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風虎

「何用です?」


 現れたのは賢芯けんしんという僧だった。

 まだ年若く禿頭のそりも新しい。面長の顔は異様にのっぺりとして不気味だ。

 風虎は思わず出かけた悲鳴をのみこんだ。


「儂は――」


 言いかけたのを僧は片手で押しとどめた。鋭い猫目が風虎を上から下までねめつけ、門扉を開き奥へと誘う。


「どうぞ。御用件はわかりました」


 賢芯に連れていかれた部屋に、ちょこんと座る少年がいた。

 みすぼらしい少年が板間で蝋燭の灯に照らされうつらとしているのを、風虎は狐につままれた思いで見た。

 少年のか細い手には三味線が握られている。

 賢芯は菩薩のようにさらりと告げた。


「お役人様、王宮の楽人様でいらっしゃいますね。我が僧院で楽を嗜むのは、この古謝だけですが」

「まさか」


 ありえない。あの三味線の奏者がこれほど若いとは。

 街で聞いたのは簡単な曲ではなかった、大人でもああも軽やかに感情をのせ奏でられるかわからないのに。

 立ちすくむ風虎をさしおき、賢芯は少年へとしかめ面を向けた。


「古謝。古謝、起きなさい」

「んー」

「古謝、起きよ! 板間で寝るでない、何度言えばわかるのだ!」


 木の数珠飾りで頭を叩かれた古謝は、夢うつつから痛みにのたうっていた。涙目で風虎を見上げると、今気づいたとばかり唖然とする。


「ふわー、俺、毛女郎なんてはじめて見たや」


 毛女郎とは、顔が毛むくじゃらの遊女の妖怪だ。たしかに風虎はぼうぼうの髭面で体も大きく派手な紅服姿である。王宮の者を見慣れぬ子どもには物の怪と同じ、異様に映るかもしれない。しかしあまりに無礼だと、風虎が口を開く前に賢芯の木数珠が鞭のように飛んだ。


「愚か者! いつも考えてからものを言えと言うておるであろう!」

「えう、痛い、痛いって、ぬり壁師匠!」

「誰がぬり壁か、この粗忽者が!」


 容赦なく繰り出される木数珠はもはや凶器だ。硬い小さな玉粒が少年の額や頬をびしばし打ち、赤いすり傷をつけていく。古謝が木数珠から三味線をかばい丸くなるのを見て、風虎は慌てて賢芯を止めた。


「待てまて、儂にはまだ信じられん。その子どもが、あの三味線を弾いたというのか?」


 ようやく折檻の手をとめた賢芯は、呼吸を整え古謝に目配せした。


「お見せしなさい」


 ぶつくさ言う古謝は痛んだ手や頬をさすり、それでも三味線を構えた。

 軽やかな弦音が放たれた瞬間、部屋を新緑の息吹が洗った。



〽我が宿の池の藤波咲きにけり 

 山ほととぎすいつか鳴かん

 去年こぞの夏 鳴きふるしてしほととぎす



 無邪気で明るいホトトギスの曲だ。目まぐるしい超絶技巧、ほととぎすの声を模した音も手早くとり入れ、速いテンポで弾きあげる腕は玄人顔負けだった。


「これは……すごい。だが、これは?」


 明るく楽しい曲なのにしだいに呪わしく、恨めしい響きになってくる。

 古謝は木数珠で叩いた賢芯を恨みがましく睨みつけていた。地を這うような声で歌い三味線を弾き続けている。



〽今さらに 山へ帰るなほととぎす 

 声の限りは我が宿に鳴け

 声の限りは我が宿に鳴け



 外で雷鳴が轟き、にわか雨の降る気配がした。明るい曲は怖ろしげに演奏され、歌本来の明るさは消え去っている。じっとりと恨めしい響きの歌は降り出した外の雨模様に似て不気味だ。大きな雷鳴がまたひとつ響き、風虎は異様な空気に耐えかねて大声を出した。


「わかった、わかったもういい! 古謝だったか。お前の腕が一流なのはようくわかった。儂はお前のような楽人を探していたのだ」


 ようやく手を止めた古謝は、またぼんやりと眠たげな顔に戻ってしまう。三味線を奏でている時は生き生きと感情をあふれさせていたのに、ひとたび曲が止まるとなんとも頼りない子供に戻ってしまう。

 風虎は軽い頭痛をおぼえつつ、ことの経緯を幼子にもわかるようにつとめて優しく話した。


「あのな。天帝の後宮に才ある楽人を集めておるのだ。儂はお前を連れて帰りたい。どうだ、正式に国の楽人になってみんか?」


 風虎は後宮の楽人だ。国の頂点、現世神である天帝のために甘美な音色を手配するのが仕事だった。このたび不幸な事故により後宮に楽人が少なくなったので、急ぎ使えそうな楽人を見繕っている最中だ。


「てんてー、ってなに?」


 無邪気な問いにぎょっとした刹那、賢芯の木数珠が古謝を攻撃していた。風虎は咳払いし、しかたなく声をひそめる。


「天帝とは烏羅磨椰うらまやこくの主、神さまのことだ。国にあるもの、存在するすべての人や家財は天帝の手中にあるものなのだぞ」

「へぇー」

「……本当にわかっておるのか? 儂もお前も生きていられるのは天帝のおかげなのだぞ」


 語る風虎の声は自然小さくなってしまう。本来なら天帝のことは口にするのもはばかられる。現世神である天帝の存在はそれくらい国にとって重大だ。王宮に仕える風虎にはその畏怖が心髄まで染みついているが、古謝は臆する様子もない。わからない、市井の子どもとはこれほどまでに無知で無邪気なものだったろうか。


「楽人様はこの古謝を、後宮にお召しになりたいと?」


 賢芯は問うように視線で古謝を見やった。すると古謝はにっこり首を振る。


「嫌だよー。俺は後宮なんぞに行きたくない」

「なっ、なぜだ?」


 風虎は賢芯がまた木数珠を繰り出すかと思ったが、意外にも彼はじっとしていた。

 古謝はあっけらかんとしている。


「だって、後宮は牢獄なんだろ? 入ったら最後、一生出られないって技芸屋の姉さんが言ってたよ」

「それは」

「それに後宮はフクマデンのコウビ地獄だって、みんな言ってたよー。入ったらヤり殺されるって兄さんも、痛っ」

「失礼。技芸屋に演奏で出入りするので、聞かじったことを言っているのです」


 賢芯の木数珠を鼻にくらった古謝はうつむき痛そうに呻いている。

 風虎は市井の噂に唸ったが、説得を試みることにした。


「たしかに、後宮へ上がれば俗世へ戻ることは難しい。けれど後宮の内なら飢えも寒さもない、一生遊んで暮らせるのだ。それに、さようにいかがわしい場所ではないわ。いくら楽の腕がたつからといって、天帝に引き立てられる機会など万にひとつもないだろう」


 烏羅磨椰うらまやこくの後宮には男女があわせて数千人もひかえている。楽人ばかりではない、士族の娘や高官の子息、彼らに仕える者など職位も様々だが、天帝の目にとまる者はその中でもほんのひと握り。現世神たる帝の寵愛を得られるのは、たいていが大きな家を後ろ盾に持つ者だけだ。見目麗しく特別な才に溢れた者だけが、幸運にも重用と愛情をえられる。古謝がそうかと言われると、才能はあるが貴族の後ろ盾はないし頭も悪そうだ。なによりこの幼子のような見た目ではとうてい後宮の麗人たちに釣り合わない。


「儂がお主に求めるのはその三味線の腕だけだ。後宮に入れば一生飢えのない裕福な暮らしを約束しよう」

「嫌だよー。俺は自由に三年は歌い、奏でて生きるんだ」

「なるほど。何が望みだ?」


 風虎は引く気はなかった。ようやく見つけた使えそうな楽人だ、たいていの望みは聞いてやる覚悟でいた。


「望み? ないなぁ。俺はただ演奏を自由にできればそれでいい」


 けれど古謝は無欲だった。僧院で暮らしているせいか、欲しい物や金品の要求がひとつもないのだ。

 風虎は賭けに出ることにした。


「お前、がくが好きなのか?」

「そうだよー」

「後宮にある『神衣曲しんいきょく』を知っているか?」

「シンイ?」

「楽人なら誰もが求めてやまぬ天上の楽奏だ。どんな玄人も古今の才人も、その音のつらなりを聞けばひとたまりもない、この世で最高の楽に魅了されてしまう。聞く者の耳をとろかす至宝の名曲だぞ」


 それまで胡乱だった古謝の目が輝きはじめる。横で話を聞いていた賢芯は、けれど渋い顔でもの言いたげにしていた。


「そのシンイってのはどんな音だ?」


 身を乗り出した古謝は釣り餌に見事に引っかかっていた。風虎は笑い、いかにも重々しく語ってみせる。


「わからん、儂も聴いたことがない。ただ後宮で認められた楽人の、ほんのひと握りがその譜を手にできる。かなりの達人をも悩ませる極度の難曲だそうだ」


 憧れにぼんやりとした古謝をよそに賢芯がしらと風虎を見ている。黙っていろと風虎は目配せしておいた。

 『神衣曲しんいきょく』とは伝説上の産物だ。

 古くより噂されてきた、後宮の奥深くに封印されし神の一曲。風虎はその存在を信じてさえいない。後宮に勤めるようになってから、それを弾いた者も聴いたという者も見たことがないからだ。時おりこれが神衣曲と主張する者が現れたが、それらはすべて奏者の自作自演だった。優れた奏者が自らの力を誇示するために伝説を借り嘘をついたのだ。自ら神衣曲を名乗るくらいだから彼らの演奏は優れていたが、後宮の神事をつとめる鎮官たちの目はごまかせなかった。そのとき起きたことを思い出し風虎は身震いする。王宮で虚偽の申告は万死に値する。風虎の職場は血煙と謀略の渦巻く危険な場所でもあった。


「俺、後宮へ行ってみたい」


 古謝が屈託なくそう笑ったとき、だから素直に喜べない部分もあった。この子供はまるで物を知らない。その楽の腕に奢り軽はずみなことをすれば、推薦人の風虎にまで影響が及ぶ。


 ――仕方あるまい。これから色々と教えてやればいい。


 非常にざっくりと風虎はそう考えた。どのみち、古謝より優れた楽人を見つけられていない現状では他に選択肢がない、腹をくくるしかないのだ。かくして風虎は古謝を僧院から引き取る運びとなった。



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