10.楽しい時間
「泉、雨嫌い?」
ぼんやりと窓の外を眺めていると、くいっと袖を引っ張られた。そのことで、葵ちゃんの家庭教師をしていたことを思い出す。
「ごめん、ぼうっとしてた」
「ぼうっとというより睨んでた。雨嫌い?」
「ん? あー、洗濯の敵だし小学校の遠足の度に降ってくれやがったし。まあ、あんまいい思い出はないかな」
いきなりの核心に迫る質問に、俺は内心焦りながらも適当な理由で誤魔化した。隣に座る美月も、さすがにさっきの今で慮ってか口出ししてこない。
「あっと、どこか聞きたいとこでもあった?」
葵ちゃんのやっている問題集の進み具合を見て、自分が結構な時間意識を飛ばしていたことを知る。
「ううん。泉先生、私ちょっと休憩。麦茶飲んでいい?」
「え? ああ……」
「じゃ、貰うねー」
葵ちゃんが席を立ち、俺と美月がこの場に残される。
「寧ろ泉さんが休憩ですね」
「……わかってる」
俺が答えると美月が「おや?」という顔をして、それから「うんうん」と頷いた。
「何だかんだで葵さんの好意には素直です」
「そりゃやっぱ理想の異性に優しくされて嬉しくないわけがない。見たか今のさり気ない気の使い方、まさしく女性の鏡だろう!」
「それはいいんですけど、なんで泉さんが自慢気?」
「なんとなく」
「……ま、よかったです。泉さんが単純で。それでいいんです。だって葵さんはちゃんと泉さんといて楽しそうですから」
美月が葵ちゃんを見やって、それから俺に微笑む。
「……お前は?」
「はい?」
「美月は俺といて、楽しいか?」
頬杖をつき美月を横目で見ると、美月はきょとんとして、そして次に悪戯っ子のような顔になって、くすくすと笑い出した。
「泉さんが楽しいです」
あまりに確信犯的な冗談に俺は突っ込む気にもなれず、「はいはい」と目を閉じて流した。
「あ、泉さんといても楽しいですよ。これ以上ないってくらい」
声だけになった美月がフォローしてくる。
「でも……同時にこれ以上ないってくらい……切ないです」
「え……?」
美月の聞き慣れない切羽詰った声に思わず目を開ける。けれどそこにはもういつもの顔に戻った美月がいて、さっきのようにくすくすと笑っていた。
「ね、泉さん。葵さんの一番好きなとこってどこですか?」
そしてまた俺で遊んでやろう的な発言をする。が、そう何度もいいようにされる俺ではない。
「それを語るには百分の一時間必要なのだ」
「そ、そんなにも!」
「うむ。如何にも」
「美月さん、百分の一時間て三十六秒のことだよ」
「あ、駄目だって葵ちゃん、ネタバレ禁止」
戻ってきた葵ちゃんに参戦され、俺は慌てて両手でバッテンを作った。隣で美月が「ならちゃっちゃと言っちゃって下さい」みたいな目をしているのを無視し、「じゃ、勉強再開しようか」と姿勢を正す。
しかし、
「葵さん、泉さんの一番好きなとこってどこですか?」
美月にとんでもない逆襲に出られ、俺は有り得ない行儀よい姿勢のまま固まった。
「そうだなあ……」
いきなりな質問にさほど驚いた様子もなく、葵ちゃんがぽすんと自分の席に座る。
「きっと、美月さんと一緒だよ」
そしていつかどこかできいたような返事を美月にした。とくれば……
「やっぱり気が合いますね。って、どうしました泉さん? 遠い目をして」
案の定な展開に、はあっと大きくため息をつく。
「俺の思考力じゃ、まだまだまっだまだ世界に羽ばたけないと痛感しただけさ」
そして俺も、いつかどこかで言ったような返事を美月にした。