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俺の物語 終章・第4話 『キーピング・ザ・アライヴ』

◇◇


 ミカが倒れたのは今から2年前の夏のことだ。

 もともと病弱だった彼女だが、急に意識を失うなんてことはなかったので家族全員が騒然としたのは言うまでもない。

 そして診断結果は『熱中症』。幸いなことに1日だけで退院できた。

 

 しかし思い起こせば、あの頃から病魔は確実にミカの体をむしばんでいたんだ。



――おい、ミカ。顔色がよくないぞ。どうした?


――え? なんでもないよ!


――おまえ……。ウソつく時に声が裏返る癖は治ってないみたいだな。明日俺の勤めてる病院に来い。優秀な先生を紹介してやるから。


――むむぅ。なんでもないのにぃ。


 こうしてミカを、俺の勤務している病院に検査入院させたのは去年の冬のことだ。

 ミカに紹介したのは俺の上司、松下佳穂まつしたかほ先生。

 検査後、いつになく神妙な面持ちの彼女を見ただけで、嫌な予感がして膝の震えが止まらなかった。

 

――今すぐ入院させなさい。


 その短い一言は死神の鎌と同じで、俺の意識をいとも簡単に刈り取った。

 どうにかその場で直立することはできたが、松下先生の説明はまったく頭に入ってこなかったさ。

 それでも彼女が俺の両肩に手を乗せながら告げた言葉だけは、焼き印のように俺の脳裏に刻まれたんだ。

 

 

――どんな状況でもあきらめるな。試練は乗り越えられる人にしかやってこない。これは君とミカちゃんにとっての試練よ。絶対に乗り越えてみせると誓いなさい。



 そして入院を期にミカは『死亡フラグの研究』を始めた。

 

――お兄ちゃん! 戦術の基本は『己を知って、敵を知る』だよ! 死亡フラグを知れば、絶対に私は病気に勝てると思うの!

 

 だから俺は『キーピング・ザ・デッド』の世界で死ぬわけにはいかなかった。

 ミカの信じていることが正しいって証明するためにも。

 そして俺とミカが試練を乗り越えるためにも――。

 

 

………

……


「ようやくお目覚め?」


 意識が徐々に戻ってくるとともに、視界も開けていく。

 床に仰向けになった俺の顔を誰かが覗き込んでいる。

 長い黒髪と薄くて白い肌。それに大きな瞳と小さな唇。

 もし出会い方が異なっていたら、一目見ただけで胸の高鳴りを覚えていたかもしれない。

 そんな少女の姿が目に映った。

 

「どうやらそのようだな」


 口も動かせる。声も出せる。

 そんな当たり前のことに、ほのかな驚きを覚えたのも不思議ではない。

 

「あは。どう? よみがえった心地は」


「あんまりよくねえな」


 そうだ。

 思い出した。

 俺は殺されたのだ。

 目の前の少女、アルメーヌに。

 そして今、よみがえった。

 ヴァンパイアとして――。

 

「ふふ。お腹が空いてるから気分が悪いのかもよ?」


 そう問われれば、その通りかもしれない。

 ただ人間の時の空腹感と少しだけ違う。

 喉が渇いた、という方が近い感覚だ。

 

「これは私からのお祝いよ。あなたが生まれ変わったことへの」


 そう言って彼女が取り出したのは銀色のナイフ。


「まさかそれを俺に?」


「まさか」


 それだけ答えたアルメーヌは、ナイフを自分の手首に当てた。

 

――スッ。


 小さな音とともに彼女の白くて細い手首に一筋の赤い線が入る。

 そしてその線から赤黒い液体があふれ出した。

 言うまでもない。

 血だ。

 彼女は流れる血をあらかじめ用意してあったワイングラスに注いでいく。

 しばらくすると赤い線は消え、血も止まった。

 残ったのはワイングラスに半分まで注がれた濁った血液。

 彼女はそれを俺に差し出してきた。

 

「俺に飲め、と?」


「あは。飲みたいんでしょ?」


「ふん。まさか」


「いいのよ。強がらなくて」


 強がりなわけがない。しかしすぐに強がりに変わっていくのが悔しい。

 どんな生物にも生存本能が存在することの証か。ワイングラスの中でかすかな波をたてている液体を見ているだけで、いかんともしがたい欲求がわいてくる。


 飲みたい。喉の渇きを潤したい。


 これもヴァンパイアとしてよみがえったからだ、と自分に都合のいい言い訳を並べる。

 

「ふふ。目の色が変わってきたわよ」

 

「ああ。自分でも驚いているところだ」


「では、召し上がれ」


 彼女はワイングラスを俺の横に置いた。

 俺はゆっくりと体を起こし、それを手に取る。

 

「ものは試し、か」


 そしてアルメーヌの血を一気に飲み干した。

 味はほぼしない。

 香りもよくない。

 

「まずい」


 別に彼女を怒らせるつもりではなく、素直な気持ちが口をついて出てきた。

 ただし彼女にしてみれば、俺の感想は織り込み済みだったようだ。

 

「あは。そりゃそうよ」


 俺は怪訝な顔で彼女の笑顔を見つめた。

 彼女は弾むような声で続ける。

 

「私の体に流れているのは『死に血』だもの」


「死に血? 聞いたことねえな」


「その名の通りよ。死んでいる血。腐った血と言ってもいいわ」


「そんなものを俺に飲ませたのかよ」


「あはは。でもこれで生身の人間の『生き血』を飲みたくなったでしょう?」


 なるほど。

 最初からそれが目的か。

 俺はあきれて言葉を失い、首をすくめた。

 

「ふふ。焦りはしないわ。あなたは絶対に『生き血』が欲しくなる。そうして故郷へ帰り、愛する妹と感動的かつ悲劇的な再会をはたすの。それはもはやあなたの運命なのよ」


「お前さん、ちょっと見ないうちにずいぶんとキャラが変わったんじゃないか?」


「あら? どう変わったと言うの?」


「いや、なんだ。少し大人っぽくなった気がしてな」


「気のせいよ。私は何一つ変わってなんかいない。もう百年以上もね」


「百年以上か……。お前さんは百年以上も一人でいたってことか?」


 アルメーヌはその問いには答えず、くるりと俺に背を向けた。

 そして跳ねるような足取りで部屋を後にし始めたのである。

 大理石からこだます高くて軽い足音がするたびに、黒髪がふわりと揺れる。

 その際に覗く細い背中が、妙に物悲しく感じられるのは気のせいだろうか。


「さてと」


 彼女が部屋を去ったところで、俺も部屋を移ることにした。

 深紅のじゅうたんが敷き詰められた廊下に出て、探し求めたのは寝室。

 これから訪れるであろう苦しみを思えば、せめて心地よい眠りにつきたい。

 俺に許された唯一のわがままと言えよう。

 1階には見当たらず、2階にあがってしばらく回ったところで、ようやく巨大なベッドが中央に置かれた部屋をみつけた。

 早速ベッドに横たわり、目をつむった。

 

「このまま寝てしまおう」


 よみがえってすぐに寝るのは不謹慎だろうか。

 そんなどうでもいいことに頭を巡らせているうちに、意識が薄れていく。

 安心した。

 どうやらヴァンパイアにも睡魔はやってくるらしい。

 このままどれくらい眠れるだろうか。

 やはり空腹のあまりに目が覚めてしまうだろうか。

 

 それでも俺は故郷に戻るつもりはない。

 言うまでもなく、セルマを守るため。


 だが、それだけではない。

 

――ヴァンパイアが死ぬ条件はただ二つ。『生き血が吸えずに餓死する』か『永遠の愛を誓った相手が死ぬ』。


 俺自身を殺すため……。

 そして、アルメーヌを殺すため――。



………

……

 どれくらい時が流れただろうか。

 ヴァンパイアとしてよみがえった俺は、一日のほとんどを大きなベッドの上で過ごしていた。

 いつの間にか季節は夏から秋、秋から冬へ移ろった。

 

「意外と我慢強いのね。感心したわ」


 アルメーヌは時折部屋にやってくる。

 

「それを言うなら、ヴァンパイアというのは意外と死ねないものだな。そっちの方が感心するよ」


 ちなみに今でこそ穏やかな心持ちだが、初めのうちは耐え難い喉の渇きに苦しめられた。まさに気が狂いそうになるくらいの苦痛だったよ。

 しかし、

 

――試練は乗り越えられる人にしかやってこない。


 松下先生のあの言葉は偉大だな。

 ある日を境にパタリと苦痛を感じなくなったんだ。

 その代わりに、立ち上がることすら怪しいほど、全身に力が入らなくなってしまった。

 ただベッドの上で仰向けになっているだけ。

 そんな無機質な日々。

 

「そう言えば、あなたの妹のセルマ。結婚したわよ。王都からやってきた貴族の次男だってさ。彼が町の領主になるそうよ。優しそうだけど、気弱で頼りない男だったわ。可愛い妹の夫があんなんじゃ、兄としては心配よねぇ。いいの? 様子を見に行かなくて」


 アルメーヌは部屋にやってくるたびに、セルマのことを話す。

 俺が彼女に会いたいという気持ちを引き出すためなのは明らかだ。

 しかしその手に乗るものか。

 俺は笑みを浮かべながら首を横に振った。

 

「優しい夫ならセルマも幸せだろうよ。なんの心配もないさ」


 会話はそれだけ。

 再び数日間はたった一人となる。

 病室に一人でいる時のミカはこんな感じだったのかな。

 もっともここにはテレビもマンガもないから、退屈極まりない。

 そんな時は思い出に浸っていたのだ。

 

 こうして季節はいくつも過ぎていった。

 その後もアルメーヌは部屋にやってきた。

 彼女が話すのは、相変わらずセルマのことだけだ。

 

「セルマに二人目の子供が生まれそうだわ。今度は難産みたい。心配でしょ? 行ってあげないの?」


「セルマの長男がひどい熱に浮かされているの。セルマは心配で心配でたまらないみたいで、毎日教会に通っているわ。心配でしょ? 行ってあげましょうよ」


「セルマの子供たちは王都の学校へ通うそうよ。彼らはそのまま王都で暮らすみたい。セルマは子離れに苦しんでるみたい。心配でしょ?」


「セルマの夫が病気で倒れたわ。セルマは寝ずに看病してる。心配でしょ?」


「セルマはついに一人になっちゃったわ。最近は腰を悪くしているみたい。心配でしょ?」


 

 はじめは数日おきだったが、いつしか毎日来るようになっていた。

 おかげでここにいても彼女がどんな風に過ごしているか、手に取るように分かったさ。

 だから近頃はアルメーヌが部屋にやってくるのを心待ちにしている。

 自分の足でセルマに会いに行けばいいではないか。もう一人の俺が冷たく言うが、俺はそうしなかった。

 なぜならもしそうしてしまったら、もう二度とアルメーヌが部屋を訪れることがなくなるのではないかと思ったからだ。


 そう……。

 いつの間にかアルメーヌとの会話が生きがいとなっていたんだ。

 そして気のせいかもしれないが、彼女の口調もまた穏やかなものに変わっていた。

 まるで俺とのやり取りを楽しむように――。


「今日はセルマの子どもたちが里帰りしてきたわ。可愛いお孫さんを連れてね。とても嬉しそうよ」


「そうか。それはよかった」


 ああ、セルマ……。

 優しい夫と元気な子に恵まれ、そして様々な出会いと別れを繰り返して……。


 とても幸せな一生じゃないか。

 自然と喜びで胸がいっぱいになる。


 まさに俺が望んだ『キーピング・ザ・アライヴ』だ。


 俺が自分の命と引き換えに守ったセルマの『生存アライヴ』は、たしかにこの世界で保たれていたというわけだ。

 




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