俺の物語 終章・第1話 『兄妹の賭け』
◇◇
それはずいぶんと前のことだ。
――中村先生! 中村翔太先生ってばぁ!
――ん? ああ、俺のことか。
俺がそう素っ頓狂な声を出すと、白衣の若い女性……山本萌香が眉をひそめた。
手を腰にやって、ぷくりと小さな頬を膨らませているが、怖いというよりは可愛らしい。『白衣の天使』というよりは『白衣の子犬』といったところだな。
無論、そんな冗談を口にしようものなら「セクハラだぁ!」とか「侮辱だぁ!」とか騒がれかねない。まったく難しいご時世だ。
そんなことを考えているうちに、彼女が口を尖らせた。
――中村先生と言えば、先生しかいません! まったく……。もう新人の医師ではないんですから、しっかりしてください!
――ああ、ごめん。ごめん。
俺よりも2つも年下なのに、まるで母親のようだな。
もっともその世話好きの性格が患者さんたちから人気を集めている要因らしいので、文句は言えない。
俺は苦笑いを浮かべながら謝り、手にしていた本をテーブルの上に置いた。
それを見た彼女はますます怪訝そうな表情となった。
――マンガですか? しかもホラーですよね?
俺は置いたばかりの本を手に取って、彼女に差し出す。
しかし彼女は受け取らずに、首を横に振った。
――勤務中に何をしてるんですか?
――勉強だよ。
――勉強?
――それに休憩中に読んでいただけだからね。服務違反ではないはずだぜ。
――そんなこと言ってません! ホラー系のマンガで勉強ってどういう意味ですか?
俺は彼女の問いかけに答えずに、椅子にかけてあったドクターコートを羽織って医務室を後にする。
彼女はパタパタと足音を立てながら後ろをついてきた。
――ちょっと待ってくださいよぉ!
――君を待つよりも、俺の回診を待っている患者のもとへ急ぎたいんだがね。
――そんなキザなセリフ。今の時代に流行りませんよぉ。
――あはは。それもそうだ。
大股で病院の廊下を歩く俺に萌香が小走りで並んでくる。
背の低い彼女は、俺の顔を下から覗き込むようにして、しつこく聞いてきた。
――ところで先生は何の勉強をしていたんですかぁ?
別に隠すようなことでもない。
俺は素直に答えた。
――ん? ああ。『絶対に死なないキャラの法則』だよ。
――絶対に死なないキャラの法則?
――その通り。たとえば『やり残したことがあるキャラ』とか『主人公に裏切られたキャラ』、それに『崖から海に身を投げたけど、死体があがってこなかったキャラ』とか……。
――ちょ、ちょっと待ってください! もういいです!
彼女は慌てて俺の言葉をさえぎる。
そしてきゅっと表情を引き締めて、問いかけてきた。
――もしかしてミカさんのためですか?
俺は何も答えずに、彼女のつぶらな瞳を見つめる。
それは「聞かないでくれ」というサインだったが、彼女は「答えてください!」と譲らない。
諦めた俺は彼女から視線を離すと、鼻から大きく息を吐いた。
――約束したんだよ。
――約束?
――昔、俺とミカは賭けをしたんだ
――賭けですかぁ?
――ああ。一緒に観ていた『キーピング・ザ・デッド』ってアニメで、最後まで生き残るキャラは誰か当てようってな
――そんなの『主人公』に決まってるじゃないですかぁ。もしかして先生は『主人公』以外を予想したんですか?
――まあな。
萌香があきれたように首をすくめる。
――それで先生はミカさんに負けたと。
――わざとな。
――ウソ。
――はい、ウソです。
今度は俺が首をすくめた。
――んで、何を賭けたんですか?
――負けた方は勝った方の言うことを何でも聞く。
――まぁ! んでんで、ミカさんは先生に何を要求したんですかぁ!?
萌香はなぜ興奮しているのだろう……。
そんな会話をしているうちに、最初の患者が待つ病室の前までやってきた。
――おしゃべりはここまでだ。
――ええっ!? なんて生殺し!
――余計なことに首をつっこむ方が悪い。いいから。斎藤さんのカルテを。
――はぁい。
俺はカルテに目を通した後、扉をスライドさせる。
明るい病室が視界に飛び込んできた瞬間に、あの時に約束したミカの声が脳裏に響いてきた……。
――お兄ちゃんと私に『死亡フラグ』が立ちそうになったら、全部へし折って欲しいの! 私たちがずぅっと笑顔でいられるように!
と――。





