま。あー、腕痛ー」
ドサッ
玄関に入るなり、何はともあれと買い物袋を床に下ろす。
ほんと夕飯の買出しは毎度骨が折れる。すぐ近所のスーパーとはいえ、合計十キロを提げての行軍はやはり厳しい。とくにラストスパートのアパートの階段は辛いってもんじゃない。面倒くさがってまとめ買いしている、自分のせいとも言えるが。
今日は嵩張るものも大量購入したために、持ちにくくて余計に重く感じた。変なところに力が入ってたから、明日は筋肉痛かもしれない。
「さ、もうひと頑張り」
玄関の鍵をかけ、気合いを入れ直して冷蔵庫まで荷物を運ぶ。
みすぼらしい家電揃いのこの家で、冷蔵庫は唯一高レベルを誇る。上から冷蔵室、野菜室、冷凍室に分かれていて、多機能でしかも一人暮らしのくせにファミリーサイズ!
篭城戦は任せろ……って、だからなおさらまとめ買いしてしまうんじゃないか、俺。
冷蔵庫のドアを開け、下段から順に詰め込んでいく。それから野菜室に野菜――ではなく蕎麦つゆを入れ、最後に冷凍室にアイスシャーベットを入れて終了。
一個だけ入れなかったバニラ味なカップアイスは、労働後の体力回復としてすぐいただく。洗い籠からスプーン(大)を出して、適度にアイスの塊を崩し、ひと掬い口に運ぶ。
「美味い!」
ああ、至福のひととき。そして残りはシャカシャカと大口で掻き込むように食うのが俺流。食べ終わったら容器はゴミ箱へポイ。スプーンはシンクへポイ、と。
そういや前に食べていた時は、美月に自分が食べれないから俺も食べるなと拗ねられた。
(今いないところをみると、出かけたのか?)
そう思いながらも、二度あることは三度ある。例によってベランダに出て地上を見下ろしてみる。
(いないな)
また何かを発見して立ち往生しているわけではないようだ。
部屋に戻って押入れ――もハズレ。うわっ、崩れてきやがった。足で抑えて……よし、閉まった。
お次は風呂場――まあ、いないわな。入れないし、水で膨らむ怪獣のフィギュアも膨らませすぎて千切れたから処分したもんな。
「そろそろ辺りも暗くなってきたのに、何処まで行ったんだ? あいつ」
出かけるなら書置きの一つくらい――って、書けないのか。
「……あれ?」
部屋に戻り美月の姿を探す自分にふと違和感を感じ、俺はもう一度ベランダ、押入れ、風呂場へと目をやった。
ベランダには俺の服しか干してない。押入れには俺の布団しかない。風呂場には俺の歯磨き洗顔セットしかない。
美月がいるという何かは、一つだってない。
それなのに俺は、当たり前のように美月を探している。美月の姿が見えないことが、俺の中で美月が出かけたことになっている。
「ちと、まずい傾向……だな」
「あ、泉さんが帰ってました」
「のわっ!」
音もなくベランダから現れた美月に、俺は派手に飛び退いた。そんな俺に美月が「泉さんが驚いた! 驚いたー」と無邪気に喜ぶ。
そんなだから、俺が戒める度に何でもないように帰ってくるものだから、俺は勘違いしそうになるんじゃないか。
「で、そっちの首尾は?」
だから忘れないように、簡潔に美月に尋ねる。敢えて何に対してかを言わない。
「んー……どうでしょう?」
それでも通じるのは、やっぱり美月にとってここはあくまで仮の宿ということ。
「何だよ、まだそんな悠長なこと言ってるのか?」
そうだ、仮の宿でいい。このまま俺が深入りする前に消えてくれたなら、またあんな思いをしないで済む。あんな――
「美月?」
俺の言葉に乾いた笑いを返していたかと思えば、両手を胸の前で組んだ美月が俯く。その名を呼んだ俺の声にも、彼女は顔を上げようとしない。
「……美月」
だから、俺はわかってしまった。
美月が顔を上げようとしないのは、その先に俺がいるからだと。
「見つけたんだな、お前」
別れがわかっていながら傍に置いておいて、どうしてと美月を責める俺が……いるからだ。
ああ、そうか。深入りする前にって、もうすでに手遅れなんじゃないか。
だったら間違いを繰り返さない。俺に出来るのはもう覚悟だけなのだから、今度は目を反らさない。現在を見逃さない。
俺はふっと息を吐き、「で?」とわざと声の調子を上げて言った。
「いつ行くんだ?」
俺の言葉に、美月が僅かに肩を震わせる。
「――明日の……夜です」
それから美月は、真っ直ぐに俺を見上げてそう告げた。
ふわりと、引戸を開けたままだったベランダから風が流れ込む。
「明日は満月だそうですよ」
美月が、ベランダの向こうの月を見上げる。
「そうか……」
そして俺は、月を見上げる美月の横顔を見下ろしていた。