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夢はひとりみるものじゃない  作者: 小林汐希・菜須よつ葉
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5話

 この日も、談話室には穏やかな空気が流れていた。


「今日は実習ちゃん、居ないわね」

「そうね、よつ葉ちゃんの姿が見えないわね。どうしたのかしらね」


 この声だけで、談話室の雰囲気が静かなリラクゼーションゾーンから、レクリエーションゾーンに変わる。

 今日はお見舞いに来てくれたんだな。舞花さんと一緒にKさんもいる。


 この二人が揃うと、会話はもはやコントだ。誰かを巻き込むということはないのだけど、会話を聞いているだけで、ツッコミを入れたくなったり、吹き出したくなるようなことが何度も起きている。

 やっぱり、ご本人の性格も大いに関係してくるんだろうなと思ってはいた。


「あっ、よつ葉ちゃんじゃないの!」


 えっ? 確か今日は学校に報告書を出しに行くから病棟スタッフには入っていなかったはずなのに。


 舞花さんと話しているところを横目で見ると、いつもの看護服ではなく私服姿だ。


 ニット素材でアイボリーのチュニックに、膝下までのブラウンチェックの台形スカート、ショートブーツという姿は、これまで私服を見てこなかった自分には新鮮に写る。

 そもそもよつ葉の雰囲気が全体的に年下に見られがちだという事情もあって、ロングスカートよりも少しだけ上がっている膝下丈くらいの方がよく似合う。


 同時に、隣にいる男性の姿を認めた。

 もちろん、今は看護師といっても男性の進出も進んでいるし、同じ班の班長は男性なのだと聞いていたから、彼も看護学生なのだろうとすぐに理解できた。


「こんにちは。体調はどうですか?」


 その彼の方が舞花さんに声をかけた。


「あらぁ、イケメン尚君も一緒なの? もしかして……付き合ってるの?」


 おいおい、実の父親がここにいるってのに、そこを突っ込みますか? と思わず手で落ちてくる頭を支える。


「違いますよ。手のかかる班員なんですよ、今日も「実習記録」に印鑑もらい忘れて教授に指摘されて印鑑もらいに来たんです」

「あらぁ、優しいのね。手のかかる彼女ほど可愛いって事かしらね」

「4年間一緒に頑張ってきた仲間ですから。就職先も同じだしいつものことですよ」


 なるほど。本来なら来ないで済むはずなのに……。

 その舞花さんの相手を彼がしている間、よつ葉が俺の斜め後ろに立っていた。


「小林さま、体調はどうですか?」

「変わりないよ。こうして食後の休憩もいつも通りだよ」

「無理していないか心配だったから」


 そうか……。あの仕事ぶりからして、この子にそんなミスがあるとは思えなかった。または河西看護師長もそんな単純なことを忘れるとは思えなかったし。


 休みの日に堂々とここに来る理由をどちらかが考えてくれたのかもしれない。そう思うと次の言葉がなかなか出てこなかった。


「書類に不備があったのか?」

「実習記録に指導看護師さんと病棟看護師長さんの印鑑が押してなかったの」


 島看護師さんはともかく、河西さんはわざとだなと。これは直感でしかなかったけど。


「許してもらえるのも学生だからと甘えていてはダメだぞ」

「甘えては無いけど」

「社会に出たら言い訳は通用しないぞ」

「はい。ごめんなさい」


 まぁ、そんな凡ミスは社会に出てもいくらでもある。仕事をしていればいくらでもな……。

 それより、まさか今日、看護師姿ではないところを見られるとは思わなかったから、本当はもう少しいてもらいたいが、そうもいかない。


「うん、気を付けなさい。それよりよつ葉の顔が見れて嬉しいよ」

「ありがとう。よつ葉も会いたかった」


 この会話をまだ他の人に聞かれたくはない。ようやく舞花さんの質問攻撃から開放された彼がやって来た。同じ班の前原くんと言うのだとこっそり聞いておいてよかった。


「大学に戻るんだろう? 印鑑をいただいてきなさい」

「・・・・」


 もし、この子が一人で来ていればなと思ったが、それで人を待たせるのもよくないと思い直した。

 

「ほら、行きなさい」

「はい」


 後ろ髪を引かれるように挨拶をしてナースステーションの方に歩いていく二人の後ろ姿を見て、なんだか複雑な思いが心の中に湧いた。


 これを言えば舞花さんは何て言うかな……。


 まだ漫才のようなやり取りを続けているお二人と、その餌食になってしまっている前原くんを認めて、俺はそっと一人病室に戻ることにした。





「もぉ、もっと菜須さんと話していればよかったのに。落ち込んでましたよ? あの子……」


 やはり、印鑑を捺さなかったのはシフトの休日でも病院に来る口実を作るための河西さんの作為だったらしい。


 病室の窓から外を見ていたとき、大学に戻る二人の姿が見えて、よつ葉が何度もこちらを振り替えるのが見えた。

 かわいそうなことをしたとは思ってあるけれど、二人きりで話す機会はちゃんと作ってあるのだし。もう少し我慢してもらえれば……。


「まだ、他の方に話せることではありませんし……」

「そうですね……。前原くんが一緒に来るとは思いませんでした。お父様としては、お嬢さんのお隣に男性というのはやはり複雑なものですか?」


「不思議なもんです……。これだけの年月を離れていたのに。私もまだまだですね」


「ご安心なさってくださいね。菜須さん、どなたともお付き合いされてないですよ。同性の私としては本当に見ていて気の毒なくらい。まずは看護師になるんだって。ずっとひた向きでしたから……本当に真面目に……」


 あの日以来、看護師長である河西さんは、巡回と称してそれとなくよつ葉の情報を俺に教えてくれるようになっていた。


 これまでに受けてきた個別の実習の話だったり、他の患者さんや先輩看護師さんからの評判だったりだ。

 細かいところを聞いてみると、やはり得意不得意はまだあるものの、全般的には十分な合格点をつけられるということ。


「そういえば、まだ私が動けずに意識朦朧としていた頃に、何度か処置をしてもらったことがありましたっけ。あれはよつ葉の手によってだったんですか?」


 救急車で病院に運び込まれて、点滴や投薬を続けていた頃の話だ。まだ体に力も入らないから歩くことも出来なかった。それにも関わらず、脱水に対応するために補水液を大量に投与されていたから、当然排泄だってあったはず。

 トイレに行きたいけれども行けないと呟いたことがあったっけ。そのあとすぐに導尿処置をしてくれて事なきを得たことだけは覚えている。


「そうです。結果論的に言えば大正解だったんです。菜須さん、どうもそれだけは練習の頃から男性だけは苦手にしていたんですよ。でも、小林さんのお名前を一目見たときから、菜須さんから小林さんだけは導尿や排泄処理をご自分でやると聞かなかったんです。もちろん実習の大切な項目の一つでしたからお願いしました。実のお父様ですものね、ご自分の手で行いたかったのでしょう。あんな真剣な菜須さんは初めて見ました。あの日以来、菜須さんはどの男性患者さまでも完璧にこなせるようになりましたよ」

「前にも話しましたが、苦手なことがあれば私で練習しなさいと言ったんです。お役に立てたようで良かった」


 それでも、まだ本人は納得がいかないこともあるようで。親だから分かるのかもしれない。緊張しているなと感じることもある。


 その夜、河西さんは消灯時間を過ぎても、俺の点滴の様子を見ると言いながら、話をしてくれていた。


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